ウクライナ情勢と国際の安全保障
2024年8月28日(水)
岡崎研究所
前ウクライナ大使 高倉高志氏
誰と誰が戦争をしているのか。なぜプーチンが侵攻を始めたのか。ウクライナによるロシア領土のクルスク侵攻の目的とは。ウクライナ情勢の世界にとっての意味は。主にこの4点についてお話しします。
2015年からドイツのメルケル首相の提唱で在ウクライナのG7大使が協力し合いウクライナの改革支援を行いました。私はゼレンスキー大統領から勲章をいただき一緒に写真を撮ったこともありますが、当時と異なり、今は本当に笑顔が少なくなったと感じています。
ウクライナ勤務時、ドンバスには3度行きました。そこでは実は2014年からずっと戦争をしています。あの辺りはほとんど平原ですが、ヘリコプターの回転翼で地面の草がなびくのがわかるぐらい低空を飛行していきました。あまり高くなると敵のレーダーに探知され攻撃されてしまうからです。
戦闘からの復興支援が目的で、必ず現地の人たちにどのような生活をしているか、何が問題なのかを聞き支援内容を検討しました。この時にある男性が言っていたことが忘れられません。「自分たちは何のためにこの戦争を戦っているのかわからない。言葉も文化も変わらないし、ついこの間まで同じ国としてやっていたのに何で今戦っているのか。」
ウクライナの子供たちが戦争について描いた絵を紹介します。自分の家や周りの家が焼かれた絵、ミサイルが飛んでくる絵、大きな飛行機に「ミール(ロシア語で平和の意)」と書いてあるものは平和の花をみんなに届けてほしいという気持ちで描かれたものでしょう。
ウクライナ国旗の色の服を着た女の子とロシア国旗の色の服を着た女の子が手を繋ぎ大人を踏みつけている絵がありますが、その大人にはロシア語で「プーチン」と書いてあります。「一緒にプーチンをやっつけよう」という意味なのでしょう。ウクライナにミサイルが飛んでくる絵にも5発のミサイルに英語でプーチンと書いてあります。子どもたちはプーチンがやっている戦争だということをわかっているのです。
この戦争は「誰と誰が戦っているのか」という話が出る時に、あたかもプーチンとゼレンスキーがやり合っていると言われることがありますが、そうではありません。ロシアとウクライナの国民同士が戦っている、これも違います。プーチンとウクライナ国民が戦っているのです。つまり「プーチンの戦争」に対してウクライナ国民が戦っている、それが基本的な図式です。
ウクライナに投降したロシア兵に、祖国の母親と連絡を取らせている写真をご覧ください。母親と話した若い兵士は泣き出しています。多くのロシア国民はウクライナと戦いたいなどとは思っていません。プーチンが無理やり引っ張ってきているのです。ロシアに私も計10年ほどいましたが、多くのロシア人にとってウクライナは「ロシアと同じ」で、外国だというのは感覚的に受け入れがたいところがあるのは事実です。ただ、だからといって軍事力でウクライナを併合しようとまで思っている人はほとんどいません。それはプーチンただ一人です。
「プーチンとウクライナ国民の戦い」という構図から言えるのは、ロシア側はプーチンが「やめる」と言えば戦争はすぐ終わります。しかしウクライナ側は、仮にゼレンスキーが「もうやめる」と言ってもウクライナ国民が納得しなければ終わらないということです。
万一、例えば占領地を残したままプーチンとゼレンスキーが停戦に合意したとしても、ウクライナ国民の中には「ロシア軍を全部撃退するまで戦い続ける」とゲリラ的に戦う人たちが出てくるでしょう。
もう一つ重要なことは、ウクライナはこの戦争を「ロシア国民対ウクライナ国民」という図式、つまり国民同士の戦争にしないことに非常に気を遣っています。戦争が長引けば、ロシア国民からもウクライナに対する恨みがどうしても出てきてしまいます。それを何としても防ごうと、捕虜の扱いにも気をつけているのです。
そもそもプーチンはなぜ侵略を始めたのか。プーチンは侵略前に、「NATO拡大がけしからん」「ウクライナは、ドンバスでジェノサイドを行っている」「ミンスク合意を破った」あるいは「ネオナチ政権である」などいろいろなことを言っていましたが、全て荒唐無稽です。
例えばジェノサイドについては、ドンバスでは欧州安全保障協力機構(OSCE)が停戦が守られているかを毎日ベースでモニターし、報告書を出しています。私もその報告書を見ていましたが、ジェノサイドの報告は見たことも聞いたこともありません。ネオナチについても、ゼレンスキーが大統領になった2019年5月当時は首相もユダヤ人でした。大統領と首相がともにユダヤ人というネオナチ政権があり得るのでしょうか。
