卓話


湛山ならどう言うだろう

2016年5月25日(水)

石橋湛山記念財団 理事
社団法人経済倶楽部
理事 浅野純次氏


 日本が世界に誇りうる、ジャーナリストであり政治家である石橋湛山について紹介し、石橋湛山の現代性、現代的意義を考えてみます。70代以上の方なら、石橋湛山が自民党総裁選で岸信介を決選投票7票差で破り総理大臣になった経緯を覚えておられるかもしれません。せっかく総理大臣になったのに、肺炎に罹って2ヶ月ちょっとで退陣しました。潔い退陣でした。

 私が東洋経済新報社に入社した頃は、石橋さんはまだお元気で社に顔を出され、社員に挨拶をされていました。当時の若い私から見ると、にこやかな方で、あれほど鋭い言説・言論を展開され、総理大臣を務めた方とは思えませんでしたが、とても印象深くお話を聞いたものでした。

 湛山は、明治17年に、日蓮宗の高僧を父に生まれました。国をどう救うかと考えた日蓮の意思をしっかりと受止めた宗教家の一面があり、それが言論にも政治にも反映されたと思います。

 旧制中学では、札幌農学校の第一期生で初代教頭クラーク博士の薫陶を受けた大島正健校長が、湛山達にBoys be Ambitious! やBe gentleman. の精神を伝え、湛山は生涯、この精神を大事にしました。

 その後、早稲田大学に入学し、哲学を学びます。戦後日本の総理大臣で哲学出身はほかにいません。湛山はエコノミストですが、哲学を基本にした政治家であろうとしました。田中王堂先生は、米国のジョン・デューイというプラグマティズムで有名な先生の弟子で、湛山はこれを深く学び、自分の思想と行動に活かしました。

 明治44年、27歳で東洋経済新報社に入社し、大正13年、40歳で主幹となります。第二次大戦前から戦中にかけては、「小日本主義」を唱えました。植民地主義、軍国主義、膨張主義を捨て、商工業と貿易の発展をめざす道を歩むべきだという考え方です。「朝鮮、台湾、樺太、満州という如き、わずかばかりの土地を捨てることにより広大なる支那の全土を我が友とし、進んで東洋のみならず世界の弱小国全体を我が道徳的支持者とすることは、どれほどの利益であるか計り知れない」と主張しました。

 当然軍部との関係は芳しくなく、『東洋経済新報』は戦時中、苦しい目に遭います。情報局の軍人からは「今の時代をなんと心得るか、発禁にするぞ」「石橋を辞めさせろ」との威圧が毎日のようにあり、東条英機首相も「東洋経済新報は戦時下に好ましからぬ雑誌であり特に監視を厳にすべし」と社の取り潰しを示唆するなど、かねてから自由主義者の烙印を押されていた湛山の東洋経済は軍部から目の敵にされ、社の運命は風前の灯火となりました。しかし、湛山達は、軍部と戦うことは止めず、間接的に婉曲に軍国主義や植民地主義を批判し続けました。

 そして、終戦が来ました。湛山は、昭和20年8月15日に早速論説を書き始めます。日本中が茫然自失する中で、湛山は「更生日本の門出 前途は実に洋々たり」と題した連載を書き、「海外領土を失っても真に科学的精神に徹すれば日本の前途は実に洋々たるものがある」として国民を励ましました。人口が多すぎるように見えても、商工業を発展させ、貿易を拡大することによって日本は発展する。植民地と軍事費の負担、軍部という政治上の重荷がなくなることで、むしろ発展していくと考えたのです。連載で「連合軍の進駐」「産業復興」「賠償」「領土喪失」「人口過剰」などを取り上げ、いずれも憂うるに足らないと論じました。

 それを読んだある大新聞の社長が、湛山と大変親しかった人でしたが、東洋経済新報社の幹部に向かって、「お前のところの社長は頭がおかしくなったんじゃないか。当分、原稿を書かせないほうがいい」と言ったそうです。それほど当時の日本の圧倒的多数とは違う主張でした。しかし、戦後の日本は湛山の予言どおり驚異的な復興を遂げることになります。

 湛山は、総理大臣になった直後、肺炎になってしまい、辞任します。医者はあと一ヶ月ちょっと静養すれば大丈夫と言い、野党社会党の左右両派のトップも「静養して、首相を続けてください。その間、与野党対決は休戦します」と言ってくれたのですが、決意は変わりませんでした。予算審議を空白に置くことは総理大臣としての責任を果たせなくなるし、戦前、ジャーナリストとして政治家達の出処進退を批判してきたため、自らも言行一致を貫こうとしたのです。

 首相を辞めた後は、世界平和の確立を目指しました。当時は冷戦時代で、湛山は日米中ソ4ヶ国で平和同盟を作ろうと考え、行動しました。湛山は、昭和34年と38年、75歳と79歳の時に、国交のない中、訪中します。毛沢東、周恩来、劉少奇と会談し、4ヶ国平和同盟への賛同を得ます。その後、昭和39年、80歳で訪ソしますが、訪ソしたちょうどその時、残念なことにフルシチョフが失脚し、平和同盟は果たせぬ夢となりました。

