味噌屋とロータリーについて
2025年10月8日(水)
第2770地区パストガバナー
(株)田中徳兵衛商店
代表取締役 田中徳兵衛氏(川口RC)
家業である田中徳兵衛商店は、1871年、明治4年に創業しました。埼玉県川口市にて、昭和40年ごろまでは自社で味噌を製造し、関東一円に出荷していました。その後、全国の蔵元から選りすぐりの味噌を仕入れ、百貨店や専門店などに届ける卸売りと転じ、現在に至ります。
現在は松屋銀座店の地下2階の「味噌蔵徳兵衛」という名前で小売りも行い、一般のお客様にも味噌の魅力を直接お届けしています。
今日は私の原点である味噌の文化と歴史、そして私が深く関わっているロータリークラブでの奉仕の精神についてお話しいたします。どちらも「時間をかけて価値を育む」という点では、一緒と思っています。
私の故郷・埼玉県川口市は、鋳物機械工業の町として知られています。吉永小百合さんの主演映画『キューポラのある街』の舞台でもあり、実はその中に私の実家が一瞬、映っています。
現在は、国の有形重要文化財として地域の記憶を伝え続けています。建物自体は四代目の徳兵衛が建設しました。四代目は埼玉県議会の副議長、その後、貴族院議員となり、これらの地方自治功労者として勲四等を受賞しています。
当時の写真を見ると、我が家の近くに芝川という小さな川があり、船の上に乗っているのは味噌樽です。奥にある建物で、米や麦、大豆などを貯蔵して、味噌を醸造していました。
川口は地下水が豊富で、発酵に適した良質の水が得られました。加えて、周囲の関東平野では、大豆や麦が大量に生産され、原料の確保が容易でした。また、芝川、荒川に面し、船で東京へ直接、味噌を運ぶことができました。
当時の東京は、人口100万を超える大消費地であり、舟運による大量輸送が可能だったことは大きな強みでした。鋳物と味噌は全く関係ないように見えて、実は共通点があります。要するに重いということです。江戸時代から当時に至るまで、やはり船による運輸しか手段がありませんでした。川口は良質な水、豊かな原料、強い物流を背景に味噌生産の拠点となりました。昭和初期には会社がある南平柳地区だけでも10軒の工場が稼働し、東京、大阪、北海道、樺太、台湾まで販路を広げていたと聞いています。
味噌は、大豆と米や麦、塩を原料に、麹菌の力で発酵させて作る食品です。1300年以上の歴史を持ち、保存性、栄養性、おいしさを兼ね備えた日本の伝統的な発酵文化の象徴です。
発酵の仕組みは、大豆を煮て柔らかくし、麹菌が作る酵素がタンパク質をアミノ酸へと分解し、これがうまみの源となって、同時に消化吸収もよくなります。発酵の過程で生まれるメラノイジンは抗酸化作用を持ち、身体を守ってくれます。
私は味噌屋を経営していますが、出身は成蹊大学経済学部で、発酵学の専門家ではありません。ただ、幼い頃から味噌蔵の中で走り回っていましたので、味噌についてはその味、香り、重さも含めて実感として持っているものがあります。
麹菌とは非常にありがたいもので、醤油、酒の他、日本の発酵食品には不可欠な微生物で、おかげで我々の醸造業は成り立っています。
よく似ているものに発酵食品がありますが、例えば、韓国のキムチなどは麹菌ではなく、納豆菌に近い菌で作られていると言われています。違いは、麹菌は非常に繊細な菌のため、例えば味噌汁を作るとき風味が飛ばないように煮立てません。一方、韓国のチゲ鍋などはぐつぐつ煮ても香りが失われず、十分美味しいです。
日本各地には1000軒以上の味噌蔵があり、米味噌、麦味噌、豆味噌など地域によって風味は大きく異なります。白味噌の柔らかい甘みから赤味噌の力強いコクまで、その土地の気候や文化が味噌の個性を育ててきました。
よく聞く話として、結婚されると自身が小さい頃から食べていたお味噌と、奥様のご実家と違うということがあります。それほど味噌はバラエティに富んでいます。
代表的なものを紹介しますと、秋田味噌は非常に甘くて汁気が多いのが特徴です。信州味噌は関東でも人気です。これは関東大震災と大きく関係しており、私ども含めて震災で蔵が大きく壊れてしまった間に信州から味噌が大量に運ばれて普及したという歴史があります。
