卓話


皆が楽しむ都市

2016年3月16日(水)

槇総合計画事務所
代表取締役 槇 文彦氏


 都市生活をいろいろな形で楽しんでいく、そのために建築空間があるという考え方を披露させていただきます。

 私が手がけてきたものの中でヒルサイドテラスは非常に思い出深いところで、できてからもう少しで50年を迎えます。ここで大事だったことは、いろいろな文化施設をもってきたことです。ギャラリーや図書室、音楽ホールを設け、広場にはお祭りの御神輿が来たり、催し物が行われたり、クリスマスには近くの教会の方が来て賛美歌を歌う等いろいろなことが行われてきました。

 第6期(1992年完成)に我々はカフェを作りました。私の事務所が近くなのでよく行きます。すると、いつも同じ所に初老の男性が座っていて、必ず4分の1のボトルの赤ワインとサンドイッチを頼むのです。赤ワインが半分位になったところで、サンドイッチとコーヒーに手を伸ばす。一時間位、目の前の風景を楽しんでおられるようでした。 ドイツの有名な哲学者・ニーチェの言葉に私の好きな言葉「孤独は私の故郷である」があります。パブリックのスペースで孤独を楽しむという一つの姿であったのだろうと思います。カフェの人に尋ねると近くの教会の牧師さんという話でした。そのニーチェの言葉について新聞に記事を書くので、お願いして写真を撮らせていただきました。大変喜んでいただいたのですが、数年前から姿を見せなくなった。最近亡くなられたということでした。

 都市の中には、いつでもそこに行って本を読む、ご飯を食べるという楽しみが必ずあり、そうした場所を造ることが非常に大事じゃないかと思います。

 私が慶応幼稚舎の2年生の時に谷口先生が設計された天現寺の校舎で、私は初めて「メザニン(中二階)」を見ました。上のほうに先生がいて、下が工作室になっていました。ヒルサイドテラスにもこういう場所を造りました。建築家は、最初のほうの仕事でそれまで考えていた、作りたかったものを「ぜひ作ろう」という気持ちが非常に強くて、ヒルサイドテラスの第一期の建物にはそうした思い入れがあります。

 ヒルサイドテラスから500m離れたところにヒルサイドウエストがあります。同じく朝倉さんの依頼でした。元々朝倉さんはここに大きな住宅を持っておられ、数十年前に旧山手通りに面した敷地を買われました。ヒルサイドテラスとちょっと繋がっているため、ヒルサイドテラスと一体の建築を造ってくれと言われました。「パサージュ」と言って通り抜けの空間を造りました。そこにはエレベーターがあって上下に行けますし、そのまま広場を通って次の通りに行くこともできる。朝倉さんは、ここを旧山手通りにつなげるパブリックの場所にしようという考えでした。これは日本が安全だからできる訳です。朝早くから夜10時まで「パサージュ」が開いています。知らない人が通ってエレベーターでいつ自分の住宅のほうへ来るかもしれない。紐育では考えられないことです。完成してからちょうど20年経ちますが、一つも問題は起きていません。

 ヒルサイドウエストの正面から中に入ると広場があり、その向こう側に私の事務所があります。コンプレックスでは、週末によく結婚式の披露宴が行われているため、その昼前には広場で新郎新婦が写真撮影をしている風景を見かけます。私はこうしたことを想像もしていなかったのですが、皆さんによって「そこを使ったらいいんじゃないか」ということが起きるのは非常に楽しいことです。先程のカフェの初老の人と同じようにどこかで皆が都市を楽しむ、そのために我々の建築が生きてくるのではないかと思います。

 2012年にできた東京・北千住の駅の近くにある新しい東京電機大学のキャンパスは、神田にばらばらにあった校舎をまとめ、日本たばこの工場跡に造られました。既存市街地のど真ん中なので、塀等ができて周辺の人達が通れなくなるのは困るということで、キャンパスはバリアフリーで塀も門もなくし、誰でも通り抜けて駅に行くことができるように考えました。イタリーでは、キャンパスの真ん中に講堂があり広場があってとごく一般的なのですが、広場に面した建物の前面には「ロージエ」と呼ばれる空間を作りました。これは都市における部屋のようなもので皆が自由に来ていろいろなことができる場所です。近くの住民が話をしたり、学生が演奏会を行ったりしています。

