沿革


東日本地区連合大会

1965年10月

 東日本地区連合大会の参加者は、8,283名、地区大会としては新記録だった。10月11日、12日、13日の会期中は、大会日和というほどの秋晴れで、ロータリアンは親愛と親睦の集いを満喫したのである、東京RCの田誠大会委員長のもと、準備は昨年から周到に進められた、ロータリー60周年祝賀と日本にロータリーが誕生して45年を記念して、国際大会クラスのイベントを目指したので、大会プログラムは異彩を放った。

 地区大会の慣例であった前夜懇談会にかわって、前夜祭が外山雄三氏指揮のNHK交響楽団の演奏で始まり、ベートーベン第5交響曲「運命」でクライマックスを迎えた。

 会場は、代々木の国立屋内競技場。前年の東京オリンピック大会では、水泳競技が行われたプールの上に床を張り、飛込台を特殊技術で覆って音響効果をあげたのである。

 2日目の本会議は、皇太子殿下(現天皇)、ライシャワー(Edwin O. Reisschauer)駐日アメリカ大使、ペティンギル(Charles W. Pettengill)RI会長代理らの祝辞で始まった。3日目は、職業別協議会が開催され、大浜英子氏の講演、豪華な余興が人気を呼んだ。大会決議事項は、RI理事の増員、国花さくらの保護、日本ロータリーの開拓者や指導者への感謝の件であった。台湾やフィリピンからも出席があった。

 前年の東京オリンピック大会の評判が、大会開催上なにかとプラスに働いたようである。