卓話


イニシエイションスピーチ

2009年3月4日(水)の例会の卓話です。

服部 真二君
勝又 正浩君

スポーツ計時の舞台裏

                セイコーウォッチ(株)
                代表取締役社長 服部 真二 君

 本日は、スポーツ計時のテクニカルな問題を中心とした四方山話をさせていただきたいと思います。

 スポーツ計時に欠かせないストップウォッチは、元々、医者が脈拍を測る為に開発されたもので、1820年代から競技でも使われる様になりました。

 1890年頃はせいぜい1/5秒単位しか計測できませんでしたが 1932年のロサンゼルスオリンピックでは、1/10秒計が登場しています。1964年の東京オリンピックは、人間の目や手に頼らず、電子計時システムが完成した為、着順の判定やタイムについてのクレームが全く無かった初めてのオリンピックであった様です。

 計時の舞台で、ドラマが生じるのはやはり短距離です。

 1993年のシュトゥットガルトの世界陸上の女子100M決勝は大いに沸きました。

 ジャマイカのオッティーがゴールぎりぎりで抜いたかに見えましたが、結果は一位がアメリカのゲイル・ディーバイスで10秒811、二位が、オッティーで10秒812という事で、何と1/1000秒の差でした。これは多方向から撮った4台のハイビジョンカメラのビデオ映像を1/1000秒単位で解析したものですが、1/1000秒というとなんとその差はわずか1センチの世界です。従って胸にパットを入れていた人もいたようです。

 いずれにせよ1/1000秒で争う100M競技はスタートが勝負です。

 ピストルの号砲のタイミングをヤマカンであててスタートした人は有利に思えますが、そこにはフライング判定装置が作動しています。選手はスタート時に勢いよくブロックを蹴って飛び出していきますが、そのスターティングブロックに圧力を感知するセンサーが仕込まれています。スターターのピストルの音から0.1秒以内に圧力センサーが作動するとその人は失格になります。何故0.1秒なのか?それは、どんなアスリートでも号砲からアクションを起こすのに0.1秒はかかるというデータがある様です。

 87年のローマの世界陸上で、ベンジョンソンは0.129秒カールルイスはややスタートが遅れて0.196秒でした。

 又 更には、音の伝達速度により不公平が生じない様に、スターティングブロックにそれぞれスピーカーが内蔵されていて,そこからピストルの号砲が聞こえる様にしてあります。

 何故なら1レーンから8レーンまでの距離が8Mある為、ピストルの音が選手に伝わる時間差が、音速を1秒343メートルで計算すると最大0.023秒の差が出てくるからです。

 話は変わりますが、水泳競技も昨今は1/1000秒を争う熾烈な戦いが時々あります。

 1972年のミュンヘンオリンピックの男子400M個人メドレーは、第一位がドイツのラーソンで4分31秒981、二位はアメリカのマッキーで4分31秒983でした。競泳の世界ではプールサイドに設置されたタッチ板に加わる圧力でセンサーが作動して時計が止まる様になっています。

 ところが、タッチ板に加わる圧力は選手のタッチ以外に、水のうねりやしぶきもあるはずです。タッチ板はどのようにしてその中から選手のタッチによる圧力だけを判別するのでしょうか?ヒントはタッチ板の表面に穴があいているのです。

 タッチ板は、二重構造になっていて、表(オモテ)のタッチ板には直径4mmの穴が約1万5千あいていて水は自由に行き来しています。従って強いしぶきや強い水のうねりが押し寄せても裏の作動板にはほとんど圧力がかからない様になっている訳です。

 この競技は結局 2/1000秒差でラーソンが金メダルを取りましたが、この判定は大論争を巻き起こしました。この世界では1/1000秒は約3.3mmでしかありませんので、タッチ板の厚みの誤差や取付誤差が3.3mmあったらチャラになる訳でおかしな事になります。

 その結果、競泳競技では1/1000秒迄計測するのはいかがなものかという事で1/100秒単位の測定で勝敗が決まる事になりました。

 この決定から12年後のロサンゼルスオリンピックでのアメリカの2選手が1/100秒単位まで同じで金メダルが二人でたのも記憶に新しいかと思います。
 
 以上の様に スポーツ計時は現代の時計技術と電子ハイテク技術を駆使してドラマを演じる影の立役者となり得ます。しかしながら機械は可能な範囲で公平で正確なデータを提供するだけで、最後の判断は人間がするし、計時を管理する人間の判断ミスがあると1/1000秒単位の計測も水の泡となってしまう事があります。

