卓話


公教育の未来 

2009年2月4日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

杉並区立 和田中学校
元校長 藤原和博氏 

 私は,東京都で義務教育分野初の民間からの校長として5年間の仕事をしました。
私がこのような仕事を選んだ理由は,私が37歳から2年半ほどの間,ロンドンとパリで
駐在した時,「成熟社会とは何か」ということを学んだのがきっかけでした。

イギリスとフランスは百年前から成熟社会にはいっています。成熟社会とは,お年寄りが増えるというだけではなく,価値観が多様化し,社会が複雑化し,変化が激しくなる社会を意味します。

 私のヨーロッパ駐在は,このような社会の中では,いったいどんなシステムが大事になるのだろうということを体感するための駐在でもありました。

 結論は一つ。「日本は教育と,介護を中心とした医療の分野で,根底からシステムを改めないと,いい成熟社会にならない」ということです。そこで私は,教育と医療に特化した仕事に専念したいと考え,会社を退社して勤めていた会社とフェロー契約を結びました。 私の立場は,いわば会社の中にいる自営業者といえば分かりやすいと思います。

 教育,医療という二つの分野を探っておりましたが,私としては,自分の持ち味は教育の分野で活きると考えるに至りました。

 私の持っているテーマは「公教育を根底から変えるにはどうしたらいいか」というものでした。そこで,校長になって,法律制度を全くいじらずに,特区などもとらずに,現状を全部変えてみせるという考えで「一校を現在の法律制度下でどこまでやれるのか」と実践したのが和田中学校での5年間でした。

 このドキュメントについては,本にも書いておりますので,そちらを読んでいただくとして,今日は「何故今の子供たちや若者がコミュニケーション能力を失っているのか」ということについて,原因となる二つの大きな物事を述べたいと思います。

 皆さんの会社でも,20年前〜10年前と比べて,新入社員のコミュニケーション能力が落ちてきていると思います。新入社員に限らず,子供さんお孫さんとのコミュニケーションについても同じことが言えると思います。

 社会は非常に便利な社会になっています。例えば子供たちがコンビニで雑誌を立ち読みして,ついでに飲み物も買う30分の間,一言も話す必要がありません。

 最近は,逆に自動販売機がしゃべりエレベーターもしゃべります。つまり人間の外の環境にインテリジェンスが埋め込まれているので,人間があまり働きかけなくてもいいようにできてしまっています。

 コミュニケーションしなくてもいいようにてきている超便利社会という環境にも原因があります。この環境は変えられません。

 しかし,私は,変更可能なものを二つ示してみたいと思います。

 一つは,「携帯電話とテレビ」です。携帯電話を使っている間,テレビを見ている間,子供たちの脳は,それ程動いていません。このことは,脳科学者たちが実際の映像で確認している事実です。

 今の子供たちは,いったい一日何時間ぐらいテレビを見ていると思いますか。調査では大体平均3時間ということです。ゲームなども含めますと4時間ともなっています。
一日3時間テレビを見ていますと1年間で約千時間です。これがほとんどの子供たちがテレビ視聴をしている時間です。

 これに対して,日本の小中学校の1年間の授業時間数は8百時間です。道徳も体育も学級活動も含めて8百時間。いわゆる学力に関わる小学校4教科,中学校5教科は大体その半分です。つまり年間4百時間です。

 中でも,国語の授業時間は,小中高それぞれに大体年間百時間です。

 これでお分かりでしょう。日本語を正しく書いたり話したりする国語の時間が百時間。対してテレビを見ている時間は千時間。子供たちがどちらの言葉を話すようになるかは自明のことです。話す言葉は当然テレビ語です。

 私は,和田中学では「テレビは一日1時間15分にしてくれ」と,入学式以来,百回近く言いました。朝のニュースを15分。夜に選ばせて1時間見たら消してから自分の部屋に行く。自分で消すことが大事なのです。

