卓話


ロータリー財団推進月間例会
 「私の出身」

2005年11月2日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

ロータリー財団奨学生 
Ms. Victoria McCready

第4077回例会

 私はテネシー州のメルヴィル市からまいりましたビクトリア・マクリディーと申します。私は現在、ロータリー財団奨学生として上智大学で国際ビジネスと日本語の勉強をしております。

メルヴィル市のRCが設立されてから今年で100周年を迎えます。その記念プログラムは公共の公園にピクニック場を建設することでした。そのピクニック場には,メルヴィル市の経済と歴史に線路が重要な役目がありましたから,ピクニック場は駅舎の形に作られました。メルヴィル市民の財産として永遠に残るものとして意義があります。

その他に,メルヴィルRCが取り組んでいるボランティアプロジェクトは,毎年,公立小学校に300冊ほどの辞典を寄付したり,メルヴィル高校のインタラクトクラブをサポートしたりするなどです。毎年,4月にはサイレントオオクションを行います。オオクションで集められた寄付金はロータリーの奨学金として使用されます。

メルヴィルRCは,1950年2月24日に設立しました。その当時の会員は男性20人のみでしたが,現在では,会員69名,そのうち17人は女性です。

私が住んでいるテネシー州について,話をしたいと思います。

 テネシー州という名前は,アメリカインディアンのTana−see(集まる場所)という言葉が語源になっています。東・中部・西の三つの地域に分けられ,それぞれ独特の雰囲気をもっています。東の端から西の端までは 491マイルもある,アメリカで最も細長い州ですので,州内でも時差があります。

グレイトスモーキーマウンテン国立公園はテネシーの人々の誇りです。日本の富士山と同じようにアメリカの国の宝です。この公園を維持するために市民は多くの努力を費やしてきました。毎年100万人の人が訪れ,アメリカで,いちばん人気のある公園です。

夏目漱石の『坊ちゃん』という小説で,主人公は都会から田舎に移り住み,学校で教えるという話ですが,テネシーでもそのような出来事がありました。

1912年に,クリスティーという教師がメンヒィスから人里離れた小さい村に引っ越し,坊ちゃんのように困難なことをたくさん味わいました。その時,彼女はスモーキーマウンテンを見て「ああ霞んで青く穏やかな山よ。いつも平安と強さを私に与える。そして,常に私の心を満たしてくれる」と言いました。 スモーキーマウンテン国立公園創立者の一人は,1881年に生まれた,「イツカ・マサハル」という東京出身者だということをご存じですか。彼は大学に入学するために1905年に渡米,その後,1915年に,写真館を開くためにノースカロライナ州のアッシュッヒセルに移り、そこでスモーキーマウンテンに魅了されました。彼は定職につかずに、スモーキーマウンテンの写真を撮ることに専念し,一文無しという一生を終えましたが,その熱意と努
力は永遠に不滅です。

 テネシー州はボランティア・スティツという愛称で呼ばれるほど,そこに住む人々はロータリーの人々と同じように,ボランティア活動に情熱をもっています。

音楽は,テネシーの人々にとって,特に重要です。かつて、テネシーの人々は裕福ではありませんでした。多くの人々は山の中に住み,靴を買うことさえできませんでした。しかし,どんなに貧しくとも,いつでも歌を歌うことができました。山の中には娯楽がありません。そこで,人々は自分自身で娯楽を生み出すしかありませんでした。アイロン台、タバコケース,尿瓶までも利用して楽器を作ったのは興味深いことです。

テネシーの西部には、メンフィスでつくり出されたブルースとロックンロールがあります。エルビス・プレスリーも初のアルバムをメンフィスで作り,そこが彼の2番目の故郷となりました。彼は1977年に亡くなりましたが,彼の家は美術館のように大きく,今でもたくさんの人が訪れます。アメリカでいちばん観光客が多い邸宅はホワイトハウスで,2番目がプレスリーの家です。

