卓話


ドラッカー経営思想の真髄 

2009年6月17日(水)

ものつくり大学名誉教授
ドラッカー学会代表
立命館大学客員教授
上田惇生氏 

 今から49年前,一人の青年が紹介状もなしに丸ビルの東京RC事務局を訪ねました。青年はアメリカに行くための旅費や経費を支援してもらえないかと頼みました。ひと月程経った時,例会に出席せよという電話がありました。青年が会場に行くと,東京RC創立40周年記念行事の一環として,ロスまでの2等船賃を頂きました。それが私です。

 帰国後,無事に大学を卒業した私は,そのことがご縁で当時の経団連に就職しました。これが,私とドラッカーの世界を結びづけるきっかけになりました。まさに,ドラッカーのいう,ポストモダンの時代におけるバタフライ・イフェクトが起こったわけです。

ドラッカーは現代社会での最高の哲人といわれています。第2次大戦で敗れて壊滅状態になった時の日本をみて,「日本は世界の経済大国になる」と予言したのもドラッカーです。もっと溯って,世界がヒットラーを馬鹿にしていた頃に「ヨーロッパ大陸はヒットラーによって席巻される」と真面目に言ったのもドラッカーです。

20世紀初頭,ヨーロッパの大衆が絶望を見たとき,行き先はファシズムしかなかったのです。ファシズムは,日本の二・二六事件や五・一五事件のように,資本主義でも社会主義でも答えを出せないでいた時の世直しとして始まっています。しかし,ドラッカーは,人間を人間とも思わない恐ろしい思想の集団がヨーロッパ大陸を席巻しても,それが永続する筈はないと思いました。

そして,経済至上主義からの脱却を説いて,処女作『経済人の終わり(1939年)』を出版します。その内容は「エコノミック・アニマルの終わり」です。70年を経た今日の我々の問題意識と同じものでした。

1776年,ジェームス・ワットが蒸気機関を発明して産業革命が起こり,生産力が格段に上がった。その同じ年にアダム・スミスが自由な経済活動が皆を幸せにすると言いました。1776年は,資本主義の物的な基盤と理論的な基盤が出来たという奇跡の年です。

アダム・スミスの国富論は「自由に経済活動をすれば,すべてがうまくいく」という信念です。だから,それがうまくいかなくなったときには生産手段を労働者に渡せばうまくいくというマルクス社会主義が生まれました。

その両方が駄目だと分かったときにファシズムが台頭します。

ドラッカーは,「イズム(○○主義)と生産力が結びついても,もたらすものは何もない」ことに着目します。そして「世の中は,人と人が一緒に働く時代になっている」ことに着目します。ジェームス・ワットが蒸気機関という新しい生産手段を発明した途端に,人と人が一緒に働くという,人類の新しい時代が始まったわけです。

あらゆるものが組織によってつくられる。かつ,あらゆる人が組織で一緒に働く。とすれば,組織の運営がうまくいけば,皆が物心共に豊かになれます。物的な豊かさがもたらされます。組織で働く人は,生き生きと自己実現をして世の中に貢献します。

ワーカーとしての人間とユーザーとしての人間が幸せになれるかどうか,組織の運営如何にかかっています。その組織の運営が「マネジメント」です。

ドラッカーは1909年にオーストリアに生まれました。4歳の時,父親と伯父,そして当時の政府高官の三人が「これはハップスブルグの終わりじゃないね。西洋文明の終わりだね」と話しているのを耳にします。彼は「文明」という言葉が気になって仕方がありませんでした。1914年,1千万人の戦死者を出す第1次世界大戦が始まった時のことでした。戦争は文明を完全に破壊しました。

本来,生産力が上がっているにも拘わらず,それを人々の豊かさに結び付けられず,荒廃した世の中になりました。そこをヒットラーが闊歩した。

ドラッカーの少年時代,青年時代のウイーンは市街戦が行われる街でした。絶望した彼はドイツに移ります。大学に行きながら商社の事務員をして自活します。そしてフランクフルトに移って大学の法学部に席を置きながらアメリカ系の証券会社に勤めます。  
「経済はよくなる一方だ」という当時の最新のモデルを使って経済誌に2本の論文を発表します。それが発表された途端に大暴落。1929年の大恐慌の始まりです。会社も潰れて職を失いました。その時、彼は19歳でした。

