沿革


水曜クラブの例会

1941〜45年

 東京RCの会員たちは、組織解散後も会合を続け、2カ月後の1940年11月15日、新しい組織として水曜クラブをつくることを決めた。12月4日の設立総会には、かつての会員190名が参加。従来通り奉仕の精神で臨むこととなったが、国際ロータリーとの関係は断たれており、地区大会なども開かれるわけではなかった。なお、他の都市においても同様で、名称のちがいはあったが、同じ精神と目的でクラブ活動は行われていた。

 水曜クラブ発足から最初の2年のあいだは比較的平穏に過ぎ、毎週水曜日には例会を開くことができた。一時消えていたバースデーケーキも復活。1941年2月には、ロータリーの創立を記念して、ささやかながら家族会が開かれたほどである。出席率もはぼ7割を維持することができた。

 しかしながら1941年12月、日本は太平洋戦争に突入。そのため、物資の統制は強化され、週報用紙の入手すら困難になる。会員の誕生祝いにはバースデーケーキに代わり水飴を贈ることになったが、それすらやがてできなくなってしまう。さらに1945年5月には、会場の帝国ホテルが罹災したため、例会も一時中断。場所を日本工業倶楽部に移して再開したものの、出席者は、それぞれ弁当持参というありさまであった。

 戦時中の奉仕活動は、主に傷病兵や留守家族の慰問、孤児の救済にそそがれた。