 次に、湛山の考え方について触れたいと思います。湛山は、4つの基本的考え方に立っていました。「個の確立」「自由主義」「民主主義」「国際平和主義」です。4つが同じ重みを持ち互いに緊張関係を持つ、いわば正方形になります。自由主義だけ、民主主義だけが突出するのでなく、それぞれがバランスを保っています。現代にも通じる4つのテーマを湛山は大事に考えて自分の行動・主張に活かしてきました。

 さて、「石橋湛山ならどう言うだろう」と、最近よく聞かれます。  湛山はまず、「日本はもっと平和外交を貫け」と言ったでしょう。湛山は平和を重く考え、太平洋戦争中、早く戦争が終わるよう伊勢神宮で祈っています。湛山の場合、早期の終戦は日本の敗戦を指します。湛山には特別な事情がありました。次男・和彦が1944年に中部太平洋クゥエジェリン島で28歳で戦死したのです。この時、「この戦如何に終わるも汝が死をば父が代わりて国のため活かさん」という歌を詠んでいます。つまり湛山にとって平和は単なる理念ではなかった。だから戦後、平和を重視し、日米中ソ平和同盟を考えたのだと思います。今ならば、「アジア重視外交へシフトすべし」。中国、韓国ともっと仲良くしなくてはいけないと言うでしょう。

 湛山は国連重視主義でした。国連軍に協力するために日本も軍備を持つ。個別的自衛権はもちろん必要で、国連軍としての集団的自衛権も必要と考えました。しかし、推測ですが、集団的自衛権の考え方、今の安倍政権が追求している方向については賛成しなかったでしょう。湛山の次の総理大臣の岸信介は湛山とは対極的な世界観を持った人で、日本はアメリカと一緒になって中ソと対決していかなければいけないと主張していたからです。 「ナショナリズムを警戒せよ」。すでに1964年の段階でそう主張しています。当時は、米ソ対立が最大の問題でしたが、湛山は「僕がいちばん心配し恐れているのは民族主義、ナショナリズムです。帝国主義は理論だが、ナショナリズムは民衆の感情だからかえって怖い。最後まで残る。アメリカの黒人問題、ゴールドウォーターやドゴールに見る右傾化。中国の頑固さ。ソ連があんなけちな(北方領土で)がんばるのはばかではないかとミコヤンに言ったら、嫌な顔をしていた。結局、民族主義は人間の問題だから、人間が解決しなければならない」と言っています。この心配はあたっています。そして、他国だけでなく、日本にも排外的民族主義、ナショナリズムからくる問題が一部では既にあります。

 経済については、湛山はデフレが大嫌いでした。失業と低賃金を生むためです。インフレのほうがましだといい、インフレ−ショニストと呼ばれました。元々‘Keynesian’で財政の役割を重要視しているため、リフレ政策には賛成していると思います。

 財政赤字については湛山がどこまで許容するかは難しい問題です。もし湛山がいたら、彼はイギリスが19世紀にGDPの280%という財政赤字、今の日本よりももっとひどい状況だったことに言及するでしょう。イギリスは約100年かけてこの赤字を解消しました。その過程では、金融政策、財政政策で適切な対応をしました。そして、イギリスの赤字はすべてポンド建てで国内から出た国債の吸収だったため、今の日本と似ていました。そのため、「そう心配するな。長い目でしっかりと日本を立て直すことによって財政赤字は解消できる」と言うのではないかと思います。

 最後にこの国のかたちについてです。湛山は、経済を立て直すこと以上に大事なことがあり、それは、道徳的であることだと言っていました。戦前から日本は道徳国家を目指せと主張していました。世界から尊敬される国家であれということです。「日本という国がとても尊敬に値する国だと思えば、日本は領土を中国に持たなくても、中国人に尊敬されれば日中関係は必ずうまく行く」と。今の日本については、政治も経済も社会も道徳的視点から見て、湛山は「何をやっているんだ」と言うでしょう。

 最後に領土をめぐる争いについてですが、かつて湛山は、「満州のような、朝鮮のような小さな領土を植民地として持ってなにがいいんだ」と言いましたから、尖閣諸島を「小さな小さな諸島」とし、「棚上げしかない」と提案するでしょう。中国が現状維持を求めるなかで、日本は島を実質支配している訳ですから、中国、台湾とも話をし、そのまま現状維持するならば文句はないだろうと。北方領土4島については、ロシアの対応如何ですが、日本からは4島マイナスαの提案をすればいいと言うかもしれない。北方領土が日本やアメリカの軍事基地になることをロシアは恐れているわけですから、基地を作らない、軍隊を置かないことを湛山は提案するでしょう。竹島は、韓国との関係はなかなか難しいので湛山も頭を痛めると思いますが、「これは時間が解決するだろう。小さな島だ」と言うでしょう。そうすれば、日中、日韓、日ロも必ずうまくいくと、リアリスト、プラグマティストである湛山は主張するのではないかと思います。


       ※2016年5月25日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。