冷戦終結後30年以上の間に東ヨーロッパのほとんどの国がNATOに加盟していきました。ただこれはNATOが無理やり加盟させてきたのではなく、これらの国がロシアの支配下になりたくないとの思いからNATO加盟を強く求めてきたことを受け、ロシアとも協議しながら加盟を進めてきたのです。
しかも「NATO拡大がけしからん。ウクライナがNATOに入るのはけしからん」というのであれば、決定権はNATOにあるわけですから、ウクライナではなくNATOを攻撃しないと辻褄が合いません。
ウクライナとロシア、民族や宗教はほとんど同じです。ソ連崩壊後、1990年代に東ヨーロッパや旧ソ連のコーカサスあたりで頻繁に地域紛争が発生した時、日本政府の中で我々は「民族や宗教の違いによって、こうした地域紛争が起こった」と政府文書などに書いていたのですが、間違っていたと私は思います。同じ宗教、同じ言語や民族でも、このように戦っているわけですから。
つまり民族や宗教の違いそのものが戦争に直結するわけではなく、「プーチン自身の支配欲」、要するにプーチンという人間の心、暴力によって支配しようとする人間の心がこの戦争を引き起こしていると強く思います。20年以上ずっとトップにあって誰も自分に逆らわない、本人は政権の中で誰よりも全てを分かっていると思っている、そうした彼自身の支配欲や驕りの中でこの戦争は引き起こされたと思っています。
8月6日、ウクライナ軍はついに国境を越えてロシア領内南西部のクルスク州に入り、今、少しずつ侵攻地域を広げています。これにはロシアも、アメリカもヨーロッパも我々もとても驚きました。
彼らは今までは防衛に徹していました。ロシアが占領している地域からロシア軍を追い出す防衛に徹していたわけですが、ついにロシア領内に入り込み攻撃行為に出たわけです。
実はウクライナ軍は去年6月から大規模な反転攻勢に出たもののうまくいきませんでした。おそらく今年の初め頃から彼らは新しい戦略を練り始め、いくつかの戦略があるようですが、ロシア領内に入ることはそのうちの一つだったようです。ゼレンスキー大統領やシルスキー総司令官らの説明によれば、一番の狙いは、ロシアが設定する「レッドライン」、つまり「これ以上やると核戦争になってしまうかもしれない」というのは幻想である、ということを身をもって示すことだったようです。
アメリカはATACMSという射程300�劼涼和价魯潺汽ぅ襪鬟Ε�ライナに供与していますが、ロシア領内深くへの使用を認めていません。しかし、まさに射程300�勸米發里箸海蹐縫蹈轡△糧�行場や軍事施設がたくさんある、だから兵器のもつ本来の能力を発揮させて欲しい、そうしたメッセージをアメリカに送りたかったというのが一番大きいと思います。
また、ロシア領内に緩衝地帯を作ること、ドンバスのロシア軍部隊を分散させること、さらに今後の交渉上のポジションを有利にすることも考えているでしょう。今はまだ作戦途上ですが、今後の攻守の転換に向けた重要な一歩になる可能性はあると思います。
最後に、日本や世界にとってどのような意味があるのか。大きく3つあると思っています。
一つは、もしロシアがこの戦争に勝ったら、間違いなく欧州での緊張が一層高まります。
二つ目に、ロシア・中国・北朝鮮・イランはこれまでも協力していますが、ロシアが成功体験を持てば、この協力はますます強化されるでしょう。
今年6月にプーチン大統領が北朝鮮を訪問し、北朝鮮との間で「包括的戦略パートナーシップ条約」を結びました。軍事協力の部分がよく話題になりますが、条約文にはもうひとつ、制裁が科されるような時はその効果をできるだけ削減するよう協力する、という合意が含まれています。ということは、例えば、北朝鮮が7回目の核実験をやるような場合、国連で制裁を決議しようとしてもロシアはそれを阻むだろうということです。
また、核兵器の拡散にさらに弾みがつくのは間違いありません。ソ連が崩壊した時、元々ウクライナにあった核兵器を1994年から96年にかけて全部ロシアに移転したのですが、最近、ウクライナの中で「それは間違っていたんじゃないか」という議論が増えています。
ヨーロッパでは核シェアリングの議論が高まっており、今はドイツ、イタリア、ベルギー、オランダといった欧州のずっと西方にアメリカの戦術核が置かれていますが、バルト三国やポーランドなどに置くかどうかが議論される状況です。とにかくロシアに勝利させてはいけません。
※2024年8月28日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。