テネシーから多くの有名な人が生まれました。1992年から2000年の間,アメリカの副大統領を勤めたアルゴア,ソウルの大歌手アリサ・フランクリン,日本でのアメリカ大使であったハワードベーカーなどの人たちです。

最も有名な人の名前を商品の名前につけた「ジャック ダニエル」という飲み物があります。これはリンチバークという所で生産されていて、市の収入源になっているのですが,法律上,市の人はリンチバークでジャックダニエルを購入することはできません。

テネシーは比較的,信心深い人々の住んでいる州で,ドライキャウンティの地区があります。ドライキャウンティというのは,飲酒を禁止している市郡です。そしてリンチバークもドライキャウンティのひとつなのです。お酒を作っているにもかかわらず,買うことできないというのは興味深い点です。

多くの移民がテネシー州に来たので,州は人種的に多様化しました。テネシー州に住むことに人気があるのは,成功の機会があるからです。テネシーの人は,自分の伝統に誇りをもっていますが,移民も快く歓迎します。昔は,ほとんどの移民は,イギリス,アイルランド,ドイツ,イタリアからやって来ました。最近では,アジア諸国とメキシコの人々が急増しています。

アメリカでは,日本は4番目に大きな金額の海外直接投資をしています。特にテネシー州に対する日本の投資は95億ドルに達しています。テネシーには 130社以上の日本の企業があります。いろいろな理由で進出先としてテネシーを選んでいます。政治や経済での理由もありますが,人々の温かさも大切な要素なのでしょう。

最近,テネシー州は横浜に代表オフィスを設立しました。これからは,日本の会社が,もっとたくさんテネシーに来ることによってお互いの利益になることを望んでいます。

 私の出身地メルヴィルに,日本から来た企業に「DENSO」という会社があります。DENSOは1988年に工場を建てました。この会社が,メルヴィルを選んだ理由を,社長さんは次のように話しておられました。

「メルヴィルには,人々の温かい雰囲気があります。また,会社の成功になくてはならない四つの重要な要素を備えています。第1に,安全でスピードの速い流通を実現するために不可欠な地理的条件。その一つとして,よい交通システムが挙げられます。第2に,政府と公共機関が協力して働き合っていること。第3に,私たちは,真面目に働く,チームワークを大切にする、地域社会に役立つ、ということを大切に考えています。そういう会社の社風に合った社員が獲得できること。第4に,将来の事業拡大に必要な,豊かな土地。以上がメルヴィルを選んだ理由です。」 テネシーで成功している会社でも,時には文化の違いを感じたり,相手の考え方が分からなかったりすることがあります。

言語や文化の違いは人々の間に誤解をもたらし,人をきずつけ,ビジネスチャンスを失わせる場合が,よくあります。それゆえに,ロータリーやロータリーのプログラムが国際的なコミュニケーションや理解を深めるために重要です。

1947年から,約100カ国の,3万人以上の人々がロータリーの助けによって,国外で勉強してきました。現在,ロータリーの奨学金プログラムは世界で最も大きなものです。総額約27億円による受給者は64カ国で勉強しています。その目的は国際理解と国々の友好を深めることです。

 奨学生は親善大使として,受け入れ国で,自国についての情報をロータリーの方々に発表します。帰国後は,海外で経験したことや自国について学んだことを発表します。こうして、奨学生だけではなく,ロータリーの人々の国際理解を深めることも可能にします。ロータリアンの寛大な奨学制度のお陰で,今日の学生は,明日を担うコミュニテイーリーダーと,世界のリーダーとなることを可能にします。

 私が奨学生に応募した理由はたくさんありますが,一番の理由はボランティア活動をすることが大好きだからです。日本にいる間に,ロータリーと一緒にたくさんのボランティア活動をしていきたいと思います。

私は,以前,JETプログラムを通して,静岡で英語の先生として3年間働きました。その経験と思い出があり,日本にもう一度来たいと思っておりました。私の将来の夢は,日本で勤めて,日米の友好関係を深めることに従事することです。今日はお話しの場を与えてくださって,ありがとうございました。