卓話


青少年奉仕月間例会
クリエイターを集め、育て、町を元気に

2017年5月10日(水)

台東デザイナーズビレッジ
村長 鈴木 淳氏


 台東区の南半分の御徒町と蔵前の間、最近「カチクラ」と呼ぶ地域は江戸時代から続くモノづくり地域でした。浅草寺、寛永寺、日本橋などの店に卸す商品を作った職人さんが集まったのが台東区です。

 面積は23区で一番狭いのですが、戦前の人口は46万4千人と23区最多でした。戦争によって人口が減るも回復し、1960年頃には32万人に。そこからまた人口が減り、2000年頃には15万人と戦前の3分の1、戦後のピークの半分になり、都心の過疎地域の様相を呈してきました。平成になって14校が廃校し、再利用が区の課題でした。

 カチクラは、帽子、ジュエリー、アクセサリー、ベルト等身の回りの品を作る職人、メーカー、材料屋さんが多く、下請け加工が得意。有名ブランドのものを作っていましたが、口外しないため、知る人ぞ知る下請けの街でした。海外に生産が移り厳しい状況になり、高付加価値なデザインで生き残りを考えるようになり、デザイナーが地元にいないため、区にデザイナー誘致を要望していました。

 国と東京都が創業支援施設新設には改装費を出してくれることになり、このデザイナーズビレッジが出来上がりました。教室がアトリエに、理科室が制作室になっています。下が22歳から上が40歳ぐらいまでの若いクリエイター、8割ぐらいが女性で、手作りで作家が集まって3年間を過ごします。創業5年以内、お金がなく、バイトをしながらモノづくりをして売る、貯金を切り崩して新たな商売を始めるという人達です。今は入居申し込みの倍率が6倍、全国で最も人気の高い創業支援施設になっていますが、オープン当時、かなり大変な時期がありました。

 台東区が区報で 「家賃が安い」廃校のアトリエができたと入居者を募集したことが後に大変なことになります。私は運営と地域活性化のコンペに応募し、インキュベーションマネージャーとして若い子達を育てる仕事をすることになりました。

 第一期は18室に45組が応募し、1人10分の審査会で、プレゼンがうまい、立派な経歴がある、地元に関係がある人の入居が決まりました。建物とデザイナーズビレッジという名前、入居者が決まり、運営はお任せでスタートしたのが平成16年です。

 オープンしてみると、成長意欲の乏しいクリエイターも集まってしまい、反抗する入居者もいて、学級崩壊する学校のようなスタートでした。私は、アドバイスする立場なのにやれることがない。オープン1年後に施設公開のイベントをやりましたが、全室公開のはずが、当日5人位、来なくなってしまいました。

 区役所に相談し、入居者入れ替えを提案するも「3年間がまんしてください」と却下されました。私は辞めてしまおうかと思いましたが、ここを本気で日本一にしようと思うようになりました。「売れないデザイナーを集めている学校」「稼げない人が集まっているところ」と言われて悔しくてしょうがなかったのです。やる気のある人達を集め、ここを日本一のファッションの登竜門にしたい、パリやミラノのように地域でモノづくりをし、それを求める人が集まり、世界中に流通させたいと思うようになりました。

 3年かけてデザイナーズビレッジの知名度を高め、メッセージも「成長したい人来て下さい」と変えて発信し続けました。15部屋に全国から90組の応募があり、1人1時間の面接を70人とし、本気でやる気のある人を見つけました。ようやく4年目から本格稼働しました。

 第一期生で運営に協力してくれた人達は地元に定着してくれ、4年目に選ばれて入った人達は、若手でトップクラスの活躍をするようになります。そして、卒業生達が店舗を出し始め、この地域が有名になる流れができ始めました。雷門近くに土地を買いビルを建てている人もいます。1000円の髪飾りを作っていた人です。パリからバイヤーが買い付けに来る人、東京コレクションで一番話題になるファッションショーをやる人もいます。入居77組中、台東区出身は2割もいませんが、地元になじみ、卒業後は半分が残ってくれます。

