外交官の眼からみたカナダとケベック
2012年4月4日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。
日本英語交流連盟 会長
元駐カナダ大使 沼田貞昭氏
カナダは,世界第2の面積を持つ大きな国で、日本の27倍,ケベックだけでも日本の1.5倍の面積があります。もう一つの特徴は,アメリカの隣にあってアメリカと同じ英語を話す国ですが,フランス語圏が厳然として存在する点です。ケベックは,仏語が公用語であり,政教分離,男女平等や人権意識も確立されている州です。
カナダの主要産業は,金融,保険,不動産などのサービス業と,建設業,鉱業などの産業です。ケベックでは酪農などの農業もありますが,特に最近は,飛行機,医薬品,ITなどのハイテク産業が盛んになりました。
◆カナダとケベックの歩み
16世紀の末に,イギリスがニューファンドランド島に植民地を作り、フランスが17世紀の初めにケベックに交易所を設立しました。1756年にフランスとイギリスの間で「7年戦争」が起き,1763年にイギリスが勝利し,パリ条約でカナダのフランス領はイギリスに割譲されました。
アメリカ独立戦争後,アメリカにいた王党派のイギリス人がカナダに入植したことから,カナダを巡る争いはアメリカとの争いになりました。1867年に英領北アメリカ法によって,連邦国家としての自治領カナダが誕生しました。そして1931年にイギリスから完全な自治が授与されました。
この間,17世紀から19世紀の間,ケベックではカトリック教会の支配が続いていました。1930年代の大恐慌以降,世界が多様な変動を遂げている中で,ケベックは1936〜59年をモリス・デュプレシ首相政権の「大いなる暗黒時代」といわれる,教会主導の強権政治,自由の抑圧の時代を過ごしました。
1960年以降になると,ジャン・ルサージュ首相主導の下、それまでの抑圧に対して自意識に目覚めたケベック人の「静かなる革命」が進行しました。1967年のモントリオール万博の際、ドゴール仏大統領が数万人のケベックの人達に演説して「自由ケベック万歳」と呼びかけ、これがケベックに連邦からの独立を唆したと受け取られて,大変な物議を醸しました。1977年には「フランス語憲章」が公布されました。
◆カナダの評判
昨年,アメリカのReputation Instituteが,G8諸国が世界の50カ国をどう認識しているかを調査したデータを発表しました。
政府の効率,経済の発展度,魅力ある環境という3つの基準において,カナダはすべて上位6位に入っており,総合点として第1位という結果になりました。日本は,経済の発展度は第1位ですが,他の項目では6位までにランクされず,全体としては12位でした。ただし,アメリカも23位に止まっています。
◆カナディアン・アイデンティティ
カナダのアイデンティティにとって重要なのはアメリカとの関係です。
カナダはアメリカと国境を接しており、人口の8割強が米加国境から100マイル以内に住んでいます。カナダの輸出の8割弱,輸入の5割強が対米依存です。カナダの10倍の国力を有する強大な隣国アメリカに対して、屈折した対米感情が生じます。
1970年のニクソンショックの頃に,ケベック出身のトルドー首相が「カナダは象と一緒に寝ているネズミのようなものである」と言いました。その心は,象が寝返りをうつとネズミはつぶされてしまうというものです。
他方,カナダ人は,カナダの社会はアメリカより平等であり公正であるというプライドを持っています。特に英語系のカナダ人はアメリカ人と間違われることを嫌います。彼らのアイデンティティは,アメリカ人ではないことだと言われます。
それに比べて,ケベックの人は,フランスの言語と文化をしっかりと継承してきたという認識がありますから,自らのアイデンティティもはっきりしています。このようなケベックは,「英語の海」に浮かぶ「フランス語の孤島」とも言えます。
カナダのアイデンティティの第2の特徴として,いろいろな民族や文化から構成される多様な社会であることが挙げられます。
アメリカの場合はMelting Potとして融合してしまいますが,カナダの場合は,それぞれの持ち味が生かされているという意味から,サラダ・ボウルとか,モザイク社会とかいわれています。連邦レベルで英語とフランス語を公用語とするという2言語主義が、連邦総選挙の党首テレビ討論とか、連邦公務員の昇進についても徹底されています。
