卓話


江戸に学ぶ環境保全

2010年5月19日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

江戸東京博物館
館長 竹内 誠氏 

 先日,話題の東京スカイツリーの高さ150メートルの所まで上ってまいりました。全長は634メートル,第一展望台の所が350メートル,今の東京タワーより高い位置です。さらに100メートル上がって450メートルの所に第二展望台があります。新しい東京が眺められると期待されています。

 このタワーの照明デザインは戸恒(とつね)さんという若いデザイナーが担当されます。彼と対談した時に聞きましたら「LEDを使った照明で,なるべく省力化して環境にやさしい照明」を考えておられるそうです。「東京タワーのように燦然と輝くようなライトアップではなく,谷崎潤一郎のいう陰影礼讚のような,光と影の組み合わせを考えたい」という話も伺いました。

 つい先日の発表を聞きますと…。二つの種類の光りをあてる。紫色系で「粋」を表し、浅黄色系で「雅」を表すということでした。この二色を日変わりで交互にライトアップするというプランだそうです。

 紫色で粋を表すというのは,如何にも,墨田区押上は江戸の伝統を持っている所だから,江戸らしい雰囲気のあるタワーを建ててもらいたいという願いに適った色合いで結構だと思います。一方,浅黄色で雅を表すということですが,雅というのは,本来は京文化です。

 「粋と雅」という,相対するモチーフを組み合わせた所以を,今度会った時に戸恒さんに聞こうと思っていますが,私は「スカイツリーは別に東京だけのものではない,日本の代表だ。そこで江戸文化と京文化を代表する粋と雅というテーマで表現するのは立派だ」と敬意を表したいと思っています。

 私は,東京スカイツリーの建設地をよくぞこの場所(墨田区押上1丁目)に決めたものだと思っています。

 江戸時代に,ちょうどその場所(向島)の上空300〜400メートルを飛ぶ鳥の気持ちと眼になって都市江戸を描いた人がいます。勿論,想像した鳥瞰図です。鍬形澪悗箸いΤ┿佞描いた『江戸一目図屏風』です。その絵の実物は津山郷土博物館が所蔵しています。

 この屏風絵を見ていると実に美しい江戸です。木が一杯,水が一杯です。真下には墨田川が流れています。遥かに江戸城を見下ろし遠くには富士山を望みます。その絵が描かれた視点と同じ場所に東京スカイツリーが建てられるわけで,偶然ですがお見事というほかありません。

 スカイツリーの杉内社長にもお話ししたのですが,スカイツリーの展望台に,この『江戸一目図屏風』のレプリカを並べて「江戸はこんな風景だった。現在はどうですか」と問いかけるのも一案と思っています。

 さて,その江戸を外国人はどう見たか。彼らは常に自国や見聞した国々との比較で日本を見ています。比較するという観点は非常に重要です。

 幕末に来日したロバート・フォーチュンというイギリスの園芸学者がこう言っております。「江戸は不思議な所で,常に外来人の目を引きつける特有のものを持っている。江戸は東洋における大都市で、城は深い堀,緑の堤防,諸侯の邸宅,広い街路などに囲まれている。『幕末日本探訪記』」

 日本人は、城というと石垣に注意を向けますが,外国人は石の文化ですから、石の大きさには驚くかもしれませんが,江戸城の石垣にはそれほどの感銘は受けません。ところが,俗に「鉢巻き土手」という,石垣ではなく土手に植えた松などの風景には,「緑の堤防」と称え,非常な感銘を受けたようです。

 「諸侯の住宅」というのは,参勤交代での江戸屋敷です。諸大名の屋敷が広い土地を占有していて,旗本の屋敷などを含めると武家屋敷は江戸全体の七割を占めています。広い武家屋敷には木がいっぱい植えてあります。寺社地が全体の15%で,ここも樹木がたくさんあります。江戸の85%は樹木で覆われていたといってよいでしょう。

 江戸は百万都市といわれていますから,残りの15%の狭い土地に,50万人の町人が押し込まれていたことになります。庶民は一戸建の家は望むべくもありません。基本的に長屋が発達したわけです。金持ちも長屋に住みました。長屋イコール貧乏人ではありません。