 これも先程のヒルサイドウエストのように、できるだけ場所を公共にオープンにしていくという方針の一つです。おもしろかったのは、キャンパスの真ん中の広場、この周りには教室や学生食堂があるのですが、ここに近くの幼稚園の先生がよく子供達を連れてきて遊ばせているのです。これも建築家として全く想像しなかったことです。そして、子供が丸い柱に抱きついています。これはおそらく、彼らが少し前にお母さんに抱っこしてもらった時の感覚が残っていて、丸柱に何か親しみを覚えているのではないかと思っています。

 もう一つ、仏教系の大学を手がけた時に庭に白い石で仏教の象徴である七重の円を庭に作ったのですが、やはり子供が来て遊ぶのです。この中でもしも幼稚園などを設計される方がいましたら、四角い柱ではなくて丸い柱にすると皆が喜ぶのではないかと思います。私も若い時は幼稚園や小学校を頼まれたのですが、最近は年のせいでそういうものはあまり頼まれなくなりました。一番最近頼まれたのは霊園で、そういう年になったのではと思っています。

 数年前、トロントにアガ・カーン美術館を造りました。アガ・カーン氏はイスラム教・イスマイリ派指導者で世界的に有名な金持ちで、福祉にも興味を持っています。イスマイリ派は中近東からアフリカまでたくさんの信者がおり、アフリカで迫害された時にカナダが一番温かく迎えたということで、トロントには私達が手がけた美術館、それからイスマエリセンター、イスラムガーデン等があります。

 彼の建築に対する考え方は、「外はモダンでいいが、中に入ったらイスラムの文化が感じられる空間にしてほしい」というものでした。私達はロンドンでも彼の仕事をしており、この考え方は一貫しています。この建物は世界で一番白い花崗岩でできています。アガ・カーンという人はイスラム建築に造詣が深く、私が仕事を始める前に「ぜひ光を考えた建物にしてくれ」と5ページの手紙をくれました。2年かけてその岩を探しだしました。内部の真ん中に皆が自由に行き来できる庭を造りました。庭では時々エキシビションが行われますし、側に設けたカフェでは気候のいい時に外で食事や飲み物を頼めます。展示されているのは主にイスラム・アートですが、イスマイリ派の人も含めたカナダの市民のコミュニティセンターにしようという意図が現れており、建築空間を通じて市民に愛されるものは何かということがここでも一つの特徴となっています。

 最後は、2001年9月11日の同時多発テロ事件で崩壊したニューヨークの世界貿易センター(旧WTC)跡のグラウンドゼロに建つ「4 ワールド・トレード・センター(4WTC)」です。1から4のビルの設計を担当する4人の建築家が初めてそれぞれの案を発表した時にNYタイムズのトップにその4つを置いたイメージ写真が掲載されました。その後、リーマンショック等の影響で、2と3は延期になる等問題がありましたが、一番高い1WTCと私の4WTCは順調に進み、2013年にオフィス部分が完成しました。旧WTCが建っていた場所は全部公園にして、周辺の黒い壁にはここで亡くなった3000人以上の方の名前が書き込まれています。4WTCは、このメモリアルパークに面しており、建物との新しい関係をどう作ったらいいだろうかと考えました。これは挑戦的なミッションでした。

 ガラスで一つの彫刻をつくろうという意志を初めから持ちました。ビルは鏡の役割を果たしています。メモリアルパークが全部写り込むと言う形で強い関係性をつくりたい。ビルにメモリアルパークが写り込んだ姿を見て皆がビルに入るわけですが、ビルから出ると今度はメモリアルパークが見えるというイメージの関係を作ろうと考えました。

 そして、光の具合でさまざまな姿を見せることを意図しました。例えば五番街のほうから見るとビルは周りのさまざまな風景を投影し、それはしょっちゅう変わっていきます。ニュージャージーのほうから見ると、ある時はビルが光ってよく見えますが、光の具合で突然消えてなくったようにもなります。旧WTCは1973年にできて非常に短い生涯を終えました。これは一つの偶然ですが、旧WTCに対するオマージュになったと思います。

 内部に入ってメモリアルパークに面した空間では、先日ケンゾーがファッションショーを行っていました。この建物の46階はテラスにしてあり、有料ですがパブリックに解放しており、昼も夜もマンハッタンを一望にできます。ここでのパーティーや音楽会等、ニューヨーカーもこうした空間の楽しみ方にすぐに気がついています。


   ※2016年3月16日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。