卓話


次世代の日本を創る 最先端バイオテクノロジーと斬新な教育システム

2013年2月6日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長
慶應義塾大学環境情報学部 教授
冨田 勝 氏

 先端生命科学研究所は山形県鶴岡市にあります。慶応義塾150年の歴史の中で,初めて関東の外に創ったキャンパスです。

 2000年の夏に,私は当時の塾長から,所長に任命されました。「研究内容も人事もゼロから冨田君の思ったとおりに考えてください」と,42歳の私に委ねてくださいました。それから13年の間,私はこの研究所を成功させることが日本を変えることになるという、強い信念を持って仕事をしてきました。

 今日の私のポイントは三つあります。
1)真に独創的な研究は、都会ではできない。都会だと「優等生的」な研究になってしまう。
2)地方活性化の切り札は「知的産業」の創出である。我が国はコスト競争で勝てない以上、知恵を絞って高くても売れる良いものを作るしかない。
3)日本の教育システムはみんな「優等生」ばかりを目指してしまう。そこに日本停滞の原因がある。

 まず,先端生命科学研究所(先端研)の独創的な研究を三つ紹介します。都会では思いつかないようなユニークな研究なので,それぞれテレビの特別番組にもなりました。
(※卓話はそれぞれの実験場面や状況などの映像を放映されながら進められた。)

●唾液分析による「がん」の診断
 先端研が独自に開発した世界最先端の分析技術で唾液サンプルを分析すると,わずか一回の測定で、唾液中の数百種類の物質の量がわかります。そのうち5つの物質の量に,がん患者と健常者の間で大きな差があることが判明しました。その物質を測ることで、膵臓がんで99%,乳がんで95%,口腔がんでは80%の確率で見分けることができます。実用化への道のりはまだまだ遠いですが、いつか必ず唾液によるがん診断を世界に先駆けて実用化したいと思います。

 この分析技術は「メタボローム解析」といい、私たちの研究所の主力の技術の一つです。いろいろな賞を頂きました。特許もとりました。文科省から「日本が外国に勝てる技術」の一つに選んで頂きました。

●オイルを生産する藻の研究 〜次世代のバイオ燃料
 2008年から先端研と大手自動車メーカーと共同研究を行い,オイル産生藻の一種「シュードコリシスティス・エリプソイデア」がオイルを作る仕組みを明らかにしています。この藻は単細胞生物で、水と光さえあれば、二酸化炭素を吸収して軽油を生産します。

 次世代のバイオ燃料として世界でも注目されています。サトウキビ,トウモロコシといった地上植物に比べて,面積あたりのエネルギー効率は10倍から20倍です。畑が不要で,また食糧とバッティングすることもありませんので,それが原因で社会問題になることもありません。

●クモ糸の人工合成 〜次世代バイオ素材の実用化に向けて
 クモの糸は夢の繊維といわれています。強くて,軽くて,耐熱性があり,伸縮性があり,石油非依存で,生分解性。そんなクモ糸を人工的に合成することに成功しました。

 まず,クモの遺伝子を解析して,糸を作る遺伝子を取り出し,その遺伝子をバクテリアの中に組み込んで培養します。こうして出来たバクテリアから抽出したタンパク質が「人工クモ糸」の材料になります。

 この技術でスパイバー社というバイオベンチャーを鶴岡市に立ち上げたのは、慶應大学の学生です。社長の関山和秀君と技術担当取締役の菅原潤一君がこの研究に着手したのは,それぞれ大学4年,大学2年の時でした。その当時,既にアメリカの国防省やNASAが手掛けていましたが,うまく進んでいませんでした。それを大学生がゼロからプロジェクトを始めたってうまくいくわけがないと、まわりの大人たちは嘲笑していました。しかし5年ほど研究開発を続け、ついにクモ糸の人工合成に成功したのでした。まわりの大人たちは手の平を返したように絶賛し、「第9回バイオビジネスコンペJAPAN」で最優秀賞を受賞したり、「科学技術への顕著な貢献2010(文科省・科学技術政策研究所)」で表彰されたり、いまや彼らは「時の人」となりました。

 新素材としての「合成クモ糸」は実用化まであと少しです。ターゲットは洋服の生地ではなく,車や飛行機のボディや部品の補強材です。軽くて強くて伸縮性がありエコでもあるという理想の新素材なので,様々なメーカーと開発を試みており,鶴岡にプラントを建設する計画も進んでいます。

