沿革


特別基金の設立

 宮脇冨(みやわき あつし)の尊称は、「ロータリーの生字引」。信念の人でもあった。1968年5月1日、病重く床に伏した際、「出席してこそロータリアン」との信念をまげず、周囲の慰留を振り切って退会、記念に140万円を寄付した。これが今日の東京ロータリークラブ特別基金の核である(当初は、東京ロータリークラブサービスファンドと称したが、1974年7月に改称)。

 宮脇は、同月29日に帰らぬ旅の人となったが、彼の遺志を長く生かすために、「特別基金規則」が、長瀬富郎によって作成された。

 運用は、特別基金委員会があたり、支出の際は社会奉仕委員会と協議し、理事会が承認を与えるという仕組みであるが、おおむね大規模の記念事業や奉仕活動に役立てられる。

 1980年のロータリー創立75周年記念、花水木の全国への贈呈は、東京RCの歴史に残る事業出会ったが、これを資金的にバックアップしたのは、特別基金であった。

 宮脇は、東京RCにおいて縦横の活躍をしたと評されているが、ロータリアンとしてのスタートは、帯広RCである。アメリカで、酪農を学び、帯広畜産大学の学長を務めたからである。  なお、彼はRIからロータリー文献の邦訳決定権を委譲されていた手島知建の後をひき継ぎ、数々のロータリー文献の翻訳にも打ち込んだ。