卓話


放浪のピーターパン

2026年3月18日(水)

ハードロックジャパン(株)
代表取締役社長 町田亜土君


 私の父は、1962年に日本政府から国連本部に派遣され、25年近くニューヨークで働いていました。その為、私はニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ち。私は日本人ではなく日本が母国である事を誇りに持つアメリカ人なのです。

 私の名前「亜土」は、本名です。父の当て字で、「亜米利加」の「亜」と、「亜細亜」の「亜」の「土」の子という意味です。

 家では一切英語を使ってはいけない方針でした。英語や、英語が混じった日本語を話すと、無視されました。「ちゃんと日本語で言いなさい」は家では鉄則でした。当時は何でそこまでやらなければいけないのかと思いましたが、今では感謝しています。

 学校では英語、家では日本語。そして、土曜日は日本語の補習校。中3の時、「日本語」を勉強したいという気持ちにはじめて目覚めました。それまでは、日本語の補習校に行っても授業をサボり、宿題もまともにせず、はっきり言って愚息でした。

 中3の時、日本から転校して来た生徒が時代劇のマンガを一冊貸してくれました。「読みたい!」と思いましたが、当時のマンガは“かな”が振っていないので「読めない!」に直面した私は必死に片手にマンガ、片手に辞書を持って二日間かけてようやく読むことができました。それから日本のことをもっと知りたい気持ちになったのです。

 17歳でコロンビア大学入学。学年も一つ跳び、「1年どこかに留学したら」と勧められました。当時は毎夏来日していたのですが、日本に住んだことがありませんでした。では、日本に留学しようと思い、幸いに京都大学に合格し、1年間は京大に行くことを決めました。当時は日本での生活を知らない自分は『俺は日本人になるのだ』と訳の分からないことを宣言し、日本に着いたら本屋で若者向けの雑誌を一通り買いました。雑誌に出てくるモデルを真似して洋服やヘアスタイルも変えました。今思えば、アホかと思います。でも必死に「日本人になる!」というミッションが有りました。

 1年が経ち、アメリカに戻りオヤジに頭を下げました。1年間皆の話題や音楽についていこうとした。でも、「自分」では無いと薄々感じるようになり精神的に疲れ果てた。「ごめん。俺は日本人になれなかった」と父に伝えました。すると父は、「お前は何を言っている。お前を立派な日本人として育てたつもりだが。バカみたいに『日本人』と言うレッテルに拘る必要は無い。おまえはおまえのままで良い。お前は立派な日本人なんだ。」と言いました。ショックでした。「わかった。もう1年戻りたい」と父に頼み、許しを得ました。それから結局京大を卒業し、コロンビア大学は退学となりました。めちゃくちゃ楽しかったです。

 卒業後ゴールドマン・サックス証券会社に入社して、東京で2年、ニューヨークで1年働き、その後はハーバードビジネススクールに行きました。1992年にはワシントンにたどり着きました。先輩に「亜土、お前政治界に興味あるか?」と聞かれ、「別に」と答えましたが「明日ボブ・ドール上院議員に会う。お前も来い」と無理矢理に行くことになりました。

 そこで私はアメリカの政治界にハマって、ドール上院議員の下で4年間務め、彼の大統領選挙チームにも加わりました。2000年にはBush-Cheneyの政権移行チーム。チェイニー副大統領の国内政策担当主席補佐官として3年ほどホワイトハウスで働きました。2016年にはトランプ氏の大統領選挙を手伝い、彼の政権移行チームの政策立案の総責任者として支えました。安倍総理とトランプ大統領の初対面のミーティングも担当しました。そこからドナルド・晋三の時代が生まれ、日米間の友好な関係をもたらすことになります。

 2017年にはハードロック社に転職。日本での統合型リゾートの開発のため3年ほど前東京に移動してきました。

 東京ロータリーに入ったのは名前の由来からです。日米間のかけ橋になりたい、そしてロータリーを通して両国の異文化間ギャップを縮め、お互いの交流を深めたいと思っています。これからも皆様のお力を借り、ご指導のほど宜しくお願いします。