卓話


私と宝塚 

2007年3月7日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

宝塚歌劇団
理事・特別顧問
植田紳爾氏 

 私は1957年(昭和31年)に宝塚歌劇団に入団して,今年で50年になります。演出作品も100本を越え,いま,有楽町の東京宝塚劇場で上演しております『パリの空よりも高く』が101本目の作品となりました。

 50年前と申しますと,岸内閣が誕生した年です。海外では,ソ連が第1号の人工衛星スプートニクを打ち上げたという,そんな年でした。

 私が入団したのは,1957年の1月でした。時期が1月という中途半端なのは,宝塚歌劇団は,演出家を定期的に募集するわけではなく,必要が生じれば不定期に補充するという形をとっていたからです。

 前年の1956年(昭和30年)に早稲田大学文学部演劇科を卒業した私は,歌劇団の募集がないので,先ずは宝塚映画に入社し,撮影所企画部に在籍して,歌劇団が次の募集をする時には応募しようと待機していました。

 当時の撮影所所長は,その前は歌劇団の製作部長をされていた関係からか,あるいは,その間に試験をされていたのかは分かりませんが,入社した年の暮れに,「来年から宝塚歌劇団に行くように」と言われて,明けて1月13日より歌劇団に行くようになりました。 1957年の1月というのは,宝塚にとっても私にとっても忘れられない月となりました。その月の25日,宝塚歌劇団の創設者である小林一三先生が84歳で逝去されるという歴史的な月であったのです。まだ西も東も分からない新米の私は,1月30日に宝塚大劇場での音楽葬のお手伝いをしました。各界の要人をご案内するのが私の初仕事でございました。

 それだけに,そんな時期に入団できたことが何か宿命のような思いがしたものです。まして,小林先生と同じ1月生まれ,60年離れても同じ干支であることから,そのご縁は深いものとして,現在につながっております。

 お前も入団して50年が経ったし,演出の仕事も100本を越えたから何か記念行事をやってやるということで,昨年の11月27日に,宝塚大劇場で記念公演をやってくれました。

 『植田紳爾演出家50周年記念スペシャル・夢のメモランダム−植田紳爾/心の軌跡』
という舞台です。この特別公演は,スカイ・パーフェクトTVのタカラヅカ・チャンネルでも放映してくれました。

 この催しのために,マスコミからいろいろと取材を受けました。その質問のなかに必ず「50年も続けられる理由や原因は何か」ということがありました。

 われわれの仕事の評価は自分で決めるものではなく,観客が決めてくださるものです。いくら自分が最高の傑作ですと申しあげたところで,お客様がそうだと納得してくださらなければ,よい作品とはいえません。

 とはいっても,謙譲の美徳で,お粗末な出来栄えですというのも抵抗があります。

 自分では必死に創造したものでも,初日の観客席の空気で,ここはダレる,ここは自分の思いが伝わらないという反省ばかりです。

 気がつけば,私は50年の間,仕事をしてきました。しかし,それよりも肝心なことは,宝塚が今年で94年になります。これはたいへんな年月です。宝塚は時代の変化の中で,それを乗りきってきたのですけれども,これはやはり小林一三という方が,宝塚をつくって,守りに守って,庇護して育ててくださったからです。決して平坦な歴史ではなかったと思います。戦争・敗戦を乗り切って,危機に直面した時には,必ず小林一三先生が宝塚を守ってくださいました。

 どうして,小林先生は,こんなに宝塚を応援してくださるのだろう。先生は経済界の大立者ですし,戦後の日本を復興するために政界に出られて,大臣まで務められた人です。

 そういう人が,こうまで宝塚を愛してくださる理由は何だろう。先生がそこまで打ちこむことができるのは何故なのだろうと,私なりに,ずっと考え続けていました。

 もしかして,これではないかと思い当たることが,あの阪神淡路大震災の後にありました。1995年(平成7年)1月17日、朝5時46分。6435人の被害者が出た未曾有の大災害。目を覆うような大惨事でした。

 宝塚もたいへんな被害に遭ったのですが,関係者の努力と皆さんの協力で,2カ月で初日を開けることができるまでになりました。

 交通網は,まだ遮断されている所があります。町は,壊れたままの家屋がたくさん残っています。私は,こんな時に華やかに浮かれる舞台が認められるか。市民感情として如何なものかということを心配しました。

 しかし,そんな危惧を持ちつつも3月の初日を開けました。初日の終演になって,私はお客様をお見送りするためにロビーに立ちました。一人の女性が駆けよって来られて,「私は垂水に住んでいます。ここに来るのに7回乗り換えてきました。私の家は壊れました。家族も怪我をしています。だけど,今日で元気がでました。明日から頑張って元気にやっていきます。ありがとうございました。」と言って,帰って行かれました。

 私は,それを聞いて,「私たちの仕事も,少しは世の中の役にたっているのだ」と実感しました。そして,これこそ,小林先生が考えておられた信念だったのではないか,との思いに至りました。

 小林先生は,経済や政治と同じくらいに,国民の生活の中に芸術文化が必要なのだと考えておられたのです。経済・政治・文化の三つがそろってこそ健全な社会といえるのだということを,メッセージとして我々に残してくださったのだと思いました。

 私も,この仕事に入って50年経ちました。これからどれだけのことができるか分かりませんが,宝塚の歴史の中での仕事を少しずつでもしていければと考えております。

 我々は歴史のなかで生きております。歴史を否定することはできません。歴史のなかで,どう仕事をするか。それが重要なことだと思います。

 仕事というのは一つ一つの積み重ねです。一つの仕事は一つの点です。歴史は線です。ですから,どんな大きな点でも歴史という線の上に打たなければ積み重ねにはなりません。歴史という線の上での仕事でなければ,それがどんな大きな点でも,時間や歳月の中に忘れ去られてしまいます。

 しかし,歴史という線の上に打たれた点は,それが,どんな小さな点でも,その歴史が続く限り永遠に残っていくものだと確信しています。

 宝塚歌劇団は1914年(大正3年)に公演を開始し,今年で93年。もう100年が目に見えてきました。どうか機会がありましたら,4月1日までやっております『パリの空よりも高く』をご覧いただければ幸いです。