沿革


関東大震災とRIの救援活動

1923年

 東京RCの創設当初は、活動に対する会員の関心も薄く、時には例会の存続も危ぶまれるほどであった。そのクラブに活を入れたのは、幸か不幸か、1923年9月1日に起きた関東大震災である。「東京全滅」との凶報が海外に伝えられると、まもなく各国から救援の手が差し伸べられた。国際ロータリーからは、ガイ=ガンデーガー(Guy Gundaker)会長の見舞い電報とともに2万5,000ドルが贈られてきたのをはじめ、シカゴから1,500ドル、ニューヨーク、サンフランシスコから、それぞれ1,000ドルなど、続々と義捐金や救援物資が到着。そのクラブ数はアメリカ、イギリス、カナダをはじめ503クラブに及び、RIからの74,216円(36,269.82ドル)を筆頭に金額は8万9,161円に達した。<1970年当時の貨幣価値で3億円ほど>

 この義捐金によって、わがクラブは大がかりな社会奉仕活動を実行することになった。

 まず、東京市の孤児院の敷地内に、別棟「ロータリーの家」を新築のうえ、寄贈することを決定、さらに東京、横浜の消失小学校188校への備品送呈、ある会員管理の消失産科医療病院への寄付、殉職警察官遺族への援助などを繰り広げた。これらは被災者救援と震災復興の一助となった。

 奉仕の喜びを経験した会員たちは、改めてロータリーの力を認識し、その発展を念願するようになった。これによってクラブ運営も一新され、それまでは月に1回だった例会も毎週水曜日に開かれることになった。

 なお、残念なことに、「ロータリーの家」は、のちに戦災で消失してしまった。