卓話


災害支援から学ぶ

2019年2月20日(水)

(公財)日本YMCA同盟
総主事(代表理事) 神清一君


 私どもの機関は、救助をはじめとしたレスキュー・医療チームではありませんので、大切にしていることは、まず現地に必要とされる情報を集めること、現地にあるYMCAのチャンネルを使って、あるいはその拠点を基にして情報の収集と先遣にあたる人財の派遣を行うことです。これは、現地の方々が本当に必要としていること、私たちにできること、私たちだけではできないが他に協力を求め協働することで可能になることなどを導きだすために重要なこととして取り組んでまいりました。必要とされる期間、形を変えながら継続して支援をさせて頂いています。

 更に、小さなこどもたちや高齢者の方々、心身の障がいや様々な疾病のある方、発達に障がいのある方、LGBTの方など特別な配慮を必要としている方々の「誰一人取り残さない」ことに注力することが、私たち民間の力だとも考えています。

 阪神淡路大震災では、早々にボランティアセンターを立ち上げ、その地域のご自宅、学校をはじめとした避難所やテントで生活されている方々を訪問し、困りごとをお聞きする御用聞きから始めました。必要とされている物、ボランティア活動などをお聞きし、一方で全国から寄せられた物品、お預かりした物品を整理し配達すること、限られた場所で搬入されてくるものを適切に活用できる体制を維持することが求められました。御用聞き、配達、ボランティアでの支援活動においても、被災者の方々のお話のお相手をさていただくことも多々ありますが、これも重要な働きです。

 約3週間、公園に設営された大型テントで生活をされている方々へ、温かい朝食、昼食をお届けする炊き出しを続けてきました。近隣のスーパーや食堂が開店し始め役割を終えた時に、テントで生活されていた方々から感謝のお言葉と、現金の入った封筒を預けられました。「私たちは助けられ、勇気づけられました。」「まだまだ大変な方々がおられますが私たちは何もできません。皆さんでしたらさらに活動をしていただけるでしょう。よろしくお願いいたします」と。このことは私にとって、その後の震災支援の原点であり、託された者の役割として認識することとなりました。

 ボランティア元年とも称され、その後の国内や海外での地震をはじめとした災害では、様々なボランティア団体や個人が、試行錯誤や課題を共有しながら取り組んでまいりました。ある者は被災地への到着順位や縄張りの争い、功名に腐心するなど、無意味な活動が見受けられることも事実ありましたが、少しずつ淘汰され、連携・協力の重要性、必要性が強く論じられ、新たにネットワークが構築されていきました。勿論、それまでも属人化されたものは存在していましたが、組織としての連携・協力することの意義を認識している団体が、力を合わせて取り組んでいます。

 その一つが災害ボランティア活動支援プロジェクト会議、通称支援Pで、日本経団連、日本NPOセンター、社会福祉協議会、日本赤十字社、中央共同募金会などの皆さんで構成され、災害ボランティアの環境整備を目指して人材、資源、資金を有効に活用するための支援を行っています。もう一つが、全国災害ボランティア支援団体ネットワーク、通称JVOADが設立されました。

 また、東日本大震災では携帯電話、ネット環境も整い、避難所をはじめ人が集まるところでは携帯電話の充電の風景が印象的で、安否確認や多くの情報の告知や交換が、随分スムーズとなりました。自分たちだけではできない活動も盛んに行われ、多くの団体、機関、企業が連携し、それぞれの特性や強みを生かす形での支援活動が盛んにおこなわれるようになりました。

 熊本では、益城町の町営運動公園が被災地の一時避難所として注目されましたが、全国で前例がない約2,000人が一つの建物に集められたこと、そして指定管理者である民間団体が運営したことが日本でも初めてのことでありました。民間団体であるからこそ、ボランティア団体とのネットワークの中で運営することができ、避難所運営についても、被災者が自立に向けて動き出すことが可能な方向を探りながら進めることができました。このことは、誰一人置き去りにせず、その後の地域社会に生かされるものと信じています。

 そして、これらの活動にボランティアとして、国内外の多くの青年たちが参画し、気づきを得、成長していきました。平和な社会の構築にも貢献できていると確信しています。