卓話


老舗の経営〜何故存続できたか〜

2012年10月24日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

公益財団法人三井文庫
常務理事・文庫長
由井常彦 氏 

 英語で「老舗」をどう訳すか,適当な言葉がないように思います。オールドショップとかエスタブリッシュドショップという言葉は,実際にはあまり使われていません。オールドというと,古めかしくてクモの巣がぶら下がっているような連想もしてしまいます。

 私たちがいう「老舗」は,とても親しみやすいという思いがあります。ですから,私は「シニセ」を国際語にしてもよい言葉だと思っています。
1.老舗のコンセプト
 日本橋の三井越後屋呉服店が始めた「現金安売り,掛け値なし」という商売は,世界で最初の商法でした。また,三井越後屋呉服店は18世紀を通じて世界最大のリテールショップでもありました。

 フランスにもイギリスにも古いデパートがありますが,三井文庫にある17世紀からの関係文献を付き合わせても,やはり三井越後屋呉服店,今の三越が世界最初で,1682年に始めた「現金安売り,掛け値なし」を越える記録はありませんでした。

 売上高,従業員数,敷地面積,帳簿整理の精密さの4視点で調べたところ,三井越後屋呉服店が,国際的にも最も早い店で,最も優れているという結論になっています。

 三井越後屋呉服店のイノベーションはすぐに浸透して,30〜40年経つと白木屋が出
来ます。ちょっと遅れて名古屋の松坂屋が銀座に進出します。高島屋も出てきます。大丸も少し遅れて出来ました。

 これら5つのデパートは,いずれも18世紀の中頃には売上高がかなりあって,年間20万両ほどで推移し,1日に800両程度の売上規模の商売をしていたと推計できます。

 越後屋の従業員は,三越の店だけで350人はいますし,全部を足すと1,000人を超えていました。当時,そんな規模の店は全くありませんでした。この事実は国際的にも承認を得たので,間もなく学会記録で発表されるはずです。

 三井越後屋が世界一のリテールショップであったと同時に,日本橋と銀座をつなぐ中央通りに匹敵するような道路が,18世紀の外国にもない立派な商店街であったことも,特記すべきことです。

 日本橋の鉄の橋を造って,去年がちょうど100年でした。それを記念して周辺の皆さんがイベントをやった時に調べたのですが,日本橋周囲の商店で,おもな協賛店の20社についてみると、それらの店が今も全部残っていたのには驚きです。日本の老舗には,それだけの力があるのです。

2.日本の長寿企業
 帝国データバンクが把握している150万店の店舗について,明治維新以前に出来た商店がどのくらいあるのかを調べてもらいました。実に2,879店が,明治維新以前に創業しています。その中の247店は江戸,東京です。

 元禄時代は,幕府が貨幣を改鋳して通貨の供給量が増え,町民,商人の活躍した時代です。その後,享保時代には,徳川吉宗が新井白石の意見を聞いて大緊縮をやりました。ですから,元禄時代に出来た店が,享保の大不況をくぐり抜けたことが大きいのです。

 老舗の経営を世界的に研究して,国際比較して,課題であるサスティナビリティについて検討を加えたいと考えています。

 フランスもイギリスも,この問題には熱心です。ドイツはなかなか難しくてやりにくいところがあります。アメリカは歴史がそんなに長くないから簡単です。
 日本は企業についても長寿国です。その理由の一つに,江戸が世界一の大都市であったことも挙げられます。

 江戸は,元禄時代にはすでに人口が100万人近くになっていました。享保時代の後には120万人ぐらいになっていたことが実証されています。

3.江戸時代の老舗商家の伝統
 大店(おおだな)が,300年も続くのはどうしてか。しかも、当時の江戸は,ものすごく火事が多い所でした。例えば白木屋は,江戸後期の天明以後に8回も類焼の被害に遭っています。

 そんなに頻繁に火事に遭っているのに,どうして店が維持できたのか。
 江戸の大店は,ほとんど潰れることなく商売を続けました。その理由は危機管理が十分だったからです。

