沿革


東京ロータリークラブの承認

1949年3月

 国際ロータリーへの復帰の条件は、(1) 水曜クラブを解散すること、(2) 国際ロータリーの定款細則を厳守すること、(3) 国際ロータリーへの義務を完全に履行すること、であった。

 かくして東京では、1949年3月23日、水曜クラブを解散し、ロータリークラブを結成することになった。会長には小林雅一、副会長にダーギン(R. L. Durgin)、幹事に田辺元三郎が就任した。東京に次いで京都、大阪、神戸、名古屋、静岡、札幌が決まり、この7クラブをもって新たに第60区を形成することになった。

 東京RCのチャーター伝達式は、4月27日、日本工業倶楽部で行なわれ、ミーンズから小林会長にチャーター(番号は従来のまま855番)が手渡された。式には名誉会員となったマッカーサー元帥からステートメントが寄せられ、吉田茂首相も出席して祝辞が述べられた。

 復帰後の第60区ガバナーに選ばれたのは手島知建である。彼は日本ロータリーの再建を「戦後の日本における最も幸せな出来事」であると語り、6月1日、国際協議会への出席のため、羽田を飛び立った。事実、戦後の日本で、国際団体への復帰、加入が許されたのは、宗教関係団体をのぞけばロータリークラブが最初である。わがクラブは、戦後の混乱のなかから、幸せな再出発をしたといえよう。

 だが、東京RCの創設者・米山梅吉は、すでに1946年4月、日本のロータリー復帰をみることなく、郷里の沼津で逝去していた。