沿革


第60区年次大会

1951年4月

 国際ロータリー(RI)復帰後の第1回地区大会は、1950年に京都で行われ、その第2回大会は翌年4月7、8日の両日、東京で開かれた。この大会は、わがクラブのみならず前年結成された東京南・北両RCともども3クラブ連合の主催で執り行なわれた。第60区のクラブ(及び会員)数は、京都大会の時には30クラブ(1200名)であったが、わずか1年のあいだに2倍ちかい53クラブ(2100名)に急増。それだけに東京大会は、1447名の参加を得て実に賑やかな大会となった。

 大会第1日は上野精養軒で開催。午前の議事のあと、午後からは第60区奨学費により日本に留学することになった米国青年R=ビュートー(R. Butow)君と、日本から米国へ留学する中村貞子さんが、それぞれ日本語と英語で挨拶を述べ、満場の喝采を浴びた。晩餐会には、高松宮、三笠宮両殿下をお迎えして、階上、階下に分かれた立食パーティーが行われた。

 第2日は日本工業倶楽部で各種講演や決議ののち、午後から家族ともども歌舞伎座に6世中村歌右衛門の襲名披露と銘打った大歌舞伎を総見。また、この日、家族は、成増グランドハイツに駐留米軍の家庭を訪問し、地域内の学校、病院、教会、食堂、購買組合、保育所などを見学した。

 この年9月には対日講和条約が調印された。