仙台味噌は、今の東京都の海岸通りあたりに仙台藩の味噌蔵があって、江戸時代から食べられたものです。江戸時代から好まれた味噌としては、江戸甘味噌があります。京都や四国には白味噌があります。米が2に対して大豆が1と米の割合が高いものが白味噌の特徴です。結果、甘くて塩分濃度も低く5%ぐらいになります。
それから、名古屋方面は八丁味噌でしょう。この味噌は大豆と塩だけで作り、米を使いません。そのため甘みがなく、渋みだけで成り立っています。麦を使っている長崎の麦味噌もあります。
もともと味噌を作っていたのが卸売りになったのは、戦後どんどん工業が発展していくなか地域で水を汲み出したために、良質な水がなくなってしまい川口での味噌工業が衰退しました。
なんとかこれを復活させたいと思い、香川県にある白味噌メーカーを買い、5年ぐらい前からメーカーとして復帰しています。それが、イヅツみそです。
味噌料理は簡単に作れますし、どんな食材との相性も良いです。臭いも和らげるため、特に魚や動物の肝などにお味噌を使うとマスキング効果で臭いが消せる上に保存が効きます。それから、故郷を思い出させます。海外に視察などに行く時に味噌を持っていき、1週間ぐらいたったタイミングで朝食に味噌汁を出しますと、皆さんとても喜んでくださいます。
日本は「八百万の神」で、どんな商売にも神様がいます。我々醸造業の神様は、京都嵐山の松尾大社です。私も毎年正月にはこちらにお参りをしてお札をいただいてきます。先ほどの香川県にある白味噌メーカーのすぐ近くにも、麹を祀る皇太子神社があります。
大陸から発酵技術を持った渡来人がやってきて、発酵食品を広めました。醤油に関しては和歌山にたどり着いてそこで醤油を作り始め、和歌山で作られたその醤油が黒潮に乗って千葉県の銚子に行き、それが野田に移っていきました。
味噌は全国的に明確なルーツはなく、いろいろな所で作られ、しかもその地域で採れる穀物などを中心に作られたと思います。
香川県には「あんもち雑煮」というものがあります。これは、白味噌仕立ての雑煮に甘いあん餅と金時にんじんと細い大根を入れる独特の風習で、香川県のお正月に長く愛されています。
さて、実は東京RCには非常にご縁があります。埼玉県で最初に誕生したロータリークラブは、1951年設立の川越RCです。設立にあたっては、柏原孫左衛門氏が特別代表として東京RCより派遣され、設立の指導と支援をされました。柏原氏は各界の有力者に声をかけ、川越にロータリーを根付かせるために、ご尽力されました。
その後、川越RCが母体となって、浦和RCができ、そこから川口RCができました。私の祖父・五代目の田中徳兵衛も川口RCのチャーターメンバー40名の1人としてスタートしました。
私の父・六代目の田中徳兵衛は、1985〜86年度の第257地区ガバナーで、当時は東京西RCの渡辺和美さんが同期のガバナーと聞いています。渡辺さんは、自らの資産を生かしてロータリー財団へ多額の寄付をされ、社会の発展に貢献された方です。父はこの取り組みに深く感銘を受け、「自分も将来、社会の役に立つ寄付をしたい」という思いを強く抱くようになりました。
そして、母のPTA友達の中に自閉症のお子さんをお持ちになって困っている方がいることを知り、こうした子どもたちを支えるためにロータリー財団へ恒久的な寄付を行い、『田中徳兵衛冠名基金』を設立しました。私もこの基金に寄付を続けて拡大し、自閉症の研究者を海外に派遣しています。
2012〜13年度の国際ロータリーの会長は、田中作次さんでした。30年ぶりに日本から選出された方で、私ども第2770地区のパストカバーナーでいらっしゃいました。「奉仕を通じて平和を」というスローガンで大変活躍された先輩ガバナーです。
私は同じ2012〜13年度に地区ガバナーとして1年間を送らせていただきました。ともかく会員増強に頑張って、83名の増強で日本一を達成することができました。
ロータリーの増強も時間はかかりますが、社会に有用なものを作っていくという点では、醸造と同一と思っています。ロータリーと醸造という2つの世界で社会に貢献できる仕事をいただいたことを非常に誇りに思っています。
※2025年10月8日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。