卓話


東アジア共同体と日米同盟

2005年9月28日(水)の例会の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

政策研究大学院大学 
副学長 白石隆氏

第4072回例会

今回の前の選挙でも争点のない衆議院選挙といわれましたが,実は外交政策では,かなりはっきりとした争点がありました。争点の一つは,自民党の「凛とした日本外交」と民主党の「開かれた国益を追及する外交」という政策でした。

 どうしてこの二つがキーワードかと申しますと,ここから日米同盟について違う感覚が出てくるわけです。自民党は,日米同盟はあらゆる日本の外交のベースであるとの立場ですが,民主党は,日米同盟の重要さは分かっているけれどもグローバルパートナーシップを無条件に支持するわけにはいかないというのが当時の立場です。

もう一つの争点は,東アジア共同体構築についての立場です。当時の自民党のマニフェストは,アジア「共同体」を支持するとなっています。民主党は東アジア共同体を全面的に支持するという表現です。これに関しては,民主党はおおいにやる,自民党は少し腰が引けています。
私は日米グローバルパートナーシップを全面的に掲げると同時に東アジア共同体についても積極的にやることができると思います。

そもそも東アジア共同体というのはなんでしょう。1960年代の後半から70年代の前半のころに「東アジア」というと,中国文明圏とか儒教文明圏のことを指していました。東南アジアは違う世界という認識でした。現在の「東アジア」は日本・中国・韓国・台湾・香港とアセアンの10カ国となっています。

ちょうど20年前の1985年9月22日,プラザ合意がありました。その結果,円がドルに対して上昇しました。日本の企業は国際的な競争力を維持するために生産拠点を日本から外に移しました。東南アジアを中心とした東アジアに進出しました。その後を受けて韓国のウォンや台湾のドルも連れ高しました。韓国や台湾さらには東南アジアの華人系企業も国境を越えて企業展開しました。

1990年ごろには企業のビジネスのネットワークが張り巡らされて,その結果,事実上この地域が経済的にまとまりのある地域になってきました。気がついたら地域が地域としてまとまっていたというのが現実にあって,それを東アジアと呼ぶようになったわけです。
ヨーロッパの場合は,2回の戦争の後,ドイツとフランスが,石炭,鉄鋼共同体をつくる協定を結びます。次に原子力共同体を作りました。これは,ドイツとフランスを中心として二度と戦争をしないというヨーロッパ諸国の共通の政治的意志でプロジェクトとしてヨーロッパ共同体を作り,結果としてできたのが欧州連合です。

東アジア共同体を考えるときに,我々はともすれば欧州連合をモデルとして考えます。よく出る質問に「東アジア共同体のメンバーはどこか」という質問があります。通貨協力の時は,アセアン+3,つまりアセアン10カ国と日本,中国,韓国の13カ国。東アジアサミットでは,オーストラリア,ニュージーランド,インドが加わった16カ国です。領域ごとに違うメンバーであっても一向にかまわないのが東アジア共同体なのです。非常に堅い統合の形式をとっている欧州連合をモデルに置いてメンバーシップを考えたりすると東アジア共同体はできっこありません。しかし、現に経済的な統合はどんどん進んでおります。

1997年から98年にかけて通貨危機が起こりました。タイ,インドネシア,韓国,マレーシアと危機に陥りました。当時,IMFが救済のためにいろいろと条件を付けました。条件の中には明らかに力のある国が自国の利益のためにつけたものだと透けて見える条件もありました。その結果、東アジアの地域ではナショナリズムが高まり,地域の問題は地域で解決しようという機運が高まりました。そこで1997年に,アセアン+3の首脳会議ができました。その後も毎年行われ,今年も12月にクアラルンプールで行われることになっています。このアセアン+3の枠の中で,かつて韓国の金大中大統領の提案で,East Asia Vision Groupが作られました。これが東アジア共同体を提言しました。制度として共同体を作ろうという動きはひとつにはこういう中から出て来ました。

もう一つの動きは,小泉総理の2002年1月の東南アジア訪問の際,シンガポールでの演説で日本とアセアンの経済連携を提唱されたことです。提案の内容は「東アジア共同体構築の第一歩として日本アセアン経済連携協定を結びましょう」というものでした。

