卓話


なぜルノワールは母子像を描いたか?

2016年4月27日(水)

国立西洋美術館
館長 馬渕明子氏


 本日から国立新美術館でルノワール展が始まっています。ルノワールも含め19世紀後半に母子像を描いた画家がいますので、そうした母子像画の意味、その時代の背景についてお話しします。

 ルネッサンス以前の母子像画は、ほとんどが宗教画でした。「母と子」といった時に当時の人々の頭に最初に浮かぶのは聖母子です。ルネッサンスの画家・ラファエッロが描いた《牧場の聖母》は、向かって右側に幼児イエス・キリストがおり、向かい合って洗礼者のヨハネがいます。このような優しい聖母とかわいらしい子供達が聖母子像の典型として20世紀まで描かれてきました。

 ラファエッロの《小椅子の聖母子》は19世紀の母子像の源流として重要な作品の一つです。当時の人々に強いインパクトを与えたと思われるのが、ほおずりをしている動作です。愛情にあふれた母とかわいらしい子供達という、家庭の情景にあてはめてもおかしくない絵画が出てきたのは革新的なことでした。

 ではその前はどうだったのか。14世紀のジョットが描いた≪荘厳の聖母子(オニサンティの聖母)≫ を見ると、聖母子は正面に近い姿で、皆に見せるようにイエス・キリストを示しています。明らかに礼拝の対象として描かれ、ラファエッロとの違いは、母としての個人的な感情が現れていないことです。

 約200年後のラファエッロの絵は、もっと親しみを感じるような表現に変わっています。同じ時代、皆がラファエッロのように描いたのではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた ≪カーネーションの聖母≫はジョットに近い表現です。人体の丸みや背景の山の奥深い様子などは随分違いますが、母と子は正面に近いポーズで、母の視線の先はイエス・キリストに向いており、個人的な感情を表してはいません。ラファエッロの絵がいかに斬新であったかがわかります。

 後のフランス革命の時代を生きた女性画家・エリザベート・ヴィジェ=ルブランの ≪娘といる自画像≫の重要な点は、モデルが画家自身であることで、ラファエッロ的にほおずりに近い笑みを浮かべる優しい母という表現になっています。

 この時代、女性画家は極めて少ない存在でした。絵画のトレーニングは、裸体像をきちんと素描し、それを歴史的絵や宗教画として構成する能力を問われたので、女性画家達はそうした勉強から阻害されていました。彼女は肖像画の分野で才をなしました。夫が名門出身ながら飲んだくれで収入があまりなかったため自分の絵筆で子供を育てなければならず、男性画家よりもセールスポイントを持たねばなりませんでした。容貌が美しく、彼女自身もそれをよく知っており、優しい母、美人であることを存分に1枚の絵でアピールしています。《母と子≫ も、美しい母をアピールするものとして非常に機能した絵です。フランス革命前後の時代、「優しい母親」が絵の魅力として出てきました。

 その少し後、マルグリット・ジェラールが ≪母性愛≫を描きました。彼女は女性としてアピールするテーマ、母性愛で絵を描きました。この絵で読み取れることは、女性はシルクのきれいな服を着ているのでおそらく上流階級であること。向かって左側に乳母がいます。この時代、貴族のほとんどは家庭内に乳母がいました。母親の仕事は基本的には社交、領土の管理などで、それは夫の仕事でもありますが、妻もそうした仕事をしなければならず、乳母がいた訳です。

 それから約100年後、メアリ・カサットの 《母と幼い姉と息子》が現れました。普通の情景を描いたように見える絵の中に、自分をアピールする要素を込めています。彼女はアメリカの裕福な家庭に育ち、若い頃からパリに定住し、印象派展に出品し、印象派の仲間とつきあいました。当時のフランスにおいて外国人であり女性であることはデメリットで、画家として活躍するために得意分野が必要でした。結婚せず子供もなく生涯を終えますが、「女性ならでは」といわれた優しい視点で家庭のシーンを描いています。子供だけ裸なのは、子供の肌の美しさ、ふくよかさ、本当に触ってみたくなるような魅力がこの時代の絵のテーマ、対象として尊重されてきたことがわかります。メアリ・カサットの描く絵は、そうした子供を母が優しく育むという温かい雰囲気が最大のテーマになっています。

 フランス近代の母子像の特色をまとめると、19世紀を通して、上流階級は家庭内に乳母が住み込み、忙しい両親の代わりに子供を育てる役割を果たしました。中流階級は家庭内に乳母を住まわせるか、あるいは田舎に里子に出してある年齢まで預けました。下層階級では両親が働くため、これも田舎に里子に出しました。養育状況は経済力によってピンキリで、劣悪な環境もあったため、幼児死亡率が高かったと言われています。政府はそのことを問題にし、家庭での養育をいろいろな形で推奨しました。その結果、専業主婦化が進みました。19世紀のフランスの場合、専業主婦は限られた階層にしかなかったと言われています。