 「広い街路」で,今の日本橋の通りは18メートルありました。幹線道路は広く造ってありました。並木ではないのですが,それぞれの所に木が植えてあります。見事な道だったでしょう。ロバート・フォーチュンはさらに「城に近い丘から展望した風景は,ヨーロッパや諸外国のどの都市と比較しても,優るとも決して劣りはしないだろう。それらの谷間や樹木の茂る丘、亭々とした木木で縁取られた静かな道や常緑樹の生垣などの美しさは、世界のどこの都市も及ばないであろう。」と称賛しています。

 こういう景観は,勿論,家康以来の成果ですが,中興の英主といわれた八代将軍吉宗に負うところが大きいのです。

 吉宗の政策として注目されているのは,防災都市を目指した「町火消し制度」,福祉政策としての「小石川養生所」など,彼の都市政策です。

 なかでも吉宗の公園政策は,江戸の環境保全に大きな役割を果たしました。桜の名所「王子飛鳥山」は吉宗が造りました。桜を1270本,松を100本,紅葉を 100本植えて,計画的に美しい景観を造り出しました。墨田川堤の桜,品川御殿山の桜も同じです。小金井堤の桜を植えたのは大岡越前ですが,指図をしたのは吉宗でした。中野の桃園は,吉宗が荒れていたお犬様の小屋跡を整地して桃を植えさせたものです。

 品川にしても中野にしても,王子や墨堤も,ちょうど郊外に出かけて行く接点になる場所です。行楽には程よい地点なのです。

 吉宗は,さらに,水茶屋の営業を許可します。見物客にお金をそこで費やしてもらうためです。単に環境を整えるだけではなく,町おこし村おこしもして,そこに生活する人の暮らしが立つようにしました。

 飛鳥山のある水茶屋が「かわらけ投げ」という遊びを考えて人々を楽しませたところ,麓のお百姓から苦情が出ました。田圃にかわらけが飛び込んでは耕作に差し支えるというわけです。水茶屋は詫びて,たちどころに,水に濡れると土に帰るかわらけを考案したという話が伝えられています。このように,物を造るときには土に帰るものを造るという考えが大切なのです。土に帰らないような物を造る文明だから環境問題に発展するわけです。

 こうして,江戸はいろいろな施策によって,「水と緑の都」といわれる景観が保たれていました。東京に変わっても,意外に,それは続いていました。不思議なことに,関東大震災,東京大空襲の大打撃を受けても,東京はそれ程変わらなかったような気がします。

 戦後の墨田川は,上流に家がなくなり工場がなくなりました。生活排水も工場汚水もなく,水がきれいになったので私は泳ぎました。江戸時代とそっくりの墨田川が,昭和21年〜22年にありました。

 それが一気になくなったのは昭和39年の東京オリンピックの前です。東京は高速道路を縦横無尽に走らせました。そのために埋め立てが増えて,景観が変わりました。

 水がなくなり緑がなくなると、人間の心まで変わるのかなと思いました。それまであった筈の「江戸の心」がどんどん失われてしまって,現在も尾をひいているような気がします。

 最後に,環境に関しての江戸時代の二つの心の話をいたします。

 一つは「もったいない」という繕いの心です。当時の商売で流行った修繕やさんです。例えば庶民は古着屋で買った着物を着るのが普通でした。当時は古着屋が1000軒もあったそうです。町角には鋳掛屋さんとか羅宇屋さんとかがいつもいました。

 物を大切にする,リサイクルする、というのが江戸の心です。

 もうひとつ、フォーチュンが述べています。「江戸という町に来て驚いたのは,どんな小さい家でも,裏庭に草花を植えていることだ。世界でこれ程の園芸愛好家はいないのではないか。英国でも上流階級はさておいて、一般の人ではこうはいかない。」

 草花を愛する心は自然との共生です。従ってスローライフです。一つ一つ時を大切にしていくということです。

 恐らく,草花を愛するということは自然環境を守っていこうという気持ちでしょう。

 道の真ん中に木が一本あれば,邪魔だから伐ってしまおうというのが今までの考え方です。しかし,道路を直線化するために,300年も経っている木を伐ってしまうというのは,いま一度考え直さねばなりません。効率だけでものを考えるのではなく,ものを大切にするという心を大事にしたいと思います。

 江戸の心は「ものを大切にするリサイクルの心と,自然と共生するエコの心」です。日本人には今でも草花や樹木を愛するという伝統的な国民性がありますから,この心は必ずや次世代にもつなげていくのではなかろうかと期待しています。