 このように地域的な動きと日本国内の動きがいっしょになって始まったのが「東アジア共同体構築」であります。

1997年初期から2002年くらいまでは日本がリーダーシップをとってこれを進めました。チェンマイ合意といわれる通貨スワップ(資金融通)協定は,事実上日本が中心になって作ったものです。2002年ぐらいから中国が非常に活発に経済連携あるいはFTAを言い出し,最近はインド,オーストラリア,ニュージーランド,アメリカも経済連携あるいはFTAを言うようになっています。

こういう状況のなかで東アジアサミットが今年の12月に開催されます。アセアン10カ国と日本,中国,韓国だけだと,ひょっとすると中国を中心に議事がすすむのではないかとアメリカが心配しました。それならばというので,オーストラリア,ニュージーランド,インドを加えて,中国に対する対抗力にしようということになったのだろうと,私は理解しております。

東アジア共同体構築は.初期には日本がリーダーシップをとり途中からは中国が猛烈にリーダーシップをとろうとしてきましたけれども,結果としてできているいろいろな仕組みは全部アセアンが中心になっています。通貨協力,経済連携協定,FTAなど、すべてはアセアンが中心になっています。全部、アセアンをハブとしたネットワークで作られているのが現状です。

通貨危機がきっかけになった東アジア共同体構築のモーメンタムがその後も失われない理由が二つあります。一つはどの国にとっても経済発展が鍵です。人口2億1千万のインドネシアでは毎年250万人の就業人口があります。その職を作るには最低でも6%〜7%の経済成長率が必要です。中国も同じです。中国では毎年1千数百万の若い人が労働市場に入ってきます。インドネシアも中国も地域的な経済発展を抜きにして自分の国の経済発展だけを考えるわけにはいかないのです。

もう一つは中国にどう関与するかという問題です。中国の台頭に対する評価にはいろんな立場がありますが,中国は東シナ海では一方的に海底資源の開発をしていますが,南シナ海では,1990年代に相当一方的でしたが,中国にとってアセアンは極めて重要だと気がついた2002年以降は,アセアンが提言した南シナ海での共通の行動規範を受け入れる姿勢を示しております。

こういうときに,例えばエネルギー協力について,地域的に作ったルールをもし中国がのめば,日本にとっても非常に都合がいい。そのようにこれから中国が一方的に行動しないよう,いろんなルールを地域的にもグローバルにも作っていき,それを中国が受け入れるようにもっていくことが重要である、そのために東アジア共同体と一般的に呼ばれるような地域的な仕組みが重要だということです。

東アジア共同体と日米同盟とで整合性がとれないといった意見については,私としては経済を中心とした共同体作りとアメリカを中心として作られた日米,米韓,米比等の安全保障のシステムが矛盾するわけはないと思っています。

アメリカは安全保障で決定的に重要な役割を果たしておりますし,アセアンをハブとするさまざまの経済的な連携についても,アメリカは同意しております。ネットワークをさまざまに構築するということですから、アセアンとアメリカがそれぞれハブとなってネットワークを構築して別になんの問題もない。そしてこれからの課題としては、いかに東アジア共同体を進展させても,アメリカ抜きでは答えの出ない問題,あるいは協力のメカニズムが作れない問題、例えばエネルギー協力などについて、アメリカをハブとして協力の仕組みを作っていくことが重要と思います。

したがって、日本としては,APEC、アセアン地域フォーラム、6者協議等のフレームを利用して,アメリカをどう地域協力にもっと引き込むかということが一つのポイントであります。またもう一つは,それに応じて,アメリカが軍事・政治,日本が経済というこれまでの東アジアにおける日米の役割分担を見直して,海賊,テロ,ドラッグ,人身売買,武器密輸出などの非伝統的安全保障の領域については,日本はアメリカに協力し,同時に東アジアの国々とも協力してやっていくというのが重要と思います。地域協力はアセアンが中心となったかたちで進んでおります。それはかたちとしてはそうなのですが,そのうえで現にこの地域に展開している日本の企業をどう支援するか,またleading from the backとでも申しましょうか、かたちには見えないところで日本の役割を高めていくということが問われているのだと思います。