 彼は,アメリカから来るニュースを元に原稿を書くアルバイトをしていた地元の新聞社に,記者として採用され,初日から論説を2本担当します。

ヒットラーが政権を握った後,ドラッカーは,経済人の時代は終わり,行き着く先はファシズムだと悟りドイツを去る決心をしますが,この侭でいいわけはないだろう,ヨーロッパの生命力は何かを見つけ出すだろうと思案します。こうして彼は「マネジメント」の研究に突き進みます。

アメリカに移った彼は,いろいろな会社を訪問して見学を申し入れました。どこの会社も彼を「赤」呼ばわりをして拒否しました。

彼が講演旅行で生活の糧を得ている時に,GMから連絡がありました。ドラッカーの第2作『産業人の未来(1942年』を読んだGMの副会長が彼を招いて会社経営の実態を見せます。彼は1年半にわたって調査し,その報告として第3作『企業とは何か(1946年)』を発表します。

『企業とは何か』は,「産業活動がいい社会をつくる。政治の目的は産業活動を十二分に発揮させることである」と論じています。

続いて『現代の経営(1954年)』『創造する経営者(1964年)』『経営者の条件(1967年)』を発表します。

 当時のGMは,最高の経営を編み出して,それを実行して世界一のメーカーになっています。自信満々です。それに対して,ドラッカーの報告は,第1に「人間の作ったものは,どんなによくても見直しが必要だ」というものでした。

 第2に「経済活動をいちばん知っているのは現場だ」でした。大卒の人間や技術者が,実際に物を作っている現場の人たちの意見を聞かずにやれると思うのは間違いだというのです。当時,この意見は「とんでもない」と労働組合にも反対されました。
「我々は言われたことだけをやっていればいいのだ」という考えです。労使共にドラッカーのアドバイスを拒否しました。

第3は,「社会のことも考えるように目線をあげよ」でした。当時は,会社が儲かればいい。会社を儲けさせることが社会的責任だ」とする考えが確固として存在しました。ドラッカーは「明日の生産活動をさらによくするために利益は必要だ」という考えです。ドラッカーにとって,利益は目的ではなく条件なのです。しかし,世の中に害を与えてはいけない。世間で何か困った問題があれば,自分の会社の得意技を用いて貢献できるのなら,それを行え,といいます。

政治学者としてのドラッカーの関心は「社会」でした。「産業社会は社会として成立するか。社会的存在としての人間を幸せにするか」が問題意識でした。

1957年,ドラッカーは『変貌する産業社会』を出版し、「我々はいつの間にかモダン(近代合理主義)という時代から,名もない新しい時代へと移行した。昨日までモダンと呼ばれ最新のものとされてきた世界観,問題意識,拠り所がいずれも意味をなさなくなった」と宣言しました。

ドラッカーは近代合理主義では解決できないものがある。一度分解して,再度組み立てれば全体が分かるという考え方,あらゆるものには因果関係があるという考え方が通用しなくなったのではないかと言ったのです。

 21世紀に入ってからの大問題,途上国問題,教育問題,エネルギー問題,資源問題など,理屈だけでは分からない事象を予言し、近代合理主義の方法論の限界と間違いを指摘したのです。勿論,分解して組み立て直すというモダンの手法は役に立ちます。

 技能の技術化が行われ,産業が生まれ科学が生まれて今日があります。しかし,「すべてのものを命ある全体として見ろ」ということを,ドラッカーは50年前に言っているのです。

ドラッカーは現代社会最高の哲人であり,マネジメントの父であり,かつ,それぞれのドラッカーです。彼の本を読むと誰もが自分のために書いてくれたと思います。

ドラッカーを継ぐ人はいるでしょうか。残念ながら今のところは見当たりません。恐らくこれからもいないでしょう。

どうぞドラッカーの著作を,改めて手にとって読んでいただきたいと思います。