卓話


サトウサンペイ流スランプ脱出法

2013年1月16日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

元朝日新聞社 記者
池辺 史生氏

 私は朝日新聞の記者をしておりました。所属は主として週刊朝日の編集部でした。現役中は一記者として働きましたが,定年退職後も取材執筆の仕事を続けることができて,たいへんに幸せだと感じております。

 現在は「ロータリーの友」編集部からの依頼で,全国各地のロータリアンにお目にかかり「この人,この仕事」を紹介する記事を担当しております。この記事は,もう一人,宮本貢氏と隔月に交替で執筆しております。

 他に,私は朝日新聞で連載した「フジ三太郎」を電子書籍にする仕事のお手伝いをしています。「フジ三太郎」はサトウサンペイ氏の作品で,26年半にわたって朝日新聞の夕刊,のちに朝刊に連載された漫画です。

 サンペイさんが週刊朝日に「夕日くん」という,見開き2ページのカラー漫画を連載しておられたころ,私がその担当であったという縁があり,サンペイさんとは,それ以来の長いお付き合いをしております。

 私が,アルツハイマー病でぼけた父親と,パーキンソン病で歩けなくなった母親の介護記録「アルツハイマー・パーキンソン病老人看病記」を週刊朝日に連載した時にサンペイさんに挿絵を描いていただきました。サンペイさんの挿絵のお陰で紙面全体が明るくなり,たいへん感謝いたしました。

 サンペイさんが67歳の時に,私はサンペイさんに「パソコンをやる」ように薦めました。その後,1年半程して,サンペイさんが『パソコンの「パ」の字から』という入門書を執筆しました。この本はすごく売れました。

 「フジ三太郎」の連載開始は,東京オリンピックの翌年,昭和40(1965)年の4月1日です。以来26年半,平成3(1991)年9月,サンペイさんが62歳のときに連載は終了しています。以後20年あまり,サンペイさん自身は,83歳になった今もお元気です。

 昭和の漫画家としては,「のらくろ」の田河水泡さん,「フクちゃん」の横山隆一さん,「サザエさん」の長谷川町子さん,などの天才がおいでです。他にストーリー漫画の手塚治虫さんの名も挙げることができますが,サトウサンペイさんも,昭和を代表する漫画家だと思います。

 サンペイさんの活躍期は,所得倍増,高度成長の時代,昭和の全盛期と重なります。今日の会場にいらっしゃる会員の方々も,毎朝,新聞を開いて「フジ三太郎」に目を通して,ニヤリ,クスリと笑ってから会社にお出かけになったのではないかと思います。

 サンペイさん自身は,世の中の流れや若い人の感覚についていけないと感じられたようで,サラリーマンに定年があるのだから,漫画家にも定年があっていいじゃないかと,あっさりと身を引いてしまったように記憶しています。

 連載の終了は1991年。ちょうどバブル経済が崩壊し始めた時期というのが,とても暗示的だなと,私は思っています。

 「フジ三太郎」を電子書籍の形にして残そうという仕事の中心になっているのは蜷川真夫という人です。蜷川氏は元朝日新聞の記者で,「アエラ」の編集長をした後,J-castという会社を立ち上げました。そこで電子書籍化の仕事をやっています。

 漫画だけでは寂しいということで,付録として,サンペイさんの一代記を載せようということになり,サンペイさんの生い立ちから,大丸の宣伝部員時代の思い出,漫画家としての苦労,海外旅行でのドジ話など,一切合財を語ってもらい,それをインタビュー記事として掲載することにしました。

 電子書籍は全27巻の予定ですから,付録のインタビュー部分も27本必要です。私がそれをお手伝いしているのですが,昨晩で25本が終わりました。後2本を書くために,いま頑張っています。春には発売の予定です。

 どの巻の話もたいへん面白いのですが,今日は「サンペイ流スランプ脱出法」に絞ってお話しします。これは,サンペイさんが若いころに,お付き合いのあった評論家の大宅壮一さんから教わったスランプ脱出法です。

