卓話


職業奉仕月間例会
人生を変えてくれたロータリーの奉仕の理念「決議第23-34号」

2023年1月18日(水)

(株)アオキ
代表取締役 青木伸翁氏(越谷東RC)


 

 自分の人生に大きく影響を与えてくれたことが三つあります。1つは妻の病気、2つ目はバブルがはじけたときの不景気、そして3つ目が「ロータリーの奉仕の理念」です。 簡単に初期ロータリーの歴史を辿ってみます。

 ロータリーは1905年にアメリカ・シカゴでポール・ハリスと友人3人により創立され、当初の目的は二つ、会員の利益の増大と親睦でした。しかし、1年もするとドナルド・カーターの事件が起きます。ある会員が、カーターに入会の勧誘をします。「ロータリーって友達はたくさんできるし、会員同士が原価で取引をしてお金儲けにもなる。一業種一会員のルールだけど、貴方の職業分類はまだ誰もいない。ぜひ入会してください」

 しかし、それを聞いたカーターは、「自分たちだけが良い思いをしてそれ以外の人たちのことを考えないようなクラブは、そんなに長くは繫栄しないと思います。私はそんなクラブには入りません」と断り、ポールに報告をしました。ポールは流石です。「確かにそうだ。自分たちだけのことを考えていたのではいけない。対社会的に何か良い事をしなければいけない」と気づきます。

 ポールは07年、会員の利益の増大と、親睦を謳っていたシカゴクラブ定款の目的に、「シカゴ市の最大の利益を増進し、シカゴ市民としての誇りと忠誠心を市民の間に広める」を加えました。我々はこれを「奉仕概念の芽生え」と呼んでいます。

 そして、様々な奉仕活動が始まりました。一番有名なのが「公衆便所設置運動」です。当時のシカゴの街は、町を歩いていて用を足したくなった時、男性はバーに入ってビールの一杯でも注文してトイレを借りる、女性はデパートなど店に入り何がしかの物を買ってトイレを借りるというように、大変不便でした。そこで、クラブ財源と、最終的にはシカゴ市から用地と2万ドルの補助金を得て、07年から09年にかけて市内2か所に設置しました。

 初期のロータリアンは、困っている人、救済を求めている人達に、その求めるものを与えることをもって奉仕と考えたのです。「弱者救済、与える奉仕、恵む奉仕」でした。

 それに対し、16年に小冊子『ロータリー通解』を書き、23年に国際ロータリーの会長を務めたガイ・ガンディカーが反論しました。「ロータリーの奉仕は、困った人の前に困った人の求めているような物を置いてくるような、即物的なことを意味するのではない。ロータリーの奉仕とはこの世の中で起きているありとあらゆる事象に対し、千変万化に対応できるその基になる『奉仕の心』のことを意味する」

 08年、シカゴクラブに入会しロータリーに「職業奉仕の理念」をもたらしてくれたアーサー・フレデリック・シェルドンも、素朴で善意のロータリアンたちに厳しく原理的批判を浴びせました。

 シェルドンやガンディカーの原理的批判は、「社会の制度に落ち込んで救済を求めている人達にその救済策を講じることは決して悪いことではない。また、誰かがやらなければならないことではあるが、それは少なくともロータリーの本体的奉仕ではない」というものでした。「ロータリーは一業種一会員制で奉仕する人も少なく、資金もない。したがって、困っている人達すべてを助けることはできない」からです。

 シェルドンは、「ロータリーは一業種から良質な人を一人とる。その良質な人は『自他を分かたぬ思考がある人』であり、自他を峻別するのではなく自他を包摂することが出来る人のことだ。良質な会員が例会に出席し、自己研鑽に励み、会員同士で切磋琢磨する、そうすることにより『奉仕の心』が育まれる」と言いました。

 1920年に日本で最初のロータリークラブを作った東京クラブ初代会長・米山梅吉さんが「ロータリークラブは奉仕クラブではない、ロータリークラブは人生の道場だ」と言っているのはこのことからです。

 実は1910年以降、これとは別の胎動がありました。ロータリーの奉仕は、原則として精神的・個人的・非金銭的です。このような考え方は1910年から15年にかけて完成しました。この胎動といわゆる伝統的理論との間の葛藤から生まれたのが決議第23−34号です。

 胎動とは、当時全米中に起こっていた「身体障害者養護学校設立運動」です。最も有名なのがオハイオ州のエリリアRCの運動です。17年、エリリアクラブの医師、エドガー・アレンがクラブ財源を使ってこの運動に参画します。アレンが素晴らしかったのは、学校設立のノウハウをこの運動に参画する人たちに分けるため「全米身体障害者養護協会」を設立したことです。後にアレンは、ダディー・アレンと呼ばれ、大変尊敬され慕われました。