 支援内容は、ビジネスのアドバイス、仲間や業界とのネットワーク作り、チャンス作りなどで、クリエイター達と工場をつなぎました。工場はできるだけ量産し長く仕事をしたいため、面倒なことを避け、若いクリエイターの仕事を受けたがりませんでした。そこで、関係づくりのために工場見学をし、職人の仕事の難しさ、どれほど丹念な仕事をしているかを学んでもらいました。クリエイターにはいろんなアイデアがあり、職人さんと仲良くなることで、ノウハウ、知識、経験が生かされ、いい商品がどんどん生まれました。 革にインクジェットで蝶をプリントしたブローチは、原材料費数百円のものが1万数千円の商品になりました。作家は、事業3年目でラフォーレ原宿に店を出すことができました。クールビズでネクタイの売れ行きが悪くなり、厳しくなっていたネクタイ工場に行ったデザイナーは、女の子向けネクタイを考えヒット商品になりました。クリエイターが職人の仕事を見て感激し、それを伝えると工場や職人が喜び、さらに知恵を出してくれ、職人が誇りを取り戻し、工場が元気になるのを感じてきました。

 毎年イベントも行ってきました。オープン1年後の平成17年につくばエクスプレスの駅が近くにできたため、近所の企業を巻き込んだイベントを企画しました。しかし、地下の乗換駅で地上にお客さんが出てきてくれず、失敗しました。この反省を踏まえ、毎年、ポスティングや折り込み広告を入れ、徐々に来てくれる人を増やしてきました。

 平成21年には東京の西側の施設と連携し、東京横断スタンプラリーを企画したのですが、これは距離が遠すぎて失敗しました。

 デザイナーズビレッジを公開し、自分達の仕事場を見て商品を買ってもらうと、地元の人も喜ぶ。自分達が工場に行き現場を見ると、とても価値を感じる。それを地元でできないか。街全体の仕事場を公開して街のファンを増やそうと始めたのが、「モノづくりの街づくり(モノマチ)」です。

 平成22年に企画し地元企業に参加を呼びかけましたが、役所の反対で実施できませんでした。そこで翌23年1月、近所の企業と、廃校になった小学校の卒業生だった地元の社長さんたち、デザイナーズビレッジ卒業生達と「モノマチ」の準備をスタートさせました。そんな時、3月に東日本大震災が起き、イベント自粛が相次ぐ中、開催中止を求めるメンバーもいました。翌年のスカイツリー開業を控え、墨田、台東、浅草などが注目を浴びることが期待されており、それまでにカチクラの名前を浸透させなければ手遅れになる、常磐線、東北線など東北の窓口である上野がある台東区ががんばらなくてどうする、とみんなに発破をかけました。何としても開催しようとなりました。

 5月、第一回モノマチは卒業生と近所の企業16社が工場や職場をオープンし、モノづくりをアピールする2日間のイベントとして行いました。普段は人通りの少ない佐竹商店街に、クリエイター50組による手作り市をめがけてたくさんの人が来てくれました。「30年ぶりにこんなにいっぱい若い人を見た」と驚かれたほどです。卒業生がこの日に合わせてお店をオープンさせ、財布メーカーは直接お客さんに売り、大好評でした。

 第二回は半年後に開催し、モノづくり系企業とお店62社、クリエイター114組と仲間を増やしました。二日目は豪雨でしたが、佐竹商店街のアーケードの下に人が集まり、すれ違うのも大変な程の人がクリエイター達の作品を買いに来てくれました。街を巡って職人さん達の仕事を見た若い家族連れが、地元でこんな仕事をしていたのだと驚き感心してくれました。

 第三回目は、スカイツリー開業の週末に開催しました。120社に参加企業が増え、マグロの解体ショーや、地元の高校が太鼓を叩いてにぎやかしてくれたり、自宅の一室で職人仕事をやっているところでワークショップをしたりしました。

 その翌年の第4回目は257社に増え、2匯擁でクリエイター含め400組がモノづくりをアピールし、のべ10万人を超える来場者になりました。

 職人さん、クリエイター、社長さん、店長さん、町に住んでいる人、ボランティア、こうした人達が一緒になって街を盛り上げようと活動し、年齢、職種を超えて仲良くなり、新たなコミュニティができました。地域がさらに話題になり、取材も増え、街を訪れる人が増え、新たな店舗やマンションも増えました。

 モノマチは、規模を縮小して年間を通じた街おこし活動組織にし、若い人たちで運営できるものになっています。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの時には、東京で作ったモノを作っている人達から買える街になりたいなと思って活動しています。 5月26、27、28日に今年のモノマチが開催されます。期間中、お近くに来ることがあればぜひお立ち寄りください。


    ※2017年5月10日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。