卓話


激動の世界と日本 

2012年5月30日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

復興庁復興推進委員会 委員長
熊本県立大学 理事会
五百旗頭 真氏

 冷戦が終わってバブルがはじけて,80年代は世界一の物づくり国家として工業製品の競争力を持っていた日本ですが,90年代になるとアメリカがITグローバリゼーションをリードして,日本の強みはかすんできました。

 失われた10年が失われた20年になって,ゆるゆると下がる傾向になった時に,この度の東日本大震災があって,これで止めを刺されたとみる向きもないではありません。
 私は,歴史家として言うならば,日本が躍進を遂げる局面では必ずその前に多くの挫折,国難がありました。多くの挫折,多くの失敗,多くの国難を乗り越えて躍進してきたのが,日本の歴史です。

 古くは663年の「白村江の戦い」です。大和王朝は2万7千の大軍を朝鮮半島に差し向けましたが,二日で完敗しました。唐・新羅の連合軍が必ず日本に攻めてくると予測して,安全保障の対応策を行いました。

 まず,対馬と太宰府に三つの城を築き,瀬戸内沿いに城塞を築き,さらに,生駒山に高安城という最後の防衛線まで造りました。また,狼煙による通信システムもつくり,東北の人も防人として動員しました。これだけの防衛体制を,よくもあの時期に造ったものだと思います。

 それ以上に立派なのは,敗戦の翌年から,唐文明の偉大さを知って猛然と学び始めたことです。

 50年の努力の後,710年には平城京を造りました。唐律令国家のミニチュア版を大和の地に造りました。このことは,日本の文明が世界の水準にほぼ近いものになったことを象徴していると思います。私は,日本史は8世紀初めに,だいたい世界水準に達したと考えています。平安時代は文化の成熟期です。11世紀には源氏物語が生まれました。

 13世紀にユーラシア大陸を席巻した蒙古が,14万の大軍で日本に攻めてきたのが,唯一の本格的な外国勢力の日本進攻でした。

 このとき神風が吹いたということですが,本当は,上陸して橋頭堡を造らせなかったことが勝因です。もし蒙古軍が九州北部の半分を占拠して,そこに拠点を築いていたら,台風が来ても大丈夫だったでしょう。

 一回目は太宰府前面まで進攻しましたが,日本の武士の勇敢な戦いぶりを見て,陸上で夜を過ごすのは危ないと考えた彼らは,自ら撤収して船に戻って夜を迎えました。

 当時の日本と蒙古の軍隊を比較すると,戦法の違いで面食らうことはあっても,戦力ではそれほどの差はなかったと考えられます。それ故2回目の進攻では,石垣を超えて上陸することすらできなかったわけです。

 インドや北米が植民地になる過程では,必ず国内に外部勢力に対する呼応者が現れています。その呼応者を利用して武器を与え,最後にはその呼応者をも押さえてしまうというのが欧米のやり方でした。

 日本には,日ごろは激しく政争している人達でも,外部勢力と組んで覇者になろうという人はいませんでした。

 幕末の頃は非常に危なかったのですが,日本史にとって一番危なかった時期は,応仁の乱から戦国時代に至る150年です。この時代には平和も統治もなく,目茶苦茶でした。その後,信長が現れ,秀吉が現れ,家康に至って,なんと270年の長期平和が築かれました。こうしてみると,日本の社会には復元力が間違いなく存在すると思います。

 270年の平和は外部の影響を遮断することが条件になっていました。その間,イギリスを中心にした産業革命が起こりました。日本と世界に大きな落差ができ始めました。

 それが1853年に黒船の衝撃となってやってきます。西洋文明は,日本にとって,それまでのものとは全く違った巨大さを持っていました。人力,馬力で動いていた諸文明に対して,動力で地上を走る海上を走るという質の違いに太刀打ちできませんでした。

 幕末には,尊王攘夷の武士たちが,政権に反対するという要素を込めて,エネルギーを爆発させますが,一方で,そうでありながら幕府も明治政府も,結局は近代西洋文明がそれほどすごいものならばそれを学ぶほかはないと決心するわけです。学んでそれを同化する以外に存続の道はないと認識します。