 このアレンに、理論派と呼ばれるガンディカー、シェルドンらが原理的批判を浴びせたのです。アレンは理論武装が出来ていなかったため反論が出来ませんでした。そして、その批判は5年間も続きました。

 22年、アレンは国際ロータリーの名誉会長に就任していたポール・ハリスに手紙を書きます。それに対する返事が残されています。返事の骨子は3つでした。

1.あなたを責めるロータリーの理論が間違っているとは思わない。
2.かといって、あなたが実践している奉仕がロータリーに反しているとも思   わない。
3.ということで、来年開催されるセントルイスの国際大会の場で、この両者を調和する案を提案しましょう。

 23年のセントルイスの国際大会は、ロータリー分裂の危機とまで言われた激論が交わされた大会です。その末に出来たのが決議第23−34号です。これを書いたのは、後に国際ロータリーの会長を務めるウィリアム・R・メーニアJrとシカゴクラブのポール・ウエストバーグでした。彼らには二つの大きな目的がありました。

1.ロータリーの原理の世界は様々な葛藤があったが、この原理的思考錯誤をこの国際大会の決議をもって解決すること。
2.アレンが行ったような、団体的・金銭的奉仕をロータリーの正当な奉仕の一つとして組み入れること。

 決議23−34号は、現在のタイトルは「社会奉仕に関する1923年の声明」となっていますが、当時は「綱領に基づく諸活動に関するロータリーの方針」でした。社会奉仕のみならず、職業奉仕、国際奉仕、青少年奉仕、すべての活動について書かれており、1項から5項までが総論、第6項でクラブが行う金銭的、団体的奉仕の準則が書かれています。

 第2項にはロータリークラブのやるべき4つがあり、私はその第1にショックを受けました。

 『第1に、奉仕の理論が職業および人生における成功と幸福の真の基礎であることを団体で学ぶこと。』

 本当にそうならば、これを学んで自分のものにしない手はないなと素直に思いました。 そして、第1項を紹介します。

 『第1項 ロータリーは、基本的には一つの人生哲学でありそれは利己的な欲求と義務およびこれに伴う他人のために奉仕したいという感情とのあいだに常に存在する矛盾を和らげようとするものである。 

 この哲学は奉仕―「超我の奉仕」−の哲学であり、これは「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」という実践的な倫理原則に基づくものである。』

 2010年になって、国際ロータリー規定審議会はこの第1項をもって奉仕の哲学と定義するとしました。

 人には、まず、自分が良くなりたいという心があります。一方で、誰の心にも周りにいる自分以外の他人にも良くなって欲しいという心があります。この二つの心を調和するのが我々の奉仕哲学、奉仕の理念なのです。「超我の奉仕」と「最も良く奉仕する者、最も多く報いられる」、私はこの2つに出会い、自分が救われたと思いました。そして、人生を変えていただきました。

 The Ideal of Service、我々の奉仕の理念は2つです。「物事の最初にサービスを置くものである」(ポール・ハリス)、「サービス第一、自己第二」(米山梅吉)です。 最後に、1911年の全米ロータリークラブ連合会大会でのアーサー・フレデリック・シェルドンの演説の抜粋を紹介します。

 『経営学とは奉仕学のことに他ならない。即ち、奉仕に徹する者に最大の利益あり。いかなる制度にもあれ、事の成否は一にかかって奉仕の実践者の行動の総和如何による。

 広い意味において、人は皆セールスマンなのである。即ち一人一人、他者に対して売るべきものを持っていない者はないのである。但し、それが労務であるか、または商品であるかの別があるだけのことである。

 広い意味において、人生の成功は単なる幸運や偶然性のお蔭によるものではなく、自然の法、即ち、精神的、倫理的、身体的及び高次の精神的法の支配に服するものである。これらの法の全ての命ずるところに従って行動を行えば、至上の成功を勝ち得ること必定である。

 天地の理法は、森羅万象の背後に普遍的思想があるとの認識の深まりであり、人類連帯の自覚、万物帰一、本来人類皆同胞の自覚のことであって、この次元に立てば、企業の場であると否とにかかわりなく、奉仕に徹する者に最大の利益ありと言うことの本体を会得することができるのである。』

 私の愛車のナンバーは、23−34です。今日もこの車に乗ってきました。ご静聴ありがとうございました。


     ※2023年1月18日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。