卓話


東アジアの文化交流の行方

2011年4月6日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

(株)オフィス松尾 代表取締役社長
国際交流基金 理事
松尾 修吾氏

 私は長い間,音楽産業界,今でいうソフト産業界で仕事をしてまいりました。その間,いろいろなご縁があって各国の文化交流に関わってまいりました。

 最初に関わった国は韓国でした。今から15年ほど前になりますが,当時,レコード協会会長をやっておりました私は,すぐ隣の国であるのに,日本の音楽が聴けない「大衆文化の禁止」という状態を改善するために,韓国各界の方々にお目にかかりました。

 その時に感じたことは,「我々の世代にはいろいろな拘りがある。それを簡単に水に流せるわけではないが,現実に,音楽は国境を越えて流れている。多くの人,特に多くの若者がそれを聴いていて感動を共有している」ということでした。

 そこで私は,韓国で日本の音楽が聴けないことの矛盾を説いて回りました。韓国でも,それに理解を示す人たちが増えました。対馬で流れている日本の放送局からの音楽を釜山で聴いていました。音楽は理屈や理論ではないことも感じました。

 1998年に日韓のトップ会談がありました。金大中氏が「日本の音楽禁止は段階的に解放する」と言われ「日韓の文化の交流を積極的にやれば政治経済の問題があっても乗り切れると思う。そういうことを検討する委員会を作りたい」と発言されたと伺っております。

 明けて1999年に,小渕総理が韓国を訪問された時も,金大中氏は重ねて「文化交流を深めよう」という提案をされました。続いて同年の5月に,韓国から10名の委員が示されました。日本側もそれに応じて,三浦朱門,平山郁夫,千宗室,広中平祐といった著名人を中心に,合計10名の委員を選定しました。私もそのメンバーの一人でした。

 この会議は,まことに和気藹々とした会議でしたが,振り返ってみると,金大中氏の熱意と識見は非常なものであったと思います。

 2002年ぐらいまでに,今後の文化交流の在り方をまとめればよいと話し合っていましたが,我々の提案について韓国側が高い評価をして,とりあえずということで1年延長しました。その後には,盧武鉉大統領も更なる延長を希望され,とうとう8年も続けることになりました。

 このベースは,その後の日・中・韓文化交流フォーラムに引き継がれました。人と人との関わりの中で,解決する部分がたくさんあることを実感しました。

 その後,韓国と日本の文化交流は驚くほど深まりました。2002年のサッカーワールドカップの共催も世界最初の試みでした。若者が互いに応援し合う姿やヨン様ブームは特記すべき事柄です。また去年一年間の日韓では実に530万人近い人々が行きかう時代となりました。ちなみに,日中間は514万人という,大変な勢いで伸びております。

 戦後しばらくは,アメリカとの交流が一番でしたが,5年くらい前からは,日韓間,日中間がトップです。人の動きが多いことは,何といってもさまざまな分野での交流が進展していくベースになると思います。

 これからの行方はどうなるのか。2年前,鳩山さんが総理として「東アジア共同体構想」を披露しました。この構想には「掛け声は結構だが,実際となると同床異夢の絵空事だ」ととる向きも少なくありまえんでした。

 私は,東アジア共同体構想は政治的な解決よりも文化的な連携でスタートするのがよいと思っています。東アジアは,日本,韓国,中国の文化的交流が緊密なら,政治経済分野で少々のことがあっても大丈夫だと思います。特に大衆の文化を理念として交流を深めることは東アジア共同体構想の一つの形だと思います。

 メコン川デルタ地区の開発だとか,石油の共同備蓄とか,原子力平和利用の技術交流のプラットフォーム作りとか,話題はいろいろと出てきています。しかし,共同プロジェクトの展開は容易なことではありません。

 一方,青年の文化的交流,人的交流を深めることは何よりも大切ですし,そんなに困難なことではありません。今,中国や韓国の若者の人気といえば日本の「アニメ」です。アニメへの関心は物凄いものがあります。ヨーロッパやロシアも,例外ではありません。ちょっとしたアニメ・フェスティバルでも10万人単位で人が集まります。また,日本の古典文化をベースにした現在の文化がすごい勢いで市場を席巻しています。

