ポール・ハリスと米谷梅吉
2024年10月9日(水)
米山梅吉記念館 理事長
(株)いちまる
代表取締役 松村友吉(焼津RC)
世界のロータリーを作ったポール・ハリスと日本のロータリーを作った米山梅吉を対比して考えてみます。
まず、生まれた年と亡くなった年がほぼ同じの同時代人です。
1868年、元号で言えば明治元年に2人は生まれています。そしてポール・ハリスは79歳で1947年に、米山梅吉は78歳で1946年に亡くなっており、同じ空気を吸っていたということになります。この2人がその間、たびたび会っていたかどうかはわかりませんが、最後に会ったのは1935年です。ポール・ハリスが東南アジアとオーストラリアを歴訪した時に日本に寄りました。
日本のロータリーも大歓迎をし、その中心に米山梅吉がいました。それまで米山梅吉は度々アメリカに行きましたが、「会っていた」という記述があまりないため、おそらくこの時が一番ゆっくり話をした時でしょう。
次の共通点は「成長意欲」です。ポール・ハリスは1891年にアイオワ大学で法律学士を得て卒業し、弁護士になります。実際に弁護士事務所を開いて活動するのが1896年で、この5年の空白期間にビジネス放浪をしています。
例えば、土木作業のような仕事や、家畜を輸送する船に乗り込み家畜の世話をしながらロンドンまで行ったり、貿易商社に入って営業をしたり、いろいろな仕事を体験しています。そして、5年間やりきったと満足して弁護士事務所を開いたと思われ、このあたりに若きポール・ハリスの成長意欲を感じます。
一方、米山梅吉は1883年に家出同然で東京に出ます。15歳です。この時に既に米山家の養子になっていましたが、米山家にも告げずに1人で三島から横浜経由で東京に出ました。
働きながら学び、最終的にはアメリカに渡り8年居て帰ってきました。この間12、3年あり、やはり偉くなる人は若い時にすごいエネルギーを持っているものだなと思います。
3つ目は、家庭における不幸です。ポール・ハリスが一番つらかったのは幼年期ではないかと思います。1871年、両親や兄弟と離れて、生まれたウィスコンシン州から遠く離れたバーモント州の祖父母に預けられます。祖父母は温かい人でしたが、小中学校の時に悪ふざけをして授業をよくさぼったそうです。幼年期にデリケートな心が傷ついたのではという気がします。
米山梅吉は、1921年に長男を、その5年後に次男を共に病で亡くしています。長男は20歳で慶応大学の学生で陸上部の選手、次男は21歳、立教大学で心理学を学んでいました。
東京ロータリークラブを創立したのが1920年、三井信託銀行創立が1924年ですから、脂の乗り切ったこの時期に最愛の子供を相次いで亡くし、これほどつらいことはないと思いますが、米山梅吉はこの時期を乗り越えて、さらに奉仕活動をしていきます。
4つ目の共通点は「奉仕の人」です。ポール・ハリスは、ロータリーを通じた奉仕活動を生涯通じて行いました。
米山梅吉は実業家でもあるため、ビジネスをしながら常に奉仕の精神を持ってきました。その後、銀行を辞めて三井報恩会の理事長を務め、その後、私財を投げ打ちいろいろな奉仕活動をしており、まさに奉仕の人です。
さらに踏み込んで2人の精神を考えると、ロータリーの理念にも繋がってきます。
ポール・ハリスの精神としては、「勤労の精神」「寛容の心」の二つがあります。これは『ロータリーの100年』という本に書いてあります。祖父のハワード・ハリスがとにかく働き者で、1週間休むことなく汗水たらして働く姿をポール・ハリスは見ていました。
住んでいたバーモント州の小さな町にいろいろな異教徒が住んでおり、そういう人に皆は冷たく当たるのですが、ハワード・ハリスは平等に温かく接したそうです。こうした寛容の心をポール・ハリスが受け継ぎ、その精神をロータリーに移したところもあるでしょう。
あるロータリアンがポール・ハリスに「ロータリーで最も大切なことは一言で言えば、どういうことですか」と尋ねた時、ポール・ハリスは「toleration(寛容)」と言ったようです。それがやはりポール・ハリスの精神の中心にあったのだろうと思いますし、ロータリーにそれが生きていると私は一番期待するところです。