 その象徴が岩倉使節団です。このように,日本は優れている力の秘密を手にすることには非常に貪欲に努力します。

 こうして,黒船来航以来50年にして,日露戦争に勝利します。西洋列強の中の軍事大国ロシアに対する勝利です。それは,日本が西洋近代文明と伍してやっていけるという展望を示した「坂の上の雲」の時代でした。

 大正時代,昭和初期に国際環境が大きく変わりますが,日本はそれに十分に対応できずにいました。アジアで唯一近代化された軍隊を持っている日本は,昭和16(1941)年に米英と戦火を交えました。昭和20(1945)年には,爆撃を受けて京都以外の大都市は全て廃墟になりました。

 日本は二度と立ち上がれまい,という大方の見方に対して,その後20年にして60年代の高度成長を迎え,40年にして80年代に世界一の物づくり国家となり,米欧日として3極の一つにまで浮上しました。国難や打撃の後に,強烈なバネで跳ね上がることができることを示したわけです。

 今回の東日本大地震でも,本当の敗北に至らないうちにバネを利かせることができないかという願いを,復興推進委員会委員長として密に抱いております。

 かつての総合安全保障は大平内閣で作られました。その中身は,外国の侵略に対する国防,経済資源の安全保障,大災害から国民を守ることの三つでした。

 我々は,3.11の地震を体験しましたが,地震に関していうならば,この国の強靭性を示したことになると思っています。亡くなった方々の殆どが津波で亡くなっておられます。宮城県栗原市は震度7でしたが犠牲者ゼロでした。日本の被災者の振る舞いの立派さだけではなく,社会のいろいろな現場は非常に能力がある,日本の社会はたいしたものだとだということが示されました。自衛隊も,阪神淡路大震災の反省を受けて,本当によくの対応してくれました。

 地震に対しては以上ですが,津波に対してはどうしようもないというのが真実でした。しかしながら,外国から見ると,あれだけの津波で2万人の犠牲者ですんだのが不思議だと言います。スマトラ沖地震での津波では22万の人が亡くなっています。

 同列に比べることは出来ない諸条件がありますが,その違いは教育のお陰だろうと思います。特に津波に対しては,逃げる以外に方法がないということを繰り返して教えられていた結果だと思います。今回の津波でも12万戸の家が流されています。約40万人が被災しています。普通ならばもっと多くの犠牲者が出るところでした。

 この度の復興構想会議で,私たちは歴史を変えようと言っています。今までは,津波が洗っていった跡地でまた生活しようとします。これからは,先ず町ごと逃げようという高台移転を第一モデルとして推奨しました。技術的に何の問題もありません。

 昔は不便という代償がたいへん重かったのですが,今は丘の上のニュータウンは世界中で見られる情景です。経費的には,国が支援します。出来る限り被災地を支えるということで,世論は増税に同意しました。

 20兆の復興予算は,増税という支えを得たお陰でかなり手厚いものができます。国土交通省が集団移転促進法を適用します。

 しかし,いろいろな条件で高台移転ができない町があります。その場合は,多重防御が答えです。防波堤,防潮堤,高速道路や高架鉄道を堤防にする,海側には鉄筋コンクリート5階建て以上の建物のみを許可するようにすれば,安全に生きることができます。

 このように歴史に新しい局面をつくる復興を成し遂げたいと思っています。

 経済資源の面で一言触れたいと思います。もしホルムズ海峡が封鎖される事態と,原発を全部停止するという事態が同時に起れば,日本は完全にパニックです。原発の安全性を高めて,安全度の極めて高いものをしばらく使うことにすべきだと思います。

 GDP200%以上の赤字を積み増して5年以上放置すれば,日本はマーケットによって破滅させられると思います。復興予算について与野党が合意したように10%増税も与野党合意しなければ日本は破滅すると思います。

 最後に,国防についての中国の台頭について一言申し上げます。GDPが世界第2位となった中国の台頭はドイツより巨大です。海洋権益を強引に獲得しようとする行動も目立ち,日本としてどう対応するかは極めて重要な問題です。