 東アジア共同体構想の中で触れている課題に,留学生の単位互換制度があります。これはいいことです。こういうことの積み重ねが,文化の積み重ねに通じます。

 かつて安倍晋太郎さんが外務大臣だった時代に実現された制度があります。世界で日本語を教えている外国人の先生を日本に呼んで,もう一度,日本語のブラッシュアップをしてもらうというプログラムです。それを実行する施設は浦和にあります。日本語国際センターが運営しています。私はそこの所長もやっております。

 1987年にスタートしその後25年間で延べ1万人近い「外国人の日本語の先生」が来日して,研修しました。

 併せて,日本の文化に触れてもらうプログラムを組んでいます。歌舞伎や能楽の鑑賞,相撲の観戦などですが,皆さんが一番感動してくださるのはホームステイです。いろいろな企画の中で,ホームステイが日本の文化に触れる最善で最短の企画だということが分かりました。

 このようにして私は,日本語を理解することが日本の文化を理解することに通じることだと,確信が持てるようになりました。さらに日本語学習者が400万人近くに急増し日本語能力試験も54カ国206都市で行われ2009年には約77万人が受験しました。学習者・能力試験の受験者数は急増していますがアジア全域,特に東アジアが70%〜75%になります。

 ここに来て「クール・ジャパン」という言葉が一般に広まってしばらく経ちますが世界に日本のポップ・カルチャーである,アニメやマンガをテレビでも提供する時代になっています。アジアの人たちも,それを見ることで日本を身近に感じてくれています。

 「日本のアニメで育ったんですよ」そんなふうにアニメを語る世代が世界中に増えています。アニメという共通基盤を持った,同じものを見た世代が社会の中心になっています。

 今までの文化交流は,異文化を理解し合うことがベーシックなスタンスでした。ポップ・カルチャーは,同じものを見た人たちが,集まって交流し始めるわけです。相互理解の土台が,若い人たちにはできているのです。「平和な世界を築きあげるためにも,重要な足がかりになる」と言う人もいます。

 このように日本に関することが膨らんでくると,我々が何をしなくてはいけないかという問題が出てきます。

 実は,今の日本は,戦後生まれの人間が80%になっています。その数に,戦前に生まれたけれども戦争責任がないと思われる世代を加えると,人口の95%を占めます。

 若者と我々が違うのは,デジタルかアナログかの違いでしょうか。
 今の若者は完全にデジタル人間です。この人たちが国を支えていきます。東アジアの文化の交流がデジタル感覚だけで大丈夫かという問題が残ります。

 東アジアは日帰り圏になっています。若い人たちが新しい街造り,国造りをしていくには,どうしたらいいかということ考える場を早く作って,バトンタッチをしてあげないといけません。私たちは,どちらかというとアナログ時代の発想でものを考えます。若い人たちはデジタルでものを考えます。

 今のような時代には,このような人たちを育てることがベースにあると思います。
 最近の,日本の若者に対する調査で,とても気になることがあります。
 高校生に対する質問で「いちばん気になることは何ですか」という問いに,なんと「就職が心配だ」が一番多い回答です。「どういう人生を送りたいのか」という問いには「平穏無事がよい」と答えます。「どういう所に勤めたいか」という問いには「公務員を望む」と答えます。

 私は,高校生が好きで,よく交流するのですが,「日本とアメリカが戦争をしたことを知っているか」という質問や「その戦争では,どっちが勝ったのか」という質問に,明快に答えられる生徒が少なくなりました。

 祖父母や両親と一緒に生活しているうちに身につく知識というものがあります。家族との営みの中で身につける知識が薄くなってきていることが懸念されます。

 一方,2010年3月12日付で「中国の対日好感度調査」が公表され,その結果は興味深いものです。15歳〜20歳での,青年の対日好感度は最高です。次はアメリカ,フランス,韓国の順です。ところが,年齢が上がるにつれて,日本の好感度は下がる一方です。日本は,アメリカ,フランスの下になります。

 何度も申しますが,われわれはどうやって,これからの若い人たちにバドンを渡していくかが問題です。先般,7年前平山郁夫先生の発案でスタートした「日・中・韓文化交流フォーラム」が奈良薬師寺で開かれ,平山先生が描かれた「大唐西域壁画殿」で先生を偲びながらの会合でした。このような仕事を若い人たちに引き継ぐのも私の任務だろうと考えながら,これからも頑張っていきたいと念じた次第です。