卓話


イニシエーションスピーチ

6月22日(水)の例会の卓話です。

尾関 竜太郎君 

第4060回例会

衄関
代表取締役社長 
尾関竜太郎君

 私の職業分類は、無機化学製品―顔料販売です。顔料とは、一定の色に着色する物質で、混合する物質と作用せず、水・油に溶けず所定の色を呈する不透明な物資であり、着色剤用途
で印刷インキ・塗料・プラスティック・化粧品・コンクリート等に色彩を与えるものです。
顔料は、金属・鉱物を主成分とする無機顔料と、石油等から合成され無機に比べ色の鮮明さが増す有機顔料に大別されます。

 われわれの生活環境には、さまざまな色彩が溢れておりますが、なぜ赤いのか?なぜ青いのか?また何が使われているのか?は意外に知られていないと思います。それは、顔料が加工を経て着色され、微量に使われるためと考えられますが、言い換えれば、顔料は我々の豊かな生活空間を演出する脇役として重要な化学物質なのです。

 古代遺跡の壁画に代表される色材としての顔料は、有史以前から存在しておりました。主に有色の土や泥、鉱物の錆などが用いられ、文字を書くインキには油煙(煤)が使われていました。
古代中国宮廷では、化粧用のおしろいに白の「鉛白」、口紅に赤の「銀朱」が使われ、飛鳥時代の日本にも輸入されました。

 その後、世界的には8世紀に赤の「鉛丹」、13〜14世紀に青の群青」、18世紀に白の「亜鉛華」、19世紀初頭に黄の「黄鉛」の各種天然無機顔料が発見されました。顔料が「色材」として世界的に重視されたのは、合成技術が進歩した19世紀後半〜20世紀初頭にかけてであり、現在の合成顔料の基礎が作られました。

 日本でも江戸時代までは、漆器に赤の「銀朱」、おしろいに「鉛白」、神社の鳥居に赤の「鉛丹」、建築や陶器などに鉄錆の「弁柄」の天然無機顔料が使われていましたが、明治維新以降の化学工業の発達と、昭和の高度成長期の石油化学工業の発展と共に、顔料需要が急成長し人工顔料の国産工業化も進みました。

 明治維新により開国した日本は、化学工業は皆無に等しく、殖産興業のため欧米からほとんどの化学品を頼り、顔料もその例外ではなく、欧米の化学品会社が横浜や神戸に設けた商館に勤めた日本人が、のちに化学品問屋を興し輸入品の流通を担いました。

 日露戦争後には、出版の発達に伴いインキ工業が発展し、造船・車輌の発達に伴い塗料工業が発展して、国内での顔料需要の基礎が作られ、第1次世界大戦により化学品の輸入が途絶したため、顔料の国産化が活発化しました。第2次世界大戦後には、進駐軍特需や朝鮮戦争特需で印刷インキ工業が発展したため有機顔料の需要が急拡大し、多くの有機顔料が国産化されました。

 昭和32年頃の石油化学工業の勃興と合成樹脂の登場が、日本の顔料業界に与えたインパクトは最大級で、従来の塗料・印刷インキ・絵具に加えて、新たに合成樹脂着色の用途が開けました。

 塗料分野でも、自動車産業の発展や、高速道路・長大橋の建設に伴う高品位の顔料要求が出始め、印刷インキ分野でもカラー出版物の急増と、加工食品用特殊インキの登場により、従来とは違う顔料の品質や適性改善が求められました。

 高度成長期を経て成熟期に入り、国内で生産される顔料の品質は、世界のトップレベルに達し、欧米中心であった高級有機顔料の国内生産も順調に進み、自動車用塗料・特殊グラビアインキ・エンプラ着色用にも使われ、近年には、複写機やプリンターなどエレクトロニクス分野の発達で、顔料の機能向上が求められました。

 しかし華やかな時代を経た顔料業界も、日本経済のバブル崩壊による需要の低迷と、世界的な供給過剰による欧米からの攻勢、中国の顔料工業の台頭など、新たな国際化に直面しています。

 今や顔料は世界的な商品となり、今後の世界需要を推測すれば、ヽ発途上国における塗料・インキ・プラスティック製品等の需要増、機能性色材としての新規需要の拡大、重金属問題への対策など環境配慮型の顔料開発と、成長が大いに期待でます。

「好き、嫌い」で商品が選ばれる現代社会において、色彩は、最もストレートな商品メッセージとして、重要な役割を果たしており、世の中から色が無くならない限りは、「顔料」は、あくまで脇役として永遠に使い続けられるのではないでしょうか。