 計時も最後は計時を管理、運営する人が大事であるというのが結論であります。

社会における私の役割
ースポーツが与える3つの宝

                    正興商事(株)
                    専務取締役 勝又 正浩 君

 私は昭和32年に父により創業されたビルディング賃貸の会社に勤務しておりますが、本業以外に、ゴルフに関わる様々な活動を行っておりますのでご紹介させて頂きます。

 皆さんは石川遼君をご存知でらっしゃいますね?まだ高校2年生でありながら、日本プロゴルフツアーで2回の優勝を飾り、本年度のマスターズトーナメントに招待が決まった、時の人です。

 彼を初めて見たのは、3年前の全日本ジュニア選手権でした。中学三年生として出場した石川君を見て、そのスケールの大きさと類まれなスピード感、それに素直な性格に未来を予感させられました。その年の暮れに、日本ゴルフ協会が発足させたチームジャパンジュニアの第一期生として入会し、私はそのチームの強化委員として彼に接する機会を得ました。初めて出たプロの大会で彼は優勝を飾りました。その後の活躍は日本中の国民が知るところになりました。入会面接にお爺様に連れられて来た15歳の少年が、その一年後日本一有名なゴルファーになる事はだれも予想していなかったと思います。

 残念ながら現在の日本のゴルフのレベルは諸外国に比べ決して高いとは言えません。体格差の問題は勿論あるかと思います。しかし、米国ツアーで活躍する今田選手は石川君より更に小柄な選手です。先週には欧州ツアーに於いて、18歳の韓国生まれのアマチュア選手がツアー優勝を飾りました。体格に恵まれない、経験の少ない選手でも、世界のトップレベルで活躍する選手は沢山います。私は、日本人もやり方によっては世界の頂点に立つことも十分に可能ではないかと思っています。

 昨年の夏、世界ジュニアの団長として遠征に帯同した際に、トップジュニアのゴルフを目の当たりにしましたが、日本の選手に比べて「これは違う」と思わせる選手はほんの僅かしかおりませんでした。その証拠に、世界ジュニアにはこれまで何度も日本人が優勝者として名を連ねています。ところが、大学を経て、成人する頃になると両者の力量の差は驚くほど離れていきます。

 一体この差は何に起因するのでしょうか?これは私見ですが、先ずは大学でのゴルフ教育環境の違いかと思います。特に米国の大学ゴルフ部は少数精鋭です。その少数の選手に対して、専門知識を有した何人ものコーチをあてがい、有力なチームにはプライベートコースも完備されています。残念ながらこのような環境を提供できる日本の学校は今のところ皆無です。

 もう1つは選手や、それを取り巻く大人たちの余裕でしょうか?米国の大学チームに所属する選手は、一年間に出場できる試合数を厳格に規定されます。どんな選手であっても、試合に好きなだけ出る事は許しません。タイガーウッズであっても例外ではありませんでした。大学が公認する試合以外の出場は年間5試合まで。その中にはマスターズや全英オープンという世界のメジャートーナメントも含まれておりました。その環境から、彼らはじっくりと体を作り、じっくりとゴルフを熟成させていきます。

 10台の有望な選手が出てくる中で、ウッズが発したメッセージがありました。彼は、「ジュニアならジュニア、アマチュアならアマチュアの世界で、まず勝ち方を覚えるべきだ。プロ転向はそれからでいい」と言ったのです。ウッズは全米ジュニア3連覇、全米アマ3連覇の後に21歳でプロ入りを果たし、現在では世界一稼ぐプロスポーツ選手となっています。中、高生のゴルファーがプロの、大人の世界でプレーするにはまだ早すぎるように感じます。焦らずにゴルフを磨き、人格形成をされた上での挑戦が望ましいと私は考えております。

 次に、母校のゴルフ部の監督業に関しても触れておこうと思います。今から5年前の春にゴルフ部女子チームの監督をお引き受け致しました。就任当初は僅か9名の少人数のチームでしたが、現在では20名の大所帯で、スポーツ推薦の学生が一人もおりません。それどころか、約半数の部員は大学で初めてクラブを握るような初心者ゴルファーです。

 現在では、技術、体力、メンタルに関して、全てプロの指導を仰いでいます。実質3年半で何か結果を出さねばいけない学生だからこそ、プロの力を必要としていると思っています。慶應ゴルフ部女子チームは、現在関東Aブロックに所属しています。全国から選りすぐりの選手を集めたチームに混じってプレーしている事を考えると、慶應女子の健闘は異質です。

 副題として「スポーツが与える3つの宝」とさせて頂きました。この言葉は、慶應義塾の体育会の生みの親と言われる小泉信三先生がお残しになった言葉です。

 3つの宝とは・・・スポーツを通じて生涯の友を得るという事。フェアプレーの精神を学ぶという事。そして、練習は不可能を可能にするという事を学ぶ事。

 慶應義塾で学ぶ事は、福沢諭吉を学ぶ事と思っています。それと同じように、塾の体育会に所属するという事は、小泉信三の教えを学ぶ事ではないかと思い常に学生達に言い続けている言葉です。