沿革


米山記念奨学基金の設立

1952年12月

 米山記念奨学基金の目的は、日本のロータリーの創設者、米山梅吉の功績を記念し、アジア地域から優秀な学徒を日本に招致して学問、技術を研究させようとするものである。

 この制度の成案が可決されたのは、1952年12月。翌年2月には募金計画が決定し、会員有志から1口1千円以上、法人からは1口1万円以上をもって、目標260万円の浄財を募ることになった。おもしろいことに寄付第1号は東京RCの例会の常連であった米国人ウィリー=ネルソン(Willey Nelson)で、募金のほうは順調に進んだが、奨学生の招致は容易ではなかった。

 奨学生第1号に選ばれたのは、タイの青年ソムチャード=ラタナチャタ(Somchard Ratanachata)君。1954年10月に来日して、東京大学農学部で養蚕を学んだ。また、同じ東京大学で水産資源について勉強していたインドの学生イーペン(P. K. Eapen)君が、学資途絶のため帰国しようとしていることがわかったため、奨学金の支給を即決した。次いで、東京水産大学に在中にインド人学生ロイ(A. B. Loy)君についても支給を決めた。

 米山奨学基金は、将来、全国的事業に発展させたいというのが当初からの理想だった。そこで他クラブへの呼びかけを始めたところ、続々と賛同を得て、1958年のロータリー米山奨学会の設立に至る。さらに1967年には(財)ロータリー米山記念奨学会となり、いまや1年間の奨学生数百名という日本ロータリーの大きな国際事業になっている。