卓話


常識外の一手で勝利をつかむ

2015年3月25日(水)

日本将棋連盟 会長
棋士九段 谷川浩司氏


 将棋ファンの方によくされる質問が、「プロ棋士は何手先まで読むのですか」です。実は答え方がなかなか難しいのです。将棋の調子がいい時は千手と答えることもあれば、百手と言う時もあり、あまり自信がない時は「一手読めればいいのです」と答える事もあります。いい加減なようですが、どの答えも真実という一面があります。

 「何手読むか」と「何手先を読むか」でも違ってきます。樹形図を思い浮かべて下さい。「何手先か」であれば、木の幹の部分だけを数えることになります。将棋の一局の平均手数は約110手ですから、その一部分、10手先も読めればいい方です。ただ、その一手一手に変化と選択肢があり枝葉が分かれてゆくので、「何手読むか」になると木の幹だけではなく枝葉の部分も数えることになり、百手、千手を読むこともあります。

 将棋は、自分と相手が交互に一手ずつ指すゲームなので、次の一手が100点になる手がわかればそれを指し、相手が指した時にまた考えればいいわけです。ですから、「千手読む」と言うと皆さんびっくりして感心されるのですが、プロ棋士としては多く読むより正しく読む事が重要で、次の一手、100点の手を読めればよいと言えます。

 また、プロ棋士は直感を一番重視します。今まで培ってきた知識、経験、感覚、個性などから九割以上の選択肢をまず捨ててしまい、残りの一割を深く読む作業を進めていきます。

 ここで、将棋をご存知の方は、駒20枚ずつを並べた、指し始め、スタートの局面を思い浮かべて下さい。将棋の初手(第一手)は何通りあるかご存じでしょうか。答えは30通りです。歩が9枚あり前に1カ所しか動かないので9通り、香車は2通り等で、初手は30通りの可能性があることになります。ただし、プロやアマチュアの有段者はその全てを考えるわけではなく、そのうちの約一割、具体的には▲7六歩▲2六歩▲5六歩の3通りくらいを想定します。これに対して相手が指す二手目も同じ局面ですから、理論的には30通りです。2手進んだ局面では30×30で900通りの可能性があるわけですが、900すべてを考えるわけではなく、実際に考えるのは3×3の9通りくらいです。

 将棋は取った駒を再利用できます。世界中に将棋によく似たチェスや中国将棋などのゲームがありますが、いずれも取った駒は盤の外に出てしまい、持ち駒として再利用できるのは日本の将棋だけです。それが中終盤と局面が進むのに従って複雑で難解になっていくことに繋がります。持ち駒を沢山持っていれば指し手の選択肢も広がります。10年ほど前の公式戦、私と佐藤康光九段との対局では、相手が持ち駒7種類全てを持っていたので、371通りの指し手の可能性がありました。それでも、実際に考えるのは5通りくらいです。

 直感で選んだ3〜5通りくらいの手を深く掘り下げ30分程考えて最善手を見つけ出せればいいのですが、一局の中で数度、見つからない時があります。そのような時はどうするか。盤の前に座って考えるのをやめ、席を外してお手洗いなどに行き外の景色を見たりします。今まで考えたことを一旦白紙にして、直感で捨ててしまった手に良い手がないか、もう一度最初に戻って考えてみる作業をします。

 プロの直観は9割が正しいのです。そうでなければプロになれないと言えます。プロは子供の頃から将棋をしているため、感覚的なものが身についています。違和感のある手、美しくない手はまず捨てます。長年の経験で、自然な手、美しい手が最善手、100点になることをわかっているからです。ただ、自然ではない、そしてやや美しくない手に最善手が隠されていることが10回に1回くらいあると思います。

 このことを別の例で説明します。今日この後、皆さんが東京で仕事をし、明日朝一番の大阪での仕事のため今日中に移動する予定で、秘書にチケット手配を依頼するとします。この時、東京駅から新幹線で新大阪に行く、羽田空港から飛行機で伊丹空港に行く事以外の手段を考える秘書はまずいないでしょう。

