卓話


ガバナー公式訪問

2006年7月19日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

国際ロータリー第2580地区
2006〜07年度ガバナー
小澤 秀瑛 氏(東京青梅RC)
 

第4109回例会

 例会の前に,東京RC会長の方針として,“友の輪”づくりと,奉仕の喜びを強く打ち出しておられることをうかがいました。

クラブ例会こそがロータリーの基本であります。例会で大勢の方々と知り合いになり,お互いを知って研鑽を深めていくことが,第一歩であります。まさに“友の輪”づくりがロータリーの第一歩だと存じます。

本年度のRI会長ウィリアム B・ボイド氏が「率先しよう」というターゲットを掲げたことは,皆様ご承知のとおりであります。率先という言葉には,率先窮行とか率先垂範とか,自らが先頭に立って事を行うという意味あいがありますが,一言に「率先しよう」と言われても,何か具体性に欠ける感がなきにしもあらずであります。

 私は「率先しよう」ということを,もっと身近に感じるには,どんな言葉がふさわしいかを,私なりに考えました。

 それは「先ず,あなたから」という言葉が「率先しよう」にふさわしい言葉ではないかと思います。先ず,あなたから,何をするかといえば,ご案内のとおり,ロータリー精神に則った奉仕をしようというわけであります。

 ロータリークラブも百年の歴史を刻みました。私たちは,ロータリーでなければできない奉仕のみを見つめて実行していくという時期にきているのではなかろうかと思います。あまりにも多くのことに,手をつけ過ぎた感がなきにしもあらずです。ロータリーでなければできない奉仕以外のことは,人様に任せるということも考えていいのではないか,ということです。

 ならば,ロータリーでなければできない奉仕とはどのようなものでしょうか。

今年の2月に行われた地区大会でRI会長代理の深川さんが,いみじくも,「煙草の吸い殻を拾うということが奉仕というならば,それは他の奉仕団体に任せてもいいのではないか。即ち,煙草の吸い殻を捨てない人を育てることがロータリーらしい奉仕ではなかろうか」とお話しされました。

煙草の吸い殻を捨てない人を作ることがロータリーらしい奉仕であるというのです。私は,なるほどその通りだと思いました。

 煙草の吸い殻を捨ててはいけないということは,三歳の子供でも分かっていることです。それを大の大人が人前で公然と行うのも事実であります。ならば,もう一度ロータリーの原点にたち戻って,煙草を捨ててはいけないという啓蒙をすることが肝要ではなかろうかと思うのであります。

青少年の育成問題もロータリーにふさわしい奉仕であります。パストガバナーの前川さんが提唱された青少年育成委員会では,職場体験というプログラムについて文科省にご相談しておりました。

 やっとそれが実って,各地区の教育委員会で,中学高校の生徒たちの職場体験が本年度から実施される段階になりました。

職場を青少年に解放して,現実に青少年の姿を見ながら,先人が培った知恵を青少年に伝えることは,ロータリーらしい大きな奉仕ではなかろうかと思うのであります。

寛容と誠実さを日々に実践し,自らが手本を示すことによって,ロータリーの道を,親切心とほほ笑みをもって進むことが,即ち率先しよう,ということに通じるのだろうと思うのであります。

クラブ協議会の話題では,新しく入会した会員がクラブを離れていってしまうという現実を,各地からお聞きしております。

RI会長のB・ボイド氏は,「新しい会員がクラブを離れていく原因にはいくつかの理由があると思うが,奉仕の機会が与えられないということが大きな原因のひとつではなかろうか」と言っておられます。それからもうひとつ「疎外感」を挙げておられます。

新しく会員になられる方々は,ロータリーは,ロータリーらしい奉仕をする団体であるというイメージをもって入会されます。従って,奉仕の機会がないと,何か裏切られたような気持ちが高じて,ロータリーを辞めていくという傾向があるのかもしれません。

私たちは,ロータリーらしい奉仕を発見して,それを新しい会員に伝えていくことが大きな仕事,役目だと思います。

私は本年度の地区のターゲットに「本来無東西−心は一つ−」という言葉を掲げました。『迷うが故に三界の城あり。悟るが故に十方は空なり。本来東西無し,何処にか南北あらん。』という言葉があります。「本来無東西」は,本来は東も西もないのだということですが,卑近な例として,宇宙から地球を見た場合を考えてみてください。

宇宙から地球を見たときに,いったい,どこに東と西があるのでしょうか。東と西は地球の人間が勝手に決めたことなのです。従って南も北もないことになります。

「心は一つ」というのは,個々の会員にはそれぞれの思考があるが,せんじ詰めるところ,志を同じくする者の集いであって,奉仕という理想にもえた,一つの心をもった存在ではなかろうかという思いであります。

RCには会長・幹事・各種委員長・ガバナー・地区幹事等々の役職がありますが,いうまでもなく,役職になった人が偉いのではなく,その役職が偉いのだと思います。役職そのものが大切なのだと思います。

地区のターゲットについては以上でありますが,活動方針としては,簡素で楽しいクラブ運営のなかで「これからのロータリーは如何にあるべきか」という問いかけをしました。そして,ロータリーでなくてはできない奉仕を考えたいと思います。

会員増強は,会の生命線です。RIの増強目標である,純増1名を達成していただきたいと思います。

あわせて出席率については,10%アップを目標にすることをお願いしたいと思います。出席は会員の義務だと申します。10%アップを切にお願いいたします。
さて,昨年度のRIのテーマであり,また永遠のテーマでもある「超我の奉仕」について触れてみたいと思います。

私は,「超」を外して「我の奉仕」と考えると分かりやすいと考えております。

「奉仕」を考えたときに,仏の「慈悲心」という言葉をあてはめてはどうか,ということでございます。「慈」という漢字は(茲)という字の下に(心)をつけた漢字です。(茲)は「これ・この」と読みます。

 「悲」は(非)の下に(心)を書きます。「慈悲」の漢字をくだいて音読みしますと「茲(こ)の心,心に非ず」と読めます。

 仏は,迷いの私情のために慈愛を示してくださいます。

先ず自分というものは,そこに置いておいて,相手,人様のために尽くす心が,いうところの,慈悲心ではなかろうかと思います。相手様のために,人様のためにという慈悲心が,超我の奉仕につながっていくのではないかと思います。

「親切」または「辛切」という言葉があります。私たちは,普通,親切というと優しい気持ちで人助けをするということを考え勝ちです。

ただ単に,相手に同情するのではなく,援助をするのではなく,相手の立場に立って深く同情し,時には人々の我欲や甘え心をたしなめて,辛い気持ちで叱咤することも必要ではなかろうかというのが,親切(辛心)の本意だと思います。

ダライ・ラマは「宗教やイデオロギーなどがなくても人間は生きていける。どんな知恵でもいらないと断ることができる。しかし,愛と思いやりは,だれにとっても必要なものである」という言葉を残しております。

「愛と思いやりは,だれにとっても必要なものである」という単純にして明解な真実こそが私の信条であります。

ロータリアンがすべての人々に対して,思いやりの心をいだくことは,慈悲心と超我の奉仕に帰するのではないかと思うわけでございます。

私どもは,バブル期の一時期に,会員増強だけがロータリーの使命であるかのような行動をとったことがありました。思うに,根本的に忘れてはならないのは,ロータリーは,あくまでも選ばれた者の集いであるということであります。

この,選ばれた者の集いである,という基本線を忘れたときにはロータリーはない,と言っても過言ではないと思います。

手足に奉仕を,心に親睦を,皮膚感覚としてエリート意識を持って,これからのロータリーライフをお互いに楽しんでいきたいと思います。