卓話


創薬の歴史と将来の展望

2025年4月2日(水)

国立がん研究センター発ベンチャー
ARC Therapies(株)
代表取締役社長 鈴木蘭美君


 私が大学生のころ、大学の友人が2人、がんの診断を受けました。自分と年齢の変わらない彼等が、急に大学の授業に来られなくなり、副作用が強く効果の限られた抗がん剤治療に苦しむ姿を、当時目の当たりにしました。そこで私は「がんの完治」を目指すために、ロンドンのUCL大学で博士号を取得し、インペリアル大学でがんの研究者になりました。

 「がんの完治」とは、がんの診断を受けた人が治療を受けることによって、体からがんが消え、その後長い間、例えば5年間とか10年間、がんの再発がないという健康状況を意味します。

 例えば前立腺がん、乳がん、甲状腺がんなどの予後は、比較的良いがんと言われております。10年間の生存率は、前立腺がんの場合99%、乳がんは87%です。一方、膵臓がんの場合10年間生存率は7%未満です。また肝臓がん、胆のう・胆管がん、食道がん、肺がんなども比較的10年間生存率が低いがんです。

 がんの種類によって、予後がこんなに違うのは何故でしょうか。

 その理由のひとつは、患者さんの数です。患者さんの数が多ければ多いほど、治験が行いやすい。通常、新しい薬が当局の承認を得て世に出るには、無作為化臨床試験という手法を用いて、薬の効果と安全性を示す必要があります。数百例から数千例の患者さんに協力して頂くので、かかる費用も、ひとつの治験で数十億から数百億円です。この薬が効いているのはまぐれやたまたまではないということを立証するために、新しい薬と従来の薬を比較して、統計学的有意差を求めます。

 無作為化臨床試験は科学的に説明しやすいのですが、課題もあります。まずは先程の患者数です。希少がんと呼ばれる患者さんの数が少ないがんでは、治験に必要とされる患者さんが一定の期間に集まらないことがあります。

 もう一つの課題は、無作為化臨床試験とリアルワールド(実臨床)との乖離です。ひとりの患者さんにとってその薬が特効薬と成りえるのかどうかは、結局のところ試してみなくては分からないというのが実情です。効かなかった場合には、次の薬を試しましょうとなるわけですが、がんは時間との闘いです。効果のない薬を試している間に、がん細胞は分裂し、遺伝子変異を繰り返し、場合によってはより悪性のがんになっていきます。

 このような課題を打破するために、最近注目を集めているのが、リアルワールドエビデンスです。実際の臨床の現場において、薬の効果と安全性をより広くより長く見極めていくという取組です。特定の薬が効いた或いは効かなかったという事実を丁寧に記録しデータベース化することにより、将来的には、遺伝子、免疫、代謝などの情報を用いて、特定の患者さんに最も合致した治療法を事前に選択できるようになります。

 私が「がんの完治」として真っ先に思いつく治療はCAR-T細胞療法です。日本でも、2019年以降、B細胞腫瘍という血液がんの治療薬として使われています。患者さんの血液から免疫細胞を取り出し、その免疫細胞にがん細胞を見つけて攻撃するための特別なアンテナを付け、患者さんの体に戻します。そうすると患者さんの体内で免疫細胞ががん細胞を攻撃し、長期間巡回し続け再発を防いでくれるのです。

 2012年、まだ治験中のCAR-T細胞療法の治療を米国で受けた6歳のEmily Whiteheadさんは、他の治療が効かず、余命が殆どないと考えられていた段階で、最終手段としてこの治療を試みました。幸いにもCAR-T細胞療法は劇的な効果を示し、Emilyさんのがんは完治しました。Emilyさんは今年20歳になり、今でも元気です。

 このCAR-T細胞療法は、固形がん、また患者さんの数が少なく新しい薬が開発されにくい希少がんなどへの応用も期待されており、世界中で千本を超える治験が現在進行中です。

 近年さまざまな医学的・工学的進展がございます。「がんの完治」は必ず成し遂げられると信じ、がんの完治が当たり前になる世界を目指す挑戦を続けてまいります。