沿革


玉村文夫,地区ガバナーに就任 

1991−1992

 国際ロータリー第2580地区ガバナーとして,玉村文夫君が指名され,あわせて,地区幹事として藤山覚一郎君が就任した。玉村ガバナーは,「ロータリーは全会員が平等で主張や希望を述べて物事を実現していく環境づくりが大切である。何を言ったかより、誰が言ったかが重視されるような組織ではいけない」として,分区代理職を廃止した。この措置に伴って,地区副幹事をそれまでの3〜4名から10名へと大幅に増やされた。

 山室会長は「特に新しいことをやろうというのではなく,ごく自然に,東京RCの伝統と,世の中の流れ,会員の希望を合わせて微調整する」という方針であった。それを受けて,年間5回のレディスデーは,楽しい会合になるよう意を注ぎ,レディスデー以外の例会への女性参加の呼びかけなども積極的に行われた。

 1992年3月18〜19日,ホテルニューオオタニで開催された地区年次大会は3000名を越える登録者を集めた大会であった。東京RCメンバー森繁久弥君の滋味あふれる記念講演が聴衆を魅了し,当クラブ所蔵の「ポールハリス来日(1935年)」を記録した映画の上映も好評であった。