我がレスリング人生「夢を喰らう」
2026年2月25日(水)
日本大学 生物資源科学部
特任教授 富山英明氏
私は42年前、ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲りました。日本選手団は10個の金メダルを獲りました。私の前に獲ったのが柔道の山下泰裕選手で、同級なんです。彼が肉離れを起こして怪我をしながら決勝でエジプトのラッシュワン選手に勝ったものですから、それがもう大々的に出て、私は“裏番組”になったんです。山下くんとは大親友で、「お前のお陰で俺は裏番組だ」と笑いながら話します。
先日終わったミラノ・コルティナオリンピックが非常に盛り上がりました。今度は3月に野球のワールドベースボールクラッシック、これも世界連覇がかかって非常に盛り上がります。そして6月、サッカー・ワールドカップ(W杯)が開催されます。日本の技術も非常に高くなっており、前回のW杯もドイツとスペインに勝ちました。岡田武史元日本代表監督も同級で、彼も「俺が生きてる間に、あそこに勝つとは夢にも思ってなかった」と言っていました。この間もブラジルに練習試合で勝っていますので、ひょっとしたらベスト8以上も期待できます。
そして9月にはアジア競技大会、4年に一度行われるアジアのオリンピックがあります。32年前に広島でアジア競技大会が行われ、その後、日本はずっと誘致できずに、やっと32年ぶりに名古屋で開催されます。今年はスポーツが注目される年になります。
今回の冬期オリンピックではそれぞれドラマがあり、フィギュアスケートの「りくりゅうペア」が印象に残りました。オリンピックは4年に1度ですから、怪我もスランプも挫折もあります。4年とは時間にすると3万5000時間、その中で数日、数分、ある時は数秒でその結果を出すという精神的に非常に大変な場面です。
パリオリンピックには私も日本レスリング協会会長として乗り込んでいきました。柔道では阿部詩選手がラスト数秒でウズベキスタン選手に一本負けしました。東京2020で金メダルを獲り世界選手権でも優勝し、怪我してでも勝つと言われた者が逆転負けする信じられない悲劇がありました。
レスリングでも世界選手権で優勝し、東京2020でも断トツで優勝した須崎優衣選手の試合がパリオリンピックのレスリングの最初の試合で、絶対勝つと我々も信じていましたが、ラスト1秒でインドに逆転負けです。オリンピックは何が起きるかわかりません。
そうしたことも頭に浮かべながら、今回の「りくりゅうペア」をテレビで見ていました。ショートプログラムで自信のあったリフトで最大のミスをして、本人も落ち込んで心が割れたと言っていました。このペアは世界選手権を獲っていて実力はもちろんありますから、フリーで演技し切れば優勝はできる能力はあったと思います。翌日のフリーの滑りは神がかっていました。三浦選手を放り上げた時に「落ちるなよ」と涙が出るぐらいでした。そして、演技し切って最後に抱き合うシーンはもう涙が止まりませんでしたよね。一夜にして、ドラマが生まれました。
オリンピックがなぜこんなに人を惹きつけるのか。やはりアスリートがいて、観客がいて、そしてアスリートを支える家族やコーチ、組織、会社もあり、そしてメディアが全世界に伝える。そして、一体となって共有される。これがやはりオリンピックの一つの魅力だと思います。
私のオリンピックの人生は、1980年のモスクワオリンピックからスタートしました。スタートが大会ボイコットです。私は高校、大学と割と順調なスタートを切り、挫折もありましたが、大学3年、4年で世界選手権を連覇しました。4つ上の先輩の高田裕司さんはモントリオールオリンピックで勝って世界選手権も5連覇していて絶対勝つと言われた人ですから、高田さんがモスクワオリンピックに出ていれば100%勝ったでしょう。
私は当時のソビエト連邦のセルゲイ・ベログラゾフ選手と、モスクワオリンピックの前年に戦いました。接戦で私が勝ちましたが、私よりも実力は全然上です。今でも勝ったのが不思議なぐらいです。格闘技は相性がありますから向こうとしてはやりづらい相手だったんでしょう。
そうしたなかで、我々も最初のオリンピックで「なんとか金メダルを」と目指していたのですが、ボイコットが決まり涙を流しました。
本当の苦労や挫折というのはそれからでした。それまでは練習と大学の勉強は普通にやっていて時間もあったわけです。卒業すると運良く大学に残りました。しかし今度は、でっち奉公じゃありませんが、上司である先生のコピーや電話当番、代わりの授業などをしました。自分も現役選手でかつ大学にはコーチとして残りましたから、仕事と指導と現役という生活です。日大の私が所属する生物資源科学部は藤沢市にあり、合宿所が練馬区江古田にあったため移動に往復4時間かかりこれがきつくて、さらには減量などもあり、頸椎を捻挫して、握力が47�圓�ら20�圓阿蕕い泙罵遒舛泙靴拭�今は医学がどんどん進み専門のドクターが付いたりしますが、当時はいませんでした。世界選手権に行く時も、選手が負けた順でマッサージする状況でした。いろいろな人に病院を紹介してもらって、あちこち行くのですが、なかなか治りませんでした。
日本ではごまかしながらなんとか勝てましたが、世界へ行くとそうはいきません。ロシア、イラン、アメリカなど死ぬ気でやらないと勝てないような相手ばかりです。ただ、そうした中でも二番、三番はキープしていましたが、試合の終盤にもう力が出ない状況が続き「俺も限界かな」と思ったことが何度もありました。
でも、その4年後、ロサンゼルスオリンピックが来ました。今度はロシアをはじめとする共産圏がボイコットし片肺五輪になりました。そのため、1979年の世界選手権で破ったセルゲイ・ベログラゾフ選手とのオリンピック決勝はありませんでした。本当の戦いはなかったけれど、お互いにいい形でオリンピックを終われたのでよしとしなくちゃいけない。これも一つの運命かなと思いました。
現役が終わるとその世界に残るのはほんの一握りで、大体レスリングから去っていきますが、私は幸か不幸か、その後、大学に残り、全日本でもコーチ、監督を務め、解説や日本レスリング協会理事などを含めると、オリンピックにはモスクワを入れて12回行っています。東京2020オリンピック・パラリンピックでは選手村の副村長を務めました。いろいろな形でオリンピックに参加できることは本当に光栄に思いますし、やはり好きな道で夢を追えて、夢が実現して、最後は夢を託せることが生きている中で一番ありがたいなと思います。
今回のオリンピックでも、初めて出場して金メダルを獲った選手がいますし、スノーボードの大回転の竹内智香選手は18歳から42歳まで7回オリンピックに出ていて腹いっぱいの幸せだと思います。いろいろな終わり方があるな、いい形で終われたらいいなと思います。
次のオリンピックは2年後にやってきます。私は最初に出たのがロスですからロスからロスも運命というか宿命で、日本レスリング協会の会長として乗り込むため、どのような景色になるのか非常に楽しみにしています。
ロサンゼルスオリンピックの決勝戦はアメリカのスーパースターだったバリー・デイヴィス選手とでした。彼も同じぐらいの年ですから会って、「おいお前、ちょっともう一回やろうか」と、そんな時間があったらいいなと思っています。
レスリングはメジャーではありません。いろいろな企業の方に応援していただいて、我々も頑張っております。レスリングを応援したい方がいらっしゃれば、少しでもご寄付をしていただくと非常にありがたいと思います。全力でこれからのレスリングを背負って立ちますので、今後ともご支援をよろしくお願いいたします。
※2026年2月25日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。