 私は,享保17年に造られた白木屋の日本橋店の見取図を作って調べてみました。
 元禄時代になる前は,幕府は大きい建物を造ることを禁止しました。大勢の人が集まることも禁止しました。

 享保年間になって,町並みもちゃんと出来るようになりました。大店の場合,何百人も雇うとなると,それなりの大きさが必要になり,白い漆喰壁に屋根瓦、そして二階建ての建物が普通でした。

 その建物には蔵がたくさんあるのが特徴でした。しかも大きくて頑丈で,壁の厚みも厚く,耐火装置をうんと工夫した蔵でした。

 それに対して,店はそれほど頑丈ではありません。江戸時代の消防は,火消しではなく破壊消防です。火がまわるとすぐにその建物を壊して延焼を防ぎます。それが江戸火消しの伝統です。

 火事になると店の商品を蔵の中に全部入れて蔵を密閉してしまいます。火消しの人たちも,蔵に放水して燃えないようにします。

 それでも白木屋のような大店はお客さんが立て混んでいますから,品物を蔵に入れる余裕がない場合もあります。そんな時は,見世(店)の中央にある「穴蔵」に品物を放り込みます。品物を放り込んだ後は蓋をして砂をかけ,泥までかけてから一斉に逃げます。

 こうして,店は焼けても、人は助かり品物は焼けず,すぐに商売を再開することもできるというわけです。火事の後は,再開する時期の早さを競って,一週間ぐらいで仮店舗での商売を始めるのが普通でした。

 大店はだいたい20年に一回は建て替えます。そのための蓄えも用意しています。火災に対する危機管理も非常に整っていて,平素から使用人全体にそれぞれの分担が決められていました。火の元の管理も十分してあり,二階にも天水桶が用意されていました。

 火元との距離を実際に測るのは案外に難しいのです。それぞれの家の屋根に物見があって,火の見櫓と連動しています。遠くの火事でも,風向きによっては対応する判断も必要です。それらについても,実に危機管理が行き届いていました。

 安政の大地震というのがありました。この時の被害をみると、火災は翌日には全部が鎮火しています。死者は4,000人を超えたと記録されていますが,多くは建物の倒壊による被害で,火事で死んだ人はあまりいませんでした。

 関東大震災では,地震での死者は大多数が火災によるもので、10万人といわれています。しかも,当日より翌日の死者の方が多いのです。こういう資料から見ても,江戸時代の老舗は災害への対策がよくできていたことが分かります。

4.老舗の経営の理念とスキル
 江戸時代の老舗には大事な伝統がたくさんありました。危機管理がよくできていたことからも分かりますが,老舗の理念をみると利益よりも存続を重視していることが伺えます。

 「大きく儲けろ」などという家訓はあまり見られません。大方の家訓は,「多額の利益よりも存続」が大事でした。

 「going concern」というのはかなり強い意味で「儲け続ける」というニュアンスがありますが,「sustainability」はとにかく存続させるということを示していると思います。

 学問が好きで文学に凝ったようなご子息がいると,早く隠居させて,養子をとって家業を続けるといったことも行われました。

 もう一つ,「人を信じろ」という家訓があります。従業員を信じて従業員の能力を高め,能力主義で報いなさいというものです。

 江戸時代前半は違いました。「他人は悪人と思え」とか「他人を信用すると後で後悔する」などの家訓が多かったのですが,元禄以降になると,老舗では「人を信じて育てたほうがよい」との家訓に変わるのです。

 有能な手代がいないと店はもちません。ですから,優秀なミドルを養成するようになります。最初の採用も難しくなりました。有名な「のぼり」という制度があって,2度も3度も丁稚と手代を繰り返して,その間に能力をみてゆき、一旦採用したら長期に雇用するということになりました。

 「始末,才覚,算用」という言葉があります。始末は,物事をよく始末する,赤字を作らないこと,徹底した堅実経営です。リスクのある商売はやるな,です。才覚は,イノベーションです。算用は,文字通りソロバンです。正確な記帳です。一銭一厘も変えないで決算することです。

 この三つは現代のスキルアップにも通ずる言葉として,活きていると思います。