沿革


国際ロータリーへの復帰運動

1946〜48年

 1945年8月15日、戦争は終結した。水曜クラブは細々と例会を重ねていたが、やがて誰からともなく東京RCの再建と国際ロータリーへの復帰の希望が語られるようになった。まもなく、それは東京ばかりでなく、全国的な運動に発展した。

 1946年1月、東京水曜クラブの小松隆会長は、GHQのバラード(Ballard)大佐に託して書簡を国際ロータリーのラブジョイ(Philip Lovejoy)事務総長に送り、復帰への強い希望を伝えた。5月になって返答を得たが「今は確答できない、希望は記録にとどめる」とのことであった。翌年3月には、全国的な規模でロータリー復帰協議会が結成された。世話役は、わが水曜クラブが引き受けた。しかしながら、いっこうに前進を見ぬまま、さらに1年半余の月日が流れた。

 マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥の副官バンカー(Bunker)大佐から吉報がもたられされたのは、1948年9月になってから。ミッチェル(Sir Argus Michell)RI会長の命を受けて、ジョージ=R、ミーンズ(George R. Means)が事情調査のため来日したというのである。ミーンズは東京のほか神戸、大阪、京都に旧ロータリークラブをたずねていったん帰国したが、翌年3月に再び来日。GHQ顧問のダーギン(R. L. Durgin)と日本にロータリーを再建するため、会談を開始した。焦点は公職追放者の処置にあったが、経済追放者まで除名してはクラブが成立しないという日本側の懇請が受け入れられた。

 ミーンズの理解と配慮によって、日本のロータリー運動は戦前からの指導者を失うことなく再出発の道を歩むことになったのである。