山から私が学んだもの
2009年1月28日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。
(株)ル・ベルソー 代表取締役
登山家・医学博士
今井通子氏
山から私が学んだものは何か。結論から申しますと,基本的には,自然界の摂理が自分自身のスケール(物差し)・基準になって,「考え方や行動の仕方,その他もろもろが,そこに照らし合わせると,どんな時代であろうと,どんな世界に行こうと,ぶれない」ということを学んだのが,いちばん大きなことだと思います。個々の問題についてみると,「自分の思考能力は,山に入ることによって,かなり発達するのではないか」と思います。
人間は動物です。動物がもっている「脳」は,コンピュータにたとえると,出力依存型のメモリーがインプットされて行動を広げていきます。私たちが頭の中にもっているメモリーは生まれた時から始まって,自分が行動したことによる,ものの蓄積で,しかも,このメモリーは削除がないので,どこかで必ず出てきます。
人工知能をつくるために,脳の回路はかなり研究されていて,人間の行動がパターン化されて脳の中にインプットされているということも脳生理学的に証明されています。
子供の頃に,「動物としての脳」の使い方を 十分にやっていると,その後の行動は,失敗があっても,失敗を繰り返しているうちに必ず成功するようになるといわれています。
千葉大学の坂本先生たちの研究では『3歳から5歳くらいの間に,いろいろなパターンの中で行動した子供たちは「物事は…繰り返しているうちに…必ず成功裏に終わる」ということを体験する。それによって,子供たちは自信を身につけられる』といいます。
何事でも,行動する前に,まず見ます。そして観察して,洞察して,それから行動します。その行動は,次第に別な行動を誘います。それは,創意工夫や発見,発明に広がっていきます。つまり思考能力そのものが発達していくことになるのです。
こうした行動力の拡大は,自分自身の中で,自信として身につくこととして広がることが,その後に生きることのために大切になりますし,また,動物としての行動を,最初は失敗しても,結局は成功させるという過程を通して,動物の生命欲としての自信を深めていくことにもなります。
私の両親は共に医者でした。私の幼いころは,いわゆる戦時中で栄養状態も衛生状態も悪い時代でしたので,両親は,自然の中に子供たちを連れて行くことで,子供の健康を維持しようとしました。
当時,結核の療養は,林間や臨海のサナトリウムでケアするのが普通の時代でした。理由は分からないが自然界の中にいることが,人の体がもっている何かが自然治癒力として働くのだと考えた時代です。そのことを両親は知っていたので,私たちを,山や海の自然の中に長逗留させたのだと思います。こうして,私は両親に,自然との付き合いを習慣づけてもらいました。
加えて,私は,社会の中で何かにチャレンジして,失敗すると,個人のみならず周りに迷惑をかけるが,自然の中で何かにチャレンジしていく場合は,失敗しても,自分だけのことで社会には迷惑をかけないという思いで,自分の全人的なものを試し,つくりあげる場を自然の中に求めました。
そうして,私は山からいろいろなことを学べたと思っております。学べたものは社会に還元していくべきだろうとも考えています。
若い頃は何も考えずに楽しいばかりで,いろんな山に登っていました。人間は本来,難しいものを求めます。対象は次第にステップアップして,次々と登頂しているうちに冬のチョモランマ北壁を目指すまでになりました。
私が関わった登山隊で行くような,海外での山登りは,記録としては,ほとんどが世界初としてのものです。
例えば,マッターホルンの北壁を登ったのも女性パーティとして世界初です。アイガーの北壁も自分たちで作った世界初のルートをつけました。
グランドジョラスの北壁を登って,女性として世界初の3大北壁完登者になりました。ヒマラヤのダウラギリ山にも行きました。ダウラギリの�供Ν掘Ν絞�の縦走登山もやりました。7千メートルを越えたヒマラヤの山での3山縦走は世界初でした。
そしてチョモランマの北壁に行きました。それも冬でした。この山は実は2回失敗しています。チョーオユー山に行った時には,当時40歳代でしたが,世界最高齢者記録というオチもつきました。
私は医師,医学博士,登山家というタイトルをもっているのですが,皆さんからは冒険家という評価をいただいているようです。でも,やはり私の本業は医者です。私がやってきた登山は,幼児の頃からの,ひとつの本能に従った部分でやってきているというような形でやっています。それをやることでスケールがとれていました。
4年前に再度チョモランマに行きましたが登頂はできていません。先に登ったパーティの人が意識不明になるという事件のお陰で,我々のシェルパが緊急に応援したため,我々が出発できなくなるというアクシデントの為でした。
60歳になっても,まだ,チョモランマに行くのは何故だろうと考えますと…。
この年齢になると,全人的な意味での自分の能力がどのレベルにあるかということが分からなくなります。そこで,自分の能力を試す意味で,ギリギリと思える所まで行ってみる。その試薬的な存在として「山」を使っていると感じます。
4年前のチョモランマは春でした。体調は良好でした。最終キャンプに行っても全く問題ありませんでした。
帰国した私は,かなり「ハイ」だったそうです。周りの仲間たちは,「登頂目前での中止」を怒りのパワーにしていると感じたようなのですが,私自身は,「自分はまだまだ通用する体力を持っている」ことでハイな気分でいられたという状況だったのです。
私は,登山を「スケールとしての自然で自分を試す山・友達たちと楽しみに行く山・皆様をお連れする山」に三分しています。
人それぞれに,人体としてのレベルがありますが,ある程度の能力があれば誰でも山に登れます。
私は,働き蜂として仕事に専念していた人たちを山登りというチャンスにお連れすることで,行動の幅を広げてもらったり,思考能力の発達をお助けしたりすることで,社会へのお返しができると思っています。
ある時,リタイアした男性をスイスアルプスにお連れしたことがあります。道程の毎日は無口で,食事の時もあまり楽しそうではありませんでした。ところが最後の日になって「ありがとうございました。これで僕も今後生きてゆけます」と言われて,びっくりしました。どうしたのですか,と尋ねましたら,9日間の日程の中の,8日目の登山で経験した「ハードな岩場を飛びながらの登山は自分の力を再認識する機会になった。まだ自分には社会に貢献する力が残っている」と確信できたというのです。
およそ2カ月後,丸ビルのエレベーターで偶然その方の元気なお姿を拝見した時には,よかったと思ったことでした。
自分の能力が分からなくなった時に,自信をつけ直すというのが大人にとっての「山」の姿なのだと思います。
もうひとつ,山には医学的な「癒し」の効果があります。林野庁と厚生労働省がバックの林野総研での研究で,森林の中ではストレスが軽減することが分かってきました。唾液の中にあるコルチゾール(ストレスホルモン)を測ることができるようになった結果です。森林の中ではNK細胞が倍増します。増えるだけではなく活性化することも分かりました。自然界は,やはり,ヒトという動物が生きられるような環境をつくっているのです。それを人間が人為的に壊していっています。
現在,私は森林セラピーソサエティー理事長として環境問題にも力を注いでいます。皆さんに「どうぞ自然の中に行きましょう」という社会活動もやっています。
生態学的に人間をエコロジカルな生活に戻していかないと,人類自身も,人類に象徴される動物たちも疲弊していってしまうことを山は教えてくれています。
山は,私にとってすべての学びの場です。そこから学びとったことを社会に還元することが私の仕事だと思っています。
私は冒険家といわれるのも嬉しいし,登山家といわれるのも嬉しいですが,わたし自身は,一社会人として,ベーシックに自然や山を自分の基準として持っている人間として、社会に貢献していきたいと思っております。