卓話


現代に要求されるモラル・インテリジェンス

2014年3月12日(水)

麗澤大学 学長
中山 理氏


 最初に、1981年にロータリー財団奨学生としてイギリスに留学する栄誉を賜りましたこと、改めてお礼申し上げます。

 モラル・インテリジェンスとは「道徳的知性」という意味ですが、本日は、21世紀の知の再構築を求められている高等教育、さらにはグローバル時代を生き抜く人間力が求められている社会人教育において、いかに道徳教育が重要であるかということを考えてみたいと思います。

 日本で道徳教育と言うと、道徳教育の是非という二項対立的な議論が中心で、残念ながら政治的イデオロギーのコンテクストの中で取り上げられる傾向にあります。特に戦後の日本では、道徳教育が一種のタブーのように考えられ、道徳とは何か、道徳教育とは何かについて、まともな議論がなされてこなかったのではないでしょうか。

 さらに道徳教育賛成の人の中にも、道徳とは家庭教育や義務教育で行うもので、大学生や成人が学ぶものではないという一般的な風潮があります。しかし、道徳を学ぶことに年齢の制限はなく、むしろ知識基盤社会の現代にこそ、義務教育だけでなく、高等教育、そして生涯教育においても、知識を社会のために活かすためのモラル・インテリジェンスを身に付ける必要があるのではないでしょうか。

 どのようなモラル・インテリジェンスが現代に求められているか、次の3つの視点から眺めてみます。第一は、道徳の捉え方、あるいはモラル自体のコンセプトの見直しが必要であるという点、第二は、道徳とは無縁と思われてきた高等教育において道徳教育の実質化を促し、学問的研究を展開することが必要である点、第三は、モラル・インテリジェンスが人々に幸せをもたらすという点について実例を交えて紹介します。

 第一の道徳の捉え方、モラルのコンセプトの見直しの必要性について。一般に道徳と言うとエチケットやマナーを思い浮かべますが、それはモラル・インテリジェンスの一部分にすぎず、道徳とはもっと奥深く幅広いコンセプトであり、自分と「他者とのよりよき関係性」であると言い換えられます。つまり、道徳を学ぶとは、自分がどのような心遣いで、どのような行動をすれば、他者とのより良い関係性を構築できるかを学ぶことだと言えます。

 そう考えると、子どもには子どもの、学生には学生の、また社会人には社会人の関係性があります。そうした関係性は環境や年齢が変わるたびに新しく組み替えられ、それに対応する新しい心構えや態度が要求されてきますから、道徳の学びは、それぞれの段階や状況に応じた道徳的課題と取り組みながら生涯続けてゆくものだと言えます。江戸時代幕末の儒学者、佐藤一斎(1772〜1859年)の『言志四録』という書物に「少(わか)くして学べば、則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず」という名言があります。この言葉はまさに道徳の学びに当てはまると思います。

 第二点の道徳の高等教育での展開と学問的研究の必要性について。その理由の一つは、21世紀のグローバル時代に国際社会が要求する人材能力として、新しい能力、「汎用的能力」(generic skills)の養成が求められていることにあります。「自ら考え行動し、課題解決や目標達成できる能力」について、イギリスではcore skills、オーストラリアではkey competencies、アメリカではbasic skills、フランスではtransferable skills、ドイツではkey qualificationsなどといい、それぞれ内容に多少の違いがあるものの、汎用的能力の重要性が指摘されている点は共通しています。日本も同様に、昨今「人間力」や「社会人基礎力」の育成が高等教育の目的に掲げられています。

 「社会人基礎力」とは、2006年から経済産業省が提唱しているもので、3つの能力と12の能力要素で構成されています。3つの能力とは「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」で、これらに共通する特徴は、認知的な能力だけでなく、道徳的能力や人格的特性・態度も含まれることです。例えば、「前に踏み出す力」は、「一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力」と説明されています。しかし、いざこの能力の養成を高等教育の現場でしようとすると、私達は大きな問題に直面します。それを教える大学の教科書もなければ、専門領域とする教授もおらず、教育法も確立されていないからです。

