卓話


東京大会の成果と課題、レガシーの展望

2021年12月15日(水)

(公財)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
会長 橋本聖子氏


 多くの皆様方のご理解とご協力により、この東京大会を乗り越えることができました。実はこれからが重要だと思っています。東京大会組織委員会は来年6月頃の解散に向けて、現在は、決算や公式報告書作成に全力を挙げて取り組んでいるところです。

 私は1964年の東京オリンピック・パラリンピックの10月に生まれました。オリンピックの開会式を父と祖母が北海道から見に来て、聖火に感激して聖子と名付けてくれました。私は札幌大会の聖火を見て、小学校3年生まではスケートでオリンピック選手になるという夢の実現に向けて頑張っていたのですが、腎臓病を患い、小学校の後半はスポーツとは無縁の生活をしました。

 その後、夢を諦められず頑張りましたが、高校3年生の時に再発し慢性腎炎がわかりました。同時に、ストレスからくるPTSD(心的外傷後ストレス障害)で深呼吸のできない体になってしまいました。今もその障害は持ち続けています。その入院中に医療事故に遭ってB型肝炎に感染し、少し前までキャリアでしたが、今は健康維持に力を入れています。

 そして、冬のスケートで4回、夏の自転車で3回、計7回オリンピックに出場しました。家族、迷惑や心配をかけた人たちには申し訳ないのですが、3つの病気を抱えたことによって結果的にはオリンピックに出られる気持ちの強さを持ちましたし、そうでなければ健康への憧れを抱くこともなかったでしょう。

 その後、政治の世界に入り27年目になります。スケート連盟会長、バンクーバーオリンピックの日本選手団長、自転車競技連盟会長などで女性初というチャンスをいただいたことは私にとって大きな経験になっています。

 今回の東京オリンピックには206の国・地域、パラリンピックには163の国と地域が参加しました。組織委員会のプレーブック、感染症対策を理解してもらい、コロナ禍にもかかわらずパラリンピック史上最多の4400人を超えるアスリートに参加してもらうことができました。

 大会の成功を後押ししてくれたのは日本選手団の活躍です。史上最多のメダルを獲得してくれました。ナショナルトレーニングセンターを充実させ、医学、科学、情報、食、眠り方の研究、脳科学、全ての力を借りて、選手育成に成果を上げることができました。また、パラリンピック選手の支援をするための特別なナショナルトレーニングセンターも設置でき、オリ・パラ一緒になってカンファレンスや合宿をすることが相乗効果を生みました。

 選手村については、全関係者に外出禁止の厳しいルールを徹底しました。そうした中で選手にリラックスしてもらおうとさまざまな要望に応え、女性選手からはネイルサロンなどが好評でした。食事も充実させました。日本食だけのレストランが大盛況で、これから日本の食文化が世界に広がっていくでしょう。

 セキュリティは、47都道府県553社が加盟したJVで警備してもらいました。こうした形は日本では初めてでしたが、官民挙げた万全の体制を整えることができました。心配されたサイバー攻撃も特段の事案は確認されずに終わりました。

 輸送についても、法律改正をし、企業の皆さんにも大会中はできる限り車を使わないといった対策をお願いしました。コロナ禍もあってテレワークが進み、スムーズな形でできました。ソーシャルディスタンスを取るために関係者を輸送するバスも追加が必要になり、全国の皆様方にご協力をいただきました。

 無観客だったこともあり、一番、選手や関係者に接する機会が多かったのがボランティアです。特にジャマイカのハードル選手を助けたボランティアが話題になりました。予選に間に合った結果、金メダルを獲得することができ、国を挙げて感謝されました。障害を持った方もボランティアに参加してくれ、心のこもったおもてなしが溢れた大会になりました。

 今回のオリンピックの柱は復興で、福島のJヴィレッジから聖火リレーがスタートしたのをはじめ、聖火に福島で製造されたクリーンな水素の活用などが行われました。こうした取り組みが復興に繋がるよう復興庁に託していきます。

 持続可能な社会の実現に向けた取り組み、カーボンマイナス大会を実現する責務もありました。電気自動車の利用、金銀銅メダルは携帯電話等から金属を回収して作りました。また、全国の自治体から借り受けた木材を選手村内の建物などに使わせてもらい、その木を自治体に返し教育や地域の公共事業に使ってもらう木材の活用リレーをしているところです。

 使用済みプラスチックで表彰台を作り、メダルを獲得した選手の母校に寄贈しています。聖火のトーチも復興の仮設住宅のアルミ建材を再生利用したもので、調達段階から大会後の資源循環を見据えた取り組みは世界から評価されました。

