沿革


第2回都市連合会

1927年10月

 都市連合会(インターシティ‐ミーティング)は、当時、ロータリー機構のなかで極めて重要な位置を占めていた。1926年5月の大阪に続き、その第2回大会が翌年10月22日〜23日、わがクラブ主催により東京で開かれた。

 日本には、その頃、東京をはじめ6都市にロータリークラブが設立されていたが、東京の86名をはじめ、横浜11名、名古屋13名、京都15名、大阪19名、神戸7名など会員151名が出席。家族101名を加えると、参加者は252名に及んだ。

 会ではさまざまな行事が繰り広げられた。第1日は議事終了のあと、上野の美術展、三越百貨店を見学し、明治神宮に参詣。夜は東京会館での盛大な晩餐会のあと、帝国劇場で観劇を行なった。第2日は4台のバスを連ねて箱根を遊覧、富士屋ホテルで昼食をとり、歓談した。

 第2回都市連合会には、はじめてたくさんの家族が参加した。英語によるロータリー歌の斉唱が行なわれたが、これには会員より家族のほうが熱心で、また上手だったようである。 次の会は翌年5月、名古屋で開かれたが、同年7月には日本は国際ロータリー(RI)の第70区となり、米山梅吉が初代ガバナーに選出された。したがって、その後の都市連合会は、地区大会として発展を遂げることになる。