 これでようやく教科の時間と釣り合うのです。日本の教育改革で,テレビのことが全く触れられずにいるのは腑に落ちません。

 テレビを見るなとは言いません。テレビが悪いのではありません。テレビの見方が悪いのです。あるいは見せ方が悪いのです。そういう意味で,テレビのリテラシーについても子供たちにきちんと教えたいと思います。

 「携帯電話」もテレビと同じです。携帯が悪いわけではありません。使わせ方があ
まりにも野放図なだけなのです。

 中学2年生の生徒は1日何通のショートメールを交換していると思いますか。「今どこ?」「…家」「何してる」「…テレビ」。こういったメールをだいたい2百通ぐらいです。夜の12時から夜中の2時まで…楽しいものです。それで寝不足になります。知らない人との通信も簡単にできます。だから夢中になります。親が携帯を買い与えてしまったら,そんな状態を防ぐことはできません。

 私が校長のときは「中学までは必要ない」と言いました。どうしても必要なら,親がもう一台買って,ルールを決めて貸すことを提案してきました。通話のみでメール機能をつけない機器を持たせるという方法を考えた親御さんもいました。

 携帯をもたせると人格が変わるといいます。携帯をもっている子は,先生の指示も上の空です。後で友達にメールで聞けるからです。集中力がどんどん低下します。

 さらに,約束の時間も守れなくなります。遅れて行っても,携帯で居場所が分かるからです。こういう感覚で生活していますと「仕切る」という感覚がなくなります。

 何事につけても約束を守るという習慣が身に着きません。仕切り感,潔さ,決断力が,どんどん失われていっています。

 このことが日本の社会に物凄くダメージを与えていることを記憶に留めてください。

 このように「テレビと携帯の中毒」になると間違いなく,子供たちのコミュニケーション能力がなくなってきます。コミュニケーションしない子は,思考すること自体もできなくなります。くれぐれもそのようなことにならないようにしてやりたいと思います。

 もう一つの問題は,学校の「正解主義」です。とにかく先生は正解を教えたいのです。

 「1+2=3」とか「コロンブスがアメリカ大陸を発見したのは1492年だ」という正解です。これをTIMSSの学力といって,正解をいっぱい覚えておいて,問われたら即座に出せる力をつける情報処理力です。

 成熟社会である現代社会では,情報の処理力より情報の編集力が要求されます。自分の知識,技術,経験のすべてを組み合わせて,瞬時に,ある状況の中で最適解を出せるかどうか。自分が納得して,かつ,関わる他人を納得させられる納得解が出せるかどうか。これが鍵になります。私はこれを情報編集力と名付けていますが,諸外国では…OECDが開発したPISA調査によって測られた力なので…,PISA型の学力といっています。

 フィンランドが1位で日本のランクがどんどん落ちている調査です。これは正解を言い当てる力ではなく,正解が一つだけではないという状況の中で,自分の知識,経験,技術を全部組み合わせて,最適解を導く力です。

 ディベートなどを何回もやらないと,この力はつきません。生徒たちだけではちょっと厳しいので大人も入って授業をする。そういう授業が必要です。これが,私が提案した「世の中科」という授業です。

 例えば「赤ちゃんポスト」を取り上げて,「このポストは普及した方がいいのか,抑制した方がいいのか」と議論するのです。

 一つの物事も多面的に複眼的に見ることで結論が変わってきます。こういう教育が必要です。こういうクリティカル・シンキングな力をつける教育が大事だと思います。

 最後にお願いがあります。公教育には資金も人材も足りません。私は政府に頼ることよりも,皆さんが地域の学校に足を運んでいただいて,正解主義の授業をする先生に「世の中は正解だけではないよ」とアドバイスをしてくださることを期待しています。
 市区町村への特定の寄付をしていただいて誰々記念図書館と銘打った設備を増やしていただくこともありがたいと思います。

 民間出身の校長をもっと増やすことも必要です。民間出身の校長は年齢制限なし,兼業でもいいと思います。直接に教育に関わるビジネスマンが増えれば,日本の教育は,あっという間によくなると思います。