沿革


東ヶ崎潔RI会長年度

1968年7月

 日本人がRI会長に就任したのは、東ケ崎潔がはじめである。東京RCにとっては、国際的にも国内的にも、目ざましい活躍の時節の幕開けであった。

 RI会長への道は、決して一朝一夕に開かれたのではない。東ケ崎は早くから、国際舞台での経験を積み、RI東京大会では、ホストクラブ会長として名声を高めていた。また、東京RC創立当初の米山梅吉をはじめとする先人たちの実績や、戦後の手島知建、小林雅一らの築いてきた基盤の上に実った栄誉であった。

 1967年のニース大会で正式に東ケ崎潔は、RI会長に選出された。翌1968年6月のメキシコ大会で、新会長とし、「参加し敢行しよう」(Participate!)をターゲットとして、堂々と提示したのである。

 一方、クラブは栗原勝一会長を先頭に、東ケ崎RI会長バックアップの1年を送った。さまざまな新しい試みが、出現している。

 まず、レディスデーが確立されたこと、警視庁に、ロータリーのマークをつけた少年補導車わかくさ1号を寄贈したこと、千代田インターアクトクラブが、ボーイスカウトを母体として結成されたこと、会長選挙を1年前実施と決めたこと、新しいバナーができたこと、財団寄付が500パーセントクラブに達したことなど。

 戦後、RI復帰に尽力したミーンズ夫妻を招き、外国人としては最高の勲三等旭日章授与に力を尽くしたことも、特筆に値しよう。