卓話


想いをかたちにする力
〜カンボジアとインドでの「子供が売られる問題」をなくすために〜

2015年4月1日(水)

特定非営利活動法人かものはしプロジェクト
共同代表 村田早那香氏


 私は、19歳の大学生の時から、「子どもがだまされて売られる問題」、特に、売春宿に売られ搾取されて亡くなるという問題をなくすために、33歳の現在まで14年間、カンボジアとインドで活動しています。

 きっかけは、大学2年生の時に聞いた女の子の話でした。国際協力の授業で先生が配った新聞記事に載っていたミーチャは、ミャンマーに住んでいた貧しい少女でした。12歳の時に、「タイのバンコクに出稼ぎに行けば家族を助けられるよ」と言われ、出稼ぎに出ました。子守の仕事と聞いていたのに連れて行かれたのは売春宿で、毎日殴られながら客を取らされ、エイズに感染し、20歳で発病し亡くなりました。私はその時19歳で、同じ1981年に生まれたのに生まれた場所が違うだけでこんなにひどい目にあったことを知ったのです。彼女の最期の言葉は、「学校に行って勉強というものをしてみたかった」でした。彼女が売られた金額は日本円でたった1万円。家族はそのお金しか受け取っておらず、彼女が働いたお金は全部他の人に搾取されていました。1万円といえば、その日私が着ていたワンピース1枚の値段と同じで、そんなに大きくないお金で一人の人生が奪われる現実を知りました。

 UNICEFの統計でこうした子どもは年間180万人いることがわかりました。被害にあった子ども達は、精神的・肉体的に傷つけられ、将来を奪われます。アジアでは被害者に対する差別が強いため、村に帰っても追い出されたり、大好きな家族のところに戻れず自殺したり、トラウマに苦しむ状況があります。学校に通う、家族と暮らす、好きな人と結婚するというあたりまえのようにあるはずの権利や命を奪われるため、児童労働の中で最も劣悪だと言われます。

 当時、この問題が最もひどいとされていたのがカンボジアでした。長い内戦の影響で、世界で3番目に地雷が多く埋まり、国民の35%が一日1ドル以下の生活をし、刑法や民法などの法律が整っておらず、子どもを守る法律もありませんでした。悪いことをしても捕まらないため、安い値段で子どもを買い、無理矢理働かせて利益を得る人がたくさんいました。

 私はアルバイトをしてお金を貯め、カンボジアに行き、被害者の保護施設に行きました。本で読んだよりもはるかにひどい状況がありました。最初に目に付いたのは、幼稚園児、小学校低学年くらいの子ども達です。「まさかこんな幼い子どもが売春宿で働かされることはないだろう」と思いましたが、職員によると、一番小さい子は5歳で売春をさせられていたそうです。先進国からわざわざ買いに来る人もいると言われました。日本でも幼女をそうした目的で誘拐して殺害した事件がいくつもあります。海外ならば捕まらないからと、カンボジアに来る人がたくさんいたのです。

 2003年当時のカンボジアの総人口約1300万人に対し、子どもの被害者は数万人とされ、その数の多さは世界的に有名でした。私が施設で出会った子ども達はとてもやさしくておとなしく、親孝行で家族を助けようとして出稼ぎに出た子どもほど被害に遭いやすいことを知り、本当に許せず、涙が出てきました。6歳の女の子に話を聞くと、たった1万円の借金のかたで親に売られ、必死に抵抗したものの、柱に縛りつけられて食べ物も飲み物も与えられず、屈服せざるを得なかったそうです。私が帰ろうとしたら、「今日はこんなにたくさん遊んでもらえて久しぶりに楽しかった。ありがとう」と言い、感謝の気持ちとしてなけなしの自分の持ち物を渡してくれました。たった一日しか一緒にいなかったのにそうしてくれたのです。「こうした子どもが被害にあっているのは絶対におかしい」と思い、「自分にできることをやろう」と活動を始めました。

 最初は、児童買春問題の本を読み、勉強会に参加することから始めました。そして、カンボジアへ行った半年後、2001年に横浜で開催された「第二回児童の商業的性的搾取に反対する世界会議」に日本の若者代表として参加しました。わかったことは、この問題自体があまりに世界に知られておらず、活動している人・団体も少ないことでした。特に残念ながら、かつて被害国だった日本は加害国として有名になっていました。だからこそ取り組む必要性を感じました。