 スランプを脱するには「本を読むこと,人に会うこと,旅に出ること,この三つが欠かせないね」と大宅さんが言ったそうです。

 当時,サンペイさんは「そうか。本を読んだり人に会ったりして,新しい知識,新しい情報を得るのだな」という程度に思っていたけれど,後になって,大事なのは,本を読み,人に会って得られる「感動」なのだということを悟ったそうです。

 旅に出て何日か経つと「日頃のリズムが崩れて,ゆったりしてくる。何となく心がはしゃいでくる。そうすると,自分も童心に帰って,いろいろなものが感じやすくなり,感動もしやすくなる」と,サンペイさんは言っていました。

 サンペイさんが,オーストリアのインスブルックを旅して,市の郊外のホテルに着いたとき,あまりに美しい景色だったので,一面に花の咲き乱れる,なだらかな野原を散歩したそうです。

 夕暮れの空には,アルプスが白く浮かんでいます。雪解け水が流れる川面を眺めていたら,突然,後ろの方で喚声があがりました。振り返ると5〜6歳の子供たちが10人ぐらい,サンペイさんを驚かそうと思って,ワーッと声をあげたのです。

 サンペイさんは,たしかここはドイツ語圈だったなと,「イッヒ,メッチェン」と言ったそうです。「ナイン,ナイン(違う違う)」と,子どもたちは,首を振って大笑いです。

 少し静まったところで「イッヒ,ユングフラウ」。ユングフラウは山の名前ですが,若い娘の意味ですから,子どもたちは,またゲラゲラ笑う。最後にもう一つ,フロイラインという言葉を思い出したので,「イッヒ,フロイライン」とやって,もう一度大笑いさせてから,「アウフヴィーダーゼーエン(さよなら)」をしたそうです。

 しばらく歩いて,もうすぐホテルという所まで来ると,またワーッという喚声があがったので,振り返ると,さっきの子どもたちが駆けてきた。手を後ろに組み息を弾ませている。なかでいちばん腕白そうなのが,「アイン・ツバイ・ドライ」と号令をかけると,みんなが後ろ手にしていた手をパッと前に突き出した。それぞれ,その辺に咲いていた花を摘んで作った花束を手にしている。赤,白,黄色,ピンク,紫…,いろんな色の花束。サンペイさんはジーンとなったそうです。嬉しくて感動したという。旅に出るということを薦められたのは,こういうことなのだと気づいたということです。

 本について言うと,サンペイさんは40歳過ぎてから,「赤毛のアン」を薦められて,読んでいます。11歳で,これ程までに想像力豊かな少女がいるのだという感動が強く,この少女に負けてはいけないと,思わず机に向かったそうです。私も,今でも時々,繰り返して読んでいますが,いつも新しい感動を得ています。

 人に会って,人と話せばいろいろな感動や刺激を受けます。サンペイさんは「自分よりボルテージの高い人と会うと,翌日は不思議にいい漫画が描ける」と言っていました。

 サンペイさんは「金光教」の,熱心な信者でもあります。金光教は「物事を好い方に好い方に考えると,神に近づいていく」と教えています。逆に「悪いように考えると,それは鬼である」と教えます。人間はなかなか,好い方ばかりに考えられず,「神と人の間」を行ったり来たりしています。そこに文学や漫画が成立するわけです。

 私は,この数年間,全国各地のロータリアンにお会いしています。それぞれ,ボルテージの高い方々ですから,お目にかかるときは緊張するのですが,お話を伺う程に感動することが多々あります。

 そのような方々の魅力や仕事ぶりを,なんとか読者に伝えたいと思って,毎回苦労していますが,この年になっても,そういう苦労をしているお陰で,元気を保ち続けることができるのだと思っております。

 私の個人的なことをお話しすれば,十年ほど前に直腸ガンで手術しましたが,いまだに,草野球でピッチャーやキャッチャーをやっています。テニスもスキーも大好きです。

 このような体力を保っているのは,ロータリークラブとのご縁ができてから,ロータリーの方々とお会いして,エネルギーを頂いているからだと,常に思っています。

 今日は大変緊張しましたが,その緊張感によって私自身が元気づけられています。そして私はそのことに感謝しております。