沿革


日満ロータリー連合会の設置

1939年7月

 ポール=ハリス(Paul Harris)をあわただしく歓迎した東京RCには、その後、苦悩の歳月が待っていた。1936年2月には二・二六事件が起こり、翌年7月には蘆溝橋での衝突を機に日中戦争が開始された。戦火はさらに拡大し、1941年12月の対米開戦へとつながっていく。

 こうした情勢のなかで、日本のロータリー運動は各種の誤解と批判に晒されるところとなった。国際団体であるというだけで「反戦的」「亡国的」だと言われ始めた。この非難を受けて、わがクラブでも、これからのロータリーはいかにあるべきか、真剣な論議が重ねられた。その結果つくられたのが日満ロータリー連合会である。日本と満州だけの独自の組織を結成し、国際ロータリーからは独立した運営を図ることで、外部の誤解と批判をやわらげ、動揺する会員の気持ちを抑えようとしたのである。

 かくして1939年7月、曲折はあったが、国際ロータリーの了承も得て、日満ロータリー連合会が設置されることになった。それまでの第70区を3地区に分割。新しい第70区には東日本(名古屋以東)の20クラブが、第71区には西日本及び台湾の19クラブが、そして第72区には朝鮮・満州の4クラブが所属した。なお連合会会長には米山梅吉が就任した。

 連合会の第1回年次大会は、1940年5月、横浜で開かれ、ロータリー綱領の改訳、皇軍に対する感謝、傷病兵慰問などが決議された。