 1年近く、一人で講演会などを企画して行っていました。そんなある日、人生の転機になる2人の仲間との出会いがありました。「一緒に活動しよう。仕事としてやろう」と言ってくれました。私はまだ20歳でお金も経験も人脈もないため、それらをきちんと作ってからと考えていました。しかし、「今取り組まなければこの間にも売られる子どもがどんどん増えてしまう。足りないものは、いろいろな人にアドバイスや人を紹介してもらったら、それだけ早く子ども達が助かるのではないか」と説得されたのです。子ども達が早く助かるのであればチャレンジしようと決断しました。

 2年かけてお金を貯め、大学卒業後、22歳でカンボジアに住み始めました。当時、治安の悪いプノンペンで、生まれて初めて家を借り、NGOの登録をし、カンボジア人スタッフを一人ひとり面接して雇い、ゼロから立ち上げました。

 カンボジアでの実際の活動を紹介します。この問題をなくすには、売られる子どもと買う大人の両方を減らす必要があります。

 まず、現地のい草で生活雑貨を作る工房を運営し、貧しい家庭の大人に就業の場を提供することで、出稼ぎに出ることを未然に防いでいます。工房は農村部のシェムリアップにあり、アンコール・ワットに来る観光客年間350万人を対象に売っています。農村部には稲作以外に仕事がなく、土地を持たない農民は出稼ぎ以外に生活の道がありません。特に売られやすい子どもは母子家庭などの子どもです。現在、10万人が暮らすこの地域から100人近くの最貧困層の女性を受入れています。農村部で5人家族が一ヶ月暮らすのに必要なのは30ドル位で、今工房で働いている人は月収80ドルになっており、十分に暮らしていくことができます。

 ここで収入を得ることで、子どもが学校に行き、大人も毎日1時間ずつ識字教育を受け読み書き・計算ができるようになりました。この地域の子どもの就学率は100%です。子どもを出稼ぎに出すことがなくなった状況ができています。

 それから、子どもを買わせない活動もしています。買う大人の数を減らすためには、きちんとした法律ができることと、警察官が加害者を捕まえる必要があります。それまでは、こうした犯罪について認識のない警察官が多く、また検挙する能力が低いために加害者をが取り締まれませんでした。子どもを守る法律は2008年にでき、警察の認識と能力を上げるために、カンボジア政府、UNICEFと連携し、全国の警察官に対する研修を行いました。

 本来ならば国が取り組むべきことですが、残念ながら国家予算全体の3割が海外からの援助で成り立っている状況です。そのため、私達は資金提供から始め、研修内容を一緒に考え、日本の警察OBによる指導も行いました。その結果、過去9年間で逮捕者数は大幅に増えました。子どもを売る売春宿が摘発され買った人も捕まるようになり、子どもを売る売春宿も営業ができなくなりました。売られる子どもの数、海外から買いに来る人が減りました。現在は売られる子どもの数はピーク時の10分の1以下まで減り、ほとんどの売春宿で子どもを見ることはなくなり、保護施設でも売春宿から保護されてくる子どもはほとんどいません。

 国が動き、企業が雇用を生み出し、大人が働けるようになり、コミュニティも子どもを守り、いろいろな国の人達がNPOやNGOを支援してくれた結果、たった10年で問題解決を進めることができました。私がプノンペンにいた時は、ひどい状況に変化はないように見え、そのため、他のNGOの先輩からは、「あなたが還暦を迎える頃にようやく問題がなくなるのでは」「青春の貴重な20代を全部無駄に使うね」と言われました。しかし、きちんと取り組んでいけば、海外の深刻な問題もなくなるのだとカンボジアでの経験から学ぶことができました。

 現在、南アジアで活動を始めています。インド、バングラデシュ、ネパールの3ケ国がカンボジアの10年前と同様の被害にあっています。この問題はかつてタイ、フィリピンでもありましたが、きちんと取り組みが行われた結果、現在、被害者はほとんどいません。南アジアだけが40年間ずっと続いています。

 日本にいる人にもできることがたくさんあります。例えば、飲み会一回分3,000円位を支援すると、カンボジアでは農村の5人家族が一ヶ月生活でき、大人は仕事をし、子どもは学校に行けるようになります。それほど大きな変化を生み出すことができます。私達を通じてこの問題をなくしていけるよう力を貸していただければ大変うれしく思います。

         ※2015年4月1日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。