 何年か前に通産省が発表した「光る大学発ベンチャー20」の中に,このスパイバー蠅函い發Γ閏辧な析をビジネスとするヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ蠅痢慶應鶴岡発ベンチャー2社が両方とも名前を連ねていました。

 鶴岡市には上場企業が一つもありませんので、もしどちらかの会社が上場すれば,鶴岡市唯一の上場企業ということになります。このように、地方活性化のために真に重要なことは、企業誘致ではなく、ゼロから知的産業を創出することだと思います。戦後の日本を支えてきたホンダ、ソニー、松下はみんなゼロからのベンチャーだったことを忘れてはいけません。

 次に,教育についての私の信念を,2012年の実践例を示しながらお話しします。
●高校生研究助手
 研究所の作業の中には、高校生でも貢献できることが沢山あります。高校生にできることは高校生にやってもらおう、ということで2年前から始めたのが「高校生研究助手」の採用制度です。今年度は先端研に隣接する山形県立鶴岡中央高校の生徒12名を採用しました。

 生徒たちは平日の放課後に研究員の一員として勤務します。大学と高校が連携を図り,高校生が研究の現場で,助手として働く制度は,世界的にみても珍しい取り組みです。

 若い時から最先端科学の研究現場に身をおいて自分を磨いてほしいというのが私の願いです。

●ノーベル賞級研究者を夢見る高校生の受け入れ制度
 研究助手とは別に、世界的な研究者になることを夢見る高校生を十数人,特別研究生として受け入れています。特別研究生の高校生たちは平日の放課後や夏休みなどの長期休暇を利用して,独自の研究に取り組みます。

 高校生の研究を手助けするのは鶴岡に在住する慶應の大学生です。彼らはみんな高校生の研究に大きな期待を寄せています。これこそまさに福澤諭吉がいうところの「半学半教」なのです。

 今の高校生の多くは、受験勉強に明け暮れています。マークシートのテストでどうやったら一点でも多く取れるかということに親も子供も先生もフィーバーしてしまっている。そんな今の日本の教育システムでは,世界に通用する人材を育てるのは難しいと思います。

 私は、科学に興味をもつ優秀な高校生には、テスト勉強ではなく、好きな研究に没頭できる環境を整えてあげることこそが、将来の日本を担う人材を育成するために必要なことだと確信しています。

●高校生バイオサミットin鶴岡
 毎年8月,鶴岡市と先端研が共同で「高校生バイオサミットin鶴岡」を2日間の日程で開催しています。バイオサイエンスに興味をもつ,全国約150人の高校生が,日ごろの研究成果を発表します。昨年は秋田から熊本まで全国から合わせて41グループが集まりました。発表では審査員の先生から鋭い質問が飛びます。初日の研究発表で高く評価された上位のグループが,翌日の決勝発表に進みます。なので発表では生徒たちも審査員もまさに真剣勝負で、妥協のないやりとりが続きます。でもそれが真のサイエンスの楽しさなのです。研究は難しいものではなく楽しいものだということを,高校生の段階で知ることで,サイエンスの世界はさらに広がります。そしてこれらの高校生の中から,世界に羽ばたく科学者が生まれることを私は心から期待しています。

●まとめ
 冒頭でも申し上げたように,独創的なアイディアは都会では生まれにくいと考えています。みんなで何かに集中するために合宿をするときは、軽井沢とか那須とか必ず郊外へ行きますよね。自然豊かな所で,いい空気を吸ってリラックスすると,いいアイディアが出てくる、ということは日本人はみんな知っているのです。にもかかわらず、日本では大学や研究所が首都圏に集中している。これは実にナンセンスだと思います。中央(東京)に寄り添っていないと「主流」から外れることになってなんとなく心配だ、という日本人の群れたがるメンタリティーを良く表していると思います。

 世界では、一流と言われる大学や研究所のほとんどは大都会ではなく田舎の郊外にあるではありませんか。鶴岡から世界に通用する研究成果を沢山出して,日本の教育とサイエンスのあり方を変えていきたいです。

 鶴岡(庄内)には「花よりも根を養う」という言葉があります。今の日本に足りないのはまさにその考えではないかと思います。政治家も経営者も投資家も、せいぜい5年ぐらい先しか考えていない人が多いですが、次の世代、つまり30年後のために自分に何ができるか考えて行動する、そんな高い志を持った若者を育成し支援する必要があります。我が国の唯一の資源は「人」ですから。