 一方、ヴィクトリア朝イギリスでは、「家庭の天使」として専業主婦の役割を評価したため、専業主婦化が早くから進みました。19世紀後半には、夫は外で働き、帰って安らぐ場所として家庭がある。そこには子供達もいて、主婦が家庭内を整える能力を持つことが早くから奨励されていたので、フランスほど里子に出す子供の数は多くなかったと思われています。

 そうした中で働く乳母は召使の中で地位が高かったのです。大事な子供を預かり、若くて健康で、しかも子供を産んだばかりの女性である必要があったので、非常に高い給料を与えられていました。そして、白い前あきのドレス、被り物で髪を隠し、後ろに長いリボンを垂らす決まった服装をしていました。

 メアリ・カサット の≪家族≫も、一番小さい子は裸で、側に女の子がいるのは聖母子のパターンを利用しています。そして、≪乳母と子ども≫と≪緑の背景の母と子(母性愛)≫はよく見ると同じ女性モデルです。この女性が自分の子供を抱いているのか、そうではないのかが気になりますが、おそらく乳母をモデルとして描き、そこに年齢の違う子供二人を使って描いています。明らかに乳母の服装なのが根拠ですが、彼女が意図的に違うタイトルをつけたとは思えません。絵のタイトルは、この時代は非常に曖昧な付け方しかされていないため、いつの間にか「緑の背景の母と子」というタイトルに変わってしまったのではないか、その時にはもう乳母という存在が理解されなくなっていたのではないかと思うのです。

 ピエール・ボナールの《乳母たちの散歩―馬車のフリーズ》に、長いマントを着て後ろを向いている三人の女性が描かれています。背中に長いリボンを垂らしているのが乳母の印で、彼女達は誇らし気にこの服装で外出している。その手前で、母親が子供と遊んでいます。母親の時間が空いた時に子供と遊び、それが終わると乳母が子供を馬車で連れて帰る。上流階級の子供達には住み込みの乳母が不可欠な存在でした。

 そうした中で少し違ったタイプの絵が出てきました。メアリ・カサットと同じ時代に活躍したベルト・モリゾの《乳母》です。乳母が絵の中心になっています。乳母は使用人のため、絵の中心に出るような地位ではなく、それ以前にそうした絵はほとんどありません。ところがこの絵は、おそらく画家が自分の子供を預けている乳母に親近感を抱き、授乳をしているところを真正面から描いています。ベルト・モリゾは、他にも自分の娘を抱いている乳母や、子供が自立してゆくのを温かく見守るような情景を描く人でした。

 そして、オーギュスト・ルノワールです。≪授乳≫は、妻が子供に授乳しているシーンと考えられています。これは、彼が印象派的な即興的に見たものをそのまま描くことを止め、古典に学ぶ方向に転換した時期の作品で、聖母子像を意識したと思われます。《母性》 や 《乳飲み子(ルノワール夫人と息子ピエール)》も同じ構図で描いており、彼にとって意味のある母子像だと思います。

 《ガブリエルとジャン》は、息子を乳母代わりの女性と一緒に描いています。こうした家庭のシーンを描いた印象派の男性画家はルノワールが唯一と言えます。

 ルノワールは、注文の母子の肖像画もたくさん描いており、《ジョッス・ベルネーム=ジュヌ夫人と息子アンリ》では左側に女の子のような格好をした子供が描かれています。これは男の子で、当時は6才位まで女の子の服装をさせていました。

 父親が出てこないのがこの時代の特徴です。家族全体の肖像画には参加しますが、父子の絵はほとんどありません。この時代、子供は母親に属し、母親の領域におり、そして子供達に責任を持つのは母親であることを視覚的メッセージとして繰り返し生み出していました。≪ヴァルジュマンの子供たちの午後≫は、裕福なブルジョワ家庭の依頼肖像画ですが、母は針仕事をしており、ある種の理想的な母親像がここで描かれています。

 ルノワールがなぜ母子像を描いたのかの答えは、生活に密着した主題が流行していたということになります。宗教画や神話画、歴史画がこの時代は衰退し、子供の生活が多く描かれ、愛らしい子供という認識が生まれました。それは18世紀半ば頃から段々出てきて、19世紀には重要なテーマになりました。そして、商品としての母子画が確立したのです。

   ※2016年4月27日(水)の卓話をクラブ会報委員会が纏めたものです。