 失敗を克服するには、まず失敗や苦難そのものをマイナスに捉えるのではなく、自分を改善するために天から与えられた「恩寵的試練」として捉える道徳的発想の転換、『夜と霧』の著者ヴィクトール・フランクルの言葉を借りれば、「意味への意志」が必要です。即ち、どのような苦悩にも意味があり、その苦悩を意味あるものに変えられるという考え方がなければ、詩人T. S. エリオットが言ったように「人間はあまりにもあからさまな現実には耐えられない」のです。日本で言えば、山中鹿之助(新渡戸稲造『武士道』)、あるいは熊沢蕃山が詠んだように、「憂き事のなほこの上に積れかし、限りある身の力ためさん」という気概、即ち「私の身の上に辛いことがどんどん降りかかってくるがよい。自分は限りのある身だが、どこまで力が及ぶか限界まで試してみよう」という覚悟が必要です。

 また「チームで働く力」は「多様な人々とともに、目的に向って協力する力」とされますが、このような力を発揮するには、自己中心性や利己主義の克服が大前提です。

 この社会人基礎力を文部科学省では「生きる力」、内閣府では「人間力」、厚生労働省では「就職基礎力」と呼称は異なりますが、どれもモラル・インテリジェンスの基礎がなければ成り立たない力です。

 では、高等教育においてモラル・インテリジェンスの問題にどのように対応すべきか。まずは道徳教育の是非といった不毛な議論は止め、本来の教育と学問的研究の場に取り戻し、この問題と真摯に向き合うことです。その第一歩として、本学では海外の教育機関と学術提携やパートナーシップを結び,グローバル化した時代にふさわしい道徳・倫理教育の研究を展開しようと試みています。例えば,.椒好肇鸞膤悗凌由福社会的責任センター,▲潺此璽蠡膤悗凌由福市民性センター,バーミンガム大学の人格・価値センターなどです。ボストン大学とは、一般アメリカ人読者を対象とした啓蒙書としてHappiness and Virtue beyond East and West: Toward a New Global Responsibility 邦題『グローバル時代の幸福と社会的責任―日本のモラル、アメリカのモラル』を上梓しました。洋の東西の枠組みを超え、両国で賞賛されている9つの徳、勇気、正義、慈愛、感謝、知恵、内省、尊敬、責任、節制という徳の本質を究明し、人間の幸福の関係について論じたものです。またバーミンガム大学主催の国際会議では、2回連続で私も含めて本学関係者が研究発表しました。

 最後に第3点目、モラル・インテリジェンスが人々を幸福にする実例を紹介します。  モラルとは「他者とのよりよき関係性」だと言いましたが、他者を金銭あるいは財産と置き換えたら、その関係性はどうあるべきでしょうか。中国の古典『大学』に「仁者は財を以て身を発し、不仁者は身をもって財を発す」という名言があります。人徳のある人は、自分の財産を他者のために使って身を立てるが、人徳のない人は自分の欲望のためにだけ財を蓄えるという意味です。人生で大切なのは、お金を儲けることではなく、その使い方に人格が現れるということを教えてくれます。

 本学にも、モラル・インテリジェンスを発揮した卒業生がいます。「アラン&アイリーン・ミラー」という白バラを寄贈してくれた学生です。バラの名は、在学中にイギリス留学をした際、お世話になったホストファミリーご夫妻の名前にちなんだものです。ご夫妻はこの学生をこよなく愛し、彼女もその愛情に深く感謝していました。人種や国境を越えた温かな思いやりの気持ちが通じ合うという経験を通して、彼女は人間愛の奥深さを知ったそうです。お二人の遺産の一部が彼女に贈られると、彼女は、ご夫妻がバラの愛好家であったことから、同じ麗澤の同級生でバラ育成の専門家である友人に新種の白バラ育成を頼みました。こうして彼女は感謝の印として新種のバラを母校の花壇に植えたのです。シェイクスピアの『ソネット』1番に「美しいバラは決して枯れることがない」という一節がありますが、私は「麗澤の徳のあるバラは決して枯れることがない」と申し上げたい。

 後日、この物語は海を渡り、台湾の財団法人張榮發基金会の知るところとなりました。この財団は、急成長を遂げているエバー航空の親会社、エバーグリーン・グループ総裁で、東日本大震災の時には個人で10億円もの寄付をした張榮發氏の慈善団体です。同団体が台湾内外で36万部発行する月刊誌『道徳』に白バラのエピソードが紹介されました。このように,善意は人の心から心へと伝播し、その連鎖は途切れることがありません。

 バラは手間がかかりますが、我々は喜んでその世話をしています。手間がかかるからこそ、彼女の思いが我々に伝わってくるのです。


     ※3月12日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。