卓話


「ロータリアンと機関誌」
イニシエーションスピーチ

3月3日の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

第2580地区ロータリーの友 地区委員 
永田 晨君
蠢高組 取締役兼常務役員 
銭高 久善 君

ロータリアンと機関誌

ロータリーの会員には規約によりいくつかの責務がある。例会の出席、会費の納入がそれであり、それとともに機関誌「ロータリーの友」の購読が義務づけられている。以上はロータリー会員の3つの義務ともいわれており、「ロータリーの友」を読むことは会員にとって非常に重要な義務であることを認識して頂きたい。

本日、「友」についてお話することになったのは、本年度ロータリーの友委員会に地区委員として参加しているためである。地区委員は各地区を代表した委員で、全国から34人参加している。委員会は委員長、副委員長、特別顧問、顧問、常任委員と地区委員の総員52名で構成された大きな組織である。

地区委員の任務は 嵳А廚了業の広報と利用促進∨莊逎螢檗璽箸鯆鷭个掘嵳А廚諒埆犬紡个垢觀設的な意見を発表する0儖会の依頼による原稿執筆の3つである。そしてガバナーの意向をもって、年に5回委員会の合同会議に参加することである。

「友」の利用促進目的のため、昨年9月、当地区の雑誌委員長会を開催した。沖縄を除く地区内60人の委員長に集まって頂き(欠席4名)「友」の編集内容に対する意見と会員によく読んでいただく方法について討議した。「よく読ませる」方法については約半数のクラブが毎月例会で友」を話題に取上げることが確認され、なかには出席者を指名して感想を求めたり、あるいは会員専用のホームページに紹介記事を掲載する工夫も披露された。ここで改めて確認したいことは毎月例会で「友」の簡単な紹介をすることはクラブ細則で規定されていることである。

地区委員の活動について言えば、34人の地区委員が毎月リポートを書いても、意見は多様だから、それが編集改善に役立つ効果は限られている。また50人以上の委員で合同会議を開いても、連絡が主体で、意見交換などの討議の場とはなりにくい。全国から委員が集まるという点で、親睦や交流の意義はあるが、ロータリー運営の経費面から見ると問題がある。私の雑誌業務の常識では理解しがたい肥大化した組織だ。「友」をより良い機関誌に改善するためには、この委員会の改革が必要だと痛感している.

ところで「ロータリーの友」の関係者の間では「友は読まれざるベストセラーだ」との発言がしばしばあるが、これは奇妙なコメントである。読まれないベストセラーなどあろうわけがなく、「友」が約12万部の発行部数をもっているのは公式地域雑誌として購読が義務付けられているためにほかならない。「友」は機関誌として魅力が乏しいと感じている会員が少なくない現状から見ても、編集改善の努力は不可欠だと思う。

昨年4月、雑誌月間の際、クラブ・フォーラムの席上で「友」の閲読状況についてアンケート調査をお願いした。出席者63名全員が回答して下さったが、その中で「全部読む」と答えた方は3人、「大部分読む」が7人、以下「一部目を通す」44人、「時間がないので、ほとんど読まない」7人、その他2人であった。「一部目を通す」との設問もあいまいではあるが、この44人とほとんど読まない7人を加えると、81%になる。クラブフォーラムに参加された方はロータリー活動に熱心な方が多いようにお見受けしたので、当クラブの現状ではほとんどお読みになっていない方が相当多いのではないだろうか。RIのRotarian誌と比べてみても、「友」の編集改善は重要な課題だと思う。

街並みとの対話、人の記憶との対話

各地で見られる大規模な再開発事業や、超高層ビルの建設。わたしたちを取り巻く都市空間は、
その規模もかつてないほど大きく、また、その構成はきわめて複雑になってきました。その複雑な都市空間を読み解き、理解するためには、実態としての空間と人が持つイメージとの結びつきを理解することが大切になりつつあります。それは、建物、街路樹といった物理的な要素に限りません。そこで生活する人たちが、「何を見ているのか?」「何を感じているのか?」といった感覚的要素を含んでいます。

 これからの建設事業者は、人々の「街に対する記憶」や「思い入れ」を理解する努力をして、街並みのあり方、案内指示板などの検討を行わなければならないと考えます。

 ひとつの地域についてのデータからは何種類もの地図をつくることが出来ます。一枚の地図は、その中のたった一つにすぎません。地形図、海図、天気図。場所によって変化する空間的な事柄を、文章や風景画で表現することも可能ですが、位置関係を詳しく説明する時に、地図に勝るものはありません。しかし、地図は、多様な情報を同時に蓄えることが出来る反面、重要な情報が無数の点の中に埋もれないように、必要とされる情報を「選択・強調」して作られています。そして、この「選択・強調」は、わたしたちの街並みに対するイメージ、「頭の中の地図」にも現れます。

 地理的イメージは体験や教育によって、大きく左右されます。例えば、皆さんが子供時代の「頭の中の地図」には、一般の地図に記載されないような自分だけの秘密の抜け道が描かれていたり、通学路の途中にある駄菓子屋や恐い犬のいる家など主観的な情報が充実していたのではないでしょうか。街並みや景観も実態の情報と、もっぱら人間の脳によって練り上げられる情報の両方で構成されています。例えば、関東平野で「屋敷森」は、そこに家のあることを意味しています。ところが、外国人、もしくは関東平野以外からきた人にとって「屋敷森」は、物理的な木立にしか見えないでしょう。

 「頭の中の地図」には、様々な「情報の濃淡」が現れ、街並みや都市空間を知覚するときには、つねに想像力や主観の世界が介入します。こうした経験や思い入れが行動の規範となる以上、街並みを理解するには、そこで生活する人々の記憶と向き合い対話することが重要になるのではないでしょうか。

 わたしたちは、街並みや景観について、それを好む、好まないという違いがあることを知っていますが、それを嗜好や趣味の問題として片付けてしまいがちです。しかし本当に、それを見た時に、同じことを感じているのでしょうか、その理解に違いがあるのではないでしょうか。従来、わたしたち建設事業者は、その地域に根付いた目に見えない様々な文化や習慣に対して無神経に振舞うことが多々ありました。しかし、街並みや景観の変化は、街並みや景観を構成する物理的な要素が交代するだけではなく、そこに生活する人々にとっては、その地域の文化や習慣を変える行為となります。

 経済原則を優先した再開発事業と懐古主義的な街並み保存の両立には、多くの制度的な課題が残っていますが、街づくりに携わるものとして、その建物や空間が人々に愛され、受け入れられる努力をしなければなりません。地震発生時の避難場所は、何処にあるのか。人通りが少なく、住む人々が危険と感じる道は何処か。最近の社会事件などを考えましても、「防災」「防犯」など都市空間に潜む問題を解決する観点から、つくり手とつかい手で街並みや空間に対する「イメージの共有」をはかることが、21世紀の建設産業に求められていると強く感じています。