話が変わりますが、東京大学の名誉教授でローマ帝国の歴史に詳しい本村凌二さんの本を読むと、ローマ帝国が2000年以上続くほどの大きな帝国を作れたのは、勤労と寛容の二つの精神があったからだと書いてありました。ポール・ハリスの精神と符合し、面白いと思いました。
ローマ帝国でいう勤労の精神とは、ローマの市民が政治でも軍事でもあらゆることに勤勉であること。我々の「勤勉」とは少し違い、自分自身や自分の家系に対するプライドが相当強く、そのプライドのためには命を懸けるくらいの精神を持っていました。
そして、紀元前500年から紀元0年頃まで500年も共和制が続きました。構成員であるローマ市民が真面目で政治にも軍事にも前向きだったから続いたのだと本村さんは書いています。
ローマ帝国は多神教でした。軍隊が強いため、周りの国と戦争して、どんどん勝っていく。その時、征服した国々の宗教や神を弾圧せず、むしろ自分たちの多神教の一つに取り入れました。寛容の精神があったということです。
それだけではなく、征服した国々の国民が一定の条件を満たせばローマの市民権を与えて自分たちの仲間に取り入れました。そうした寛容の精神があったからこそ軋轢が少なく、あれだけの大帝国が長く続いた、とあります。
そうしたことから考えてみると、国でも組織でも、この二つの精神が基本的に大切だと思います。特に今の世界の分断の流れを見ると、寛容の心がどんどん失われているように感じます。寛容の精神がロータリーの理念の一つならば、もう一度、我々は声高に言うべきでしょう。
米山梅吉の精神に移ります。結論から言いますと、自叙伝を何度か読んだものの「これが米山梅吉さんの精神だ」というものを掴みきれませんでした。
米山梅吉はキリスト教に興味を持って勉強をし、最終的には入信もしています。奥様もクリスチャンだそうです。そのため、米山梅吉の精神の中心にはキリスト教があると思いますが、明治の日本人ですから、幼い頃から漢学を通じて儒教の精神も学んだでしょうし、明治の元勲と親しくしていたため日本的な精神も持っていたと思います。
そのため、日本的な精神とキリスト教の精神との両方が矛盾なく心の中にあったと推測しています。我々の大先輩で一番モデルにすべきロータリアンである米山梅吉のそうした広い心を学びたいと思います。
これからのロータリーについて若干触れます。
(1) 組織強化と若返りについて
今のRIからすれば、クラブの数もロータリアンの数も増えず、特に先進国ではどんどん減っている状況です。その危機感から「クラブを増やしなさい」「ロータリーの数を増やしなさい」「若い会員を増やして若返りを図ってください」という話がたくさん来ています。これは組織を運営する人間からすると当然のことですが、この点だけ言われると少し反発してしまい、今申し上げた理念的なものが大事だと思うため一度そのあたりは考え直すべきでは、と生意気にも思っています。
(2)「奉仕の人」を育てる
オブジェクト・オブ・ロータリー(ロータリーの目的)という決めごとがあります。そのエッセンスは、「奉仕の理念を奨励し、それを育む」と書かれています。それはある意味、人の心の問題でもあります。ですから、「奉仕の精神を持った人になりましょう」「奉仕の精神を持った人を育てましょう」ということがロータリーの目的であり、「奉仕の人を育てる」ことがこれからのロータリーの大事な目的ではないかと思います。
奉仕の人とは何か。その代表である米山梅吉を、あの方の生きざまや言動を見ていただければ、わかっていただけると思います。とにかく記念館に来ていただき、また、お誘いいただきたいと思います。
ご寄付のお願いがございます。この記念館は収入が安定しないという悩みがあります。そのため、賛助会員制度を作らせていただきました。クラブ単位のコーポレーター、それから個人単位のフェローもありまので、ぜひ引き続きご支援をよろしくお願いいたします。
これからも、私は副理事長の多田幸雄さんと一緒に、この記念館の維持発展のために頑張っていきます。
※2024年10月9日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。