沿革


第2回太平洋地域大会

1928年10月

 太平洋地域大会の目的は、太平洋沿岸にある各国のクラブが集まって国際親善を図るとともに、世界平和に貢献しようとするものである。最初の大会は1926年5月、ハワイのホノルル。次いで第2回大会が、わがクラブの主催により東京で開かれることになった。

 東京RCでは、他からの応援もあわせて、わずか170名の会員により準備にかかり、会場の確保、招待プログラム編成をはじめ、英会話、ダンス教室、ロータリーソングの練習にいたるまで万全を尽くした。海外からの参加者のため、米国方面へ大洋丸を、豪州方面へは安芸丸を特約した。

 大会は1928年10月1日から4日間、帝国ホテルで開かれた。大会参加者は、海外から親日家のトム=サットン(Tom Sutton)RI会長夫妻をはじめビジター109名(会員51名、家族58名)、国内参加者459名(会員233名、家族226名)にのぼった。議事は第70区ガバナー米山梅吉の司会のもとに進行。第1日目の午後には、参加者全員が田中義一首相主催の茶会に官邸に招かれ、また、晩餐会には東久邇宮殿下のご臨席をいただいた。その間、家族もまた、東京見物、舞踏会、観劇、明治神宮参詣などを通じ、大いに国際的な親善を深めた。

 大会の成功は東京RCの評価を高めた。と同時に日本のロータリー運動も多大な刺激を与えられ、発展の道を辿るのである。その前途には、日本を取り巻く複雑な国際情勢が横たわっていたが……。