 しかし、例えば新幹線が事故で不通になり、飛行機も満席で乗れない場合にどうするか。関西には伊丹以外の空港もありますし、遠回りですが、開通したばかりの北陸新幹線を使う方法もあります。どうしても外せない用事であれば、羽田から福岡に飛び伊丹に戻る手もあります。どのような状況になっても、多くの選択肢を短時間のうちに思いつき、冷静に総合的に判断して次善策を導き出せるのが優秀な秘書と言えるのではないでしょうか。

 「名人に定跡なし」という言葉があります。定跡は常識といってもいいと思います。トップ同士の対局では、検討・研究をしているプロ棋士も全く気が付かない手が一局の中で何度か出てくるのです。もちろん、常識はプロであれば皆分かっています。でも、常識的な手だけを指していたのではなかなかトップにはなれない。その中にどれほど強烈な個性をプラスアルファできるかが、超一流になれるかどうかの鍵になると私は思っています。何が本筋(常識)かわからない人はプロにはなれない。ただし、本筋の手しか指せない人は一流、超一流にはなれないと思います。

 5歳で将棋を始めてから48年になります。その時々の実力や年齢によって将棋の魅力は変わってきました。初心者の頃は勝負のはっきりつくところがおもしろく、兄と共に続けてきました。アマ有段者になってからは、自分の思い通りに駒を動かしていけるところ、自由なところがおもしろさにつながっていました。プロになってからは、強くなればなるほど自分がわかったようになればなるほど、奥の深さが見えるように変わりました。そして、この十年程は、常識外の最善手を見つけ出すことが将棋の醍醐味ではないかと思うようになってきました。

 将棋の平均手数は約110手です。自分と相手がありますので、自分の指し手は一局で55手です。その中には誰が指してもこの一手しかないという絶対的な一手や、終盤に進むほど結論がはっきりし100点か0点かの手になるため、55手の半分位が答えのある手になり、自分の個性を反映できるのは残りの約30手になります。その一割、3手ほどが隠されている常識外の最善手で、それを発見するのがプロ棋士にとっての一番の醍醐味だと思うようになりました。

 皆様もビジネスの世界ですばらしい実績を残されてきた方ばかりだと思います。ビジネスも自然な手や前例に従って進めてうまくいくのは9割くらいではないでしょうか。時々、前例のない場面にぶつかる、今までの考え方ではうまくいかない場面に出くわすことがある。その中で、常識外の一手で難局を打開することが、ビジネスの世界でも醍醐味だと思いますし、そうして成功を勝ちとった時の喜びは何事にも代えがたい。ビジネスの世界も将棋の世界も共通する点があると思います。

 将棋は日本古来のゲームで、国際的な普及はなかなか難しかったのですが、インターネットの普及等で、海外で将棋を指すファンも増えてきました。現在の課題の一つは、夏季オリンピックの開催後に開かれるマインドスポーツゲームズでの競技種目になることです。2020年の東京オリンピックと同時開催が予想され、囲碁、チェスは当然実施されると考えられていますが、日本将棋連盟としては、そこに将棋が入れるようしっかりと取り組んでいかなければならないと考えています。

 私の子供の頃は、「将棋より勉強しなさい」と言われることが多かったのですが、今は習い事の一つとされ、将棋によっていろいろな力を身に付けてほしいと思われるご両親が出てきたのは非常に嬉しいことです。私自身も、将棋によって記憶力、集中力、決断力などいろいろな力が身につきました。今子供の大会で一番大きなものは、毎年11月に東京・有明のビッグサイトで行っているもので、小学生が3000人以上参加する大会です。私が小学生の頃は、神戸で大人200〜300人が参加する大会に子供は兄と私の2人という状況で、子供がこんなに沢山参加する大会ができるようになるとは思いませんでした。いつも大会で子供達には、「将棋でいろいろな力を身に付けてほしい。できれば身体を使うことと頭を使うことで2つ、自分が好きなこと、集中できる得意なことを見つけてほしい」と話すようにしています。

 皆様には今後とも将棋界を応援していただけますようお願い致します。