1971年以来,多文化主義政策をとり,民族や人種の多様性を尊重し,すべての人が平等に社会参加できるような国造りを目指して毎年20万人以上の移民を受け入れています。ケベックでも毎年100以上もの国から4万5千人近い移民を受け入れています。
その結果として,Visible Minority(非白人移民)と呼ばれる有色人種の移民が増えてきました。2006年現在でその数は500万人を越え、人口の16%ほどで、英国女王の名代である連邦総督にも、近年、中国系移民の女性およびハイティ出身の女性が任命されました。
カナダのアイデンティティの第3の要素として,「Survival(生き残り)」という言葉があります。
カナダの代表的作家であり文芸批評家であるマーガレット・アトウッドが『サバイバル』という本で次のように言っています。「カナダ文学の中心イメージは生き残ることである。これは英文学の『島』か,アメリカ文学での『フロンティア』に匹敵するイメージである。カナダ文学の主人公は,厳しい自然の犠牲となる動物や,厳しい自然の中で生きてきた先住民たち、森を切り開いた探検者,自然に挑戦した移民の姿などが主要なモチーフである。」
ケベックの冬は零下30度も越える厳寒ですが、ケベックの人達は冬とか寒さに思い入れがあり、Gilles Vigneaultの「冬が私の国」という歌を好んで歌います。
◆連邦政治とケベック政治
連邦政治の対立軸の一つは、英語系と仏語系の人達がそれぞれ別の世界に生きて来たという「二つの孤独」です。もう一つは,東のオンタリオ、ケベックの出身者(主として自由党)が首相になるケースが多いので,ブリティッシュ・コロンビア、アルバータ等西部の人達(主として保守党)が不満を持ってきた「西部の疎外」といわれる対立軸です。
ケベック州内では、連邦からの独立を目指す分離主義と、連邦の中で生きていこうとする連邦主義が対立してきましたが、1980年5月に「ケベック国の主権獲得およびカナダとの間の経済的・政治的連合の創設」の州民投票は4対6で否決されました。
1982年4月にカナダ憲法が制定されましたが、ケベック・ナショナリストはケベックの独自性が十分に認められていないとして不満を持ちました。
1995年10月に「カナダとの経済的パートナーシップとケベックの主権」との州民投票が行われましたが、これは賛成49.44%,反対50.56%で辛うじて否決されました。
この間、昨年5月の連邦総選挙では、2006年以来少数党政権だったハーパー首相の保守党が多数を取りましたが、連邦議会でケベック・ナショナリズムを標榜してきたブロック・ケベコワは大幅に敗退し、連邦第3党だった新民主党がケベックでも躍進しました。
私見では、ケベックの人たちの間で、連邦から離れて生き延びていくことは難しいとの意識が広まってきています。
◆ケベックの対外政策
ケベックは一つの州なのですが,独自の外交政策を展開しようとしていて,26の在外事務所を持っています。
ケベックはフランスとの関係を特に重視しており、1977年以来,ケベック州首相と仏首相との間で相互訪問が行われています。
国境を接しているアメリカとの関係も重要です。輸出の78%,輸入の31%はアメリカが相手です。
ケベックは中国とも関係を深めています。1984年以来のケベック州首相の訪中は5回に及んでいます。中国は輸出先として第5位,輸入相手国として第2位の位置にあります。
日本には,1973年にアジアでは最大の規模の在日事務所を開設しました。日本は輸出先として第6位,輸入相手国として第7位です。
◆日加・ケベックの経済関係
日本がカナダに輸出しているのは,輸送用機器・自動車や機械類が多く,ケベックにも自動車・航空機部品などを輸出しています。
カナダから輸入しているものは,石炭,菜種・大豆,豚肉,木材,非鉄金属,鉄鉱石,小麦などの穀物などです。ケベックからは豚肉や豆類の他,測量,医療,光学機器などのハイテク部門のものも輸入しています。
ハーパー首相が来日して野田総理との間で日加EPA交渉を開始することが3月25日に発表されました。乗用車関税の撤廃・削減などを通じて2国間の貿易や投資が促進されることが期待されます。
◆ケベック独特の魅力
モントリオールのコスモポリタンな魅力,城があるヨーロッパ的なケベック・シティ,セント・ローレンス川のWhale Watching,ケベック人の文化的感受性(生け花、盆栽への関心、料理など),以上の四つが個人的に見たケベックの魅力です。