 次世代に向けた日本の技術の発信も、東京大会の意義と価値でした。投てき競技の器具の運搬に自律運転機能を有するロボットを活用したりしました。

 また、共生社会の実現に向けた取組みとして、ユニバーサルデザインの街づくりを8年かけて行いました。真のバリアフリーの街づくりに繋げるために国交省と連携しているところです。

 共生社会の実現に向けた取り組みのもう一つは、子供たちです。8年前から心のバリアフリー教育を小学1年生当時から毎年受けてきた子どもたちは今、中学2年生になり、当たり前のように障害者に対して心配りをし、誰もが生きやすい社会を作り上げる備えができています。

 私が急遽、オリ・パラ大臣を辞めて組織委員会の会長になったのはジェンダーの問題からで、日本はその配慮に欠ける国だと言われました。私は世界が注目をしているときだからこそ、すぐに理事の女性比率を42%に変えました。

 そして、「東京2020ダイバーシティ&インクルージョンアクション−誰もが生きやすい社会を目指して−」を宣言し、8000名近くの組織委員会の職員1人ひとりにジェンダー平等推進の実現に向けた取り組みをしてもらいました。

 第1回のアテネ・オリンピックは男性のみの参加でしたが、今回の東京大会は約49%と史上最高の女子選手の参加割合になりました。競技は必ず両性で行わなければいけないというIOC憲章があり、男女混合種目も増えました。

 私がオリンピックアスリートの時代までは、性別確認検査が義務づけられ証明書が出されてから出場できるという状況でした。その後、人権の観点、性別を確認すること自体の医学的限界から、性別確認検査が廃止されました。

 2004年のアテネ大会からは性別変更選手の出場が承認され、今東京大会では初めて性転換した選手が出場を果たしました。性同一性障害を抱えている方々もいますので、どこまで配慮できるのか、これからIOCが抱えていかなければいけない大きな課題です。

 コロナ対策については万全を期しました。IOCとファイザー社からの提供により、選手を中心に大会関係者の8割がワクチンを打ちました。また、検査を徹底した結果、入院者は5名、重症者はゼロ。30万人以上の関係者で0.03%の感染率に抑え込むことができ、地域医療への逼迫を招かずに終わりました。

 大会の医療体制は史上最高だったと思います。暑さ対策は医学的観点でしっかりと行い、熱中症の重症者を1人も出しませんでした。スポーツ医療に対応した最先端の医療機器も入れました。特に世界の選手たちが驚いたのは日本の歯科治療の技術です。棒高跳びの選手が前歯を折る大怪我をしましたが、歯科医師チームが3時間半で全く問題ない状態にして、次の日には復帰することができました。アフリカなど開発途上国では一度も歯科治療を受けたことがない選手がいて、選手村にいるうちに治して帰りたいという選手たちがたくさんいました。

 次世代研究として、選手村の下水の疫学調査を行いました。オリの期間中、下水からのウイルス濃度は増加することはなく選手村内の感染拡大が起こらなかったことと合致しました。パラの期間中は検出率、濃度ともに高い傾向でした。現在、ゲノム解析の専門家チームによる検証が行われているところです。こうした研究を重ねることで、感染症の発生をいち早く知ることにつながりますし、街や環境を健康にしておかなければ人々の健康は保てないことを伝えることにも役立ちます。

 終わってみると、世論調査も大半が「開催されてよかった」となりました。見る・する・支えるという3つを中心に、医療、福祉、技術、科学技術、芸術文化、教育、食、観光、地方創生、すべてが一つになり、新たな産業を生み出すという気持ちで行ったことで、この東京大会はできたと思います。

 そして、健康な街を作るために必要なものがよくわかりました。コミュニティ、公共機関、地域環境といった政府・自治体と、福祉・介護施設、医療産業、クリニック・病院といった医療資源を統合して、コミュニティが生活習慣の改善をサポートする形です。

 スポーツ医療は、Well-beingを築くものです。アスリートたちはドーピング検査があり一定の薬しか飲めないため、病気や怪我を予防する徹底した選手村を作りました。これからは、未病対策に重きを置いた医療改革が求められていき、正しい予算配分にも繋がっていくと考えています。

 次世代に残す東京大会のレガシーを作ろうとしている今がスタートラインです。オリンピック・パラリンピックは単なるスポーツではなく、国家の威信をかけた文化と経済の戦いであり、そして、日本の素晴らしい伝統文化力をどのような形で産業に変えることができるかが私達に課せられた大きな課題だと思っています。東京大会の意義と価値が、皆様方、子供たちにしっかりと根付き貢献していくものとなるように、組織委員会会長としてしっかりと報告させていただけるように頑張り続けます。


   ※2021年12月15日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。