卓話


イニシエイションスピーチ 

2007年11月21日(水)の例会の卓話です。

中田範三君
川村修三君 

「日本文化である和紙の伝承」

小津産業(株) 代表取締役社長
中田範三君

 弊社は江戸時代の1653年に紙商として創業し、今年で創業354年を迎えます。創業者、小津清左衛門長弘は伊勢松阪の出身ですが、彼らの商売の特徴は、主人は松阪の本家にいながら、江戸や京都、大阪に出店を構えたことであると言われています。小津においても、主人である清左衛門長弘は松阪に戻り、決算期になると江戸店の支配人が本家に出向いて勘定目録と共に利益金を上納し、経営成績の報告を行いました。

 販売や仕入などの店舗経営については最前線である江戸店、資本や雇用は本家が管理するというように、経営と資本を分離した機能的な経営形態が、豪商が発展を続けた要因ではないでしょうか。

 明治から大正、大正から昭和へと時代が移り変わり、人口増加と生活スタイルの変化により紙の需要は急増しました。弊社は、和紙の販売で蓄積した販売ノウハウや、お客様からの信頼を積み重ね、洋紙、家庭紙(ティシュペーパー・トイレットペーパー)、さらに産業向けの不織布へと事業を展開してきましたが、この間「和紙の小津」としての伝統を忘れたり、和紙販売を傍らに置いたりすることは決してありませんでした。

 その理由は、創業以来取り扱っている和紙を、日本文化と芸術の要素が結集された貴重な文化財と認識し、和紙の販売を日本文化として伝承し続けることを、企業グループの使命と考えているからです。

 国内の手漉き和紙の出荷金額は、平成16年と平成11年で比べると、約37億円あったものが24億円に縮小しています。これにより、平成11年には400戸以上あった手漉き和紙の生産者は、平成16年には301戸になってしまいました。かつて日本のどこにでもあった和紙の販売店も、近代的な文具店や事務機器の店舗にすっかり変わってしまいました。

 しかしその一方で、日本は高齢化社会を迎えていますので、現役を引退した世代が、書道やちぎり絵などの趣味を持つようになり、和紙特有の伝統のある風合いや質感を懐かしむ風潮が残っていることがわかってきました。

 現在の本社地にリニューアルオープンした「小津和紙」は、和紙をどのように使い、生活のシーンにどう活かせば良いのか、あわただしくなっている日常生活の中で、スローライフという生き方の提案を行っています。また最近では、東京芸術大学に和紙や日本画の材料を提供し、未来の芸術家の育成にも力を入れています。

 近年、企業の多くは社会から信頼されることを願い、法令順守やCSRを宣言することが多くなりました。弊社には、創業者の小津清左衛門長弘が1694年に書いた掟書き、本人直筆の7か条が残っていますので、その一部をご紹介します。掟書きとは、お店の規則や遵守すべき事項について主人が定めるもので、現在の就業規則に該当します。

第1条 幕府のご法度は申すまでもなく、諸事の決まりに背かないこと。
第2条 奉公人の保証人になることや、金銭や奉公先の斡旋をすることは厳禁。
第3条 相店であっても、用もないのに行かないこと。もし止むを得ない用事で出かける時は、行き先を店の者に告げて断って出かけること。
第4条 買出しに行く場合、必要な物をすべて買い整えたならばすぐに店に帰ること。
第5条 店では人に見られるので、ようじを使わないこと。特に履物はだらしなくするな。
第6条 2階、1階の店とも、火の用心をよくすること。
第7条 身体の養生にはお互いに気をつけ、十分に休むこと。

 300年以上も昔の定めですが、若い社員が物騒であった当時の世の中を無事に成長するための行動指針について書かれており、経営者としての視点に今なお敬服する次第です。

 今、和紙の市場は厳しいですが、同じ市場を同じ視点から見続けてきた結果、私たち自身がどのようなスタンスでお客様に向かい、変わりゆく社会の中でどのように身を処すべきか、教えてくれるような気がします。

「リビアと私」                  

(株)太知ホールディングス
代表取締役社長
川村修三君 

 皆さんはアラブと言えば何を思い浮かべますか? 千夜一夜物語,月の砂漠,ピラミッド,イスラム教,カスバの女,油田,などでしょうか?一方では犯罪者の巣窟とかテロ温床の地とかの極めて悪いイメージで捉える方もおありでしょう。

 しかし戦後アラブを中心とする中近東諸国は膨大な石油資本をバックに近代化に乗り出し目覚ましい発展を遂げ,怒濤の勢いで国際舞台に踊り出してきました。今や日本の石油の輸入の90%は中近東,その多くはサウジアラビア,イラン,イラク,アラブ首長国連邦,カタールからのものです。遠くて近い国々,まさにそれがアラブと言えるでしょう。

 国際問題専門家たちの一致した意見は「今日の国際経済,政治は,もはやアラブを抜きにして語れない」なのです。私が初めてリビアに赴任した1978年にはこのことを喝破していた欧米諸国は既に深くアラブに食い込んでいました。しかし未だに日本はその原油の輸入を90%も依存しているにも関らず中近東への関心が薄いのではないかと私自身は非常に危惧しております。

 皆様御存知の如く,1988年のパンナム機爆破事件が原因で2003年9月に国連安保理の対リビア制裁が解除されるまで,実に15年の長きに亘り,リビアは世界より隔絶されてきました。しかし2001年6月に元首カダフィの三男のサーディー氏,また2005年4月には次男のサイーフ氏が日本との友好関係を深めるために来日,来年にはカダフィ元首その人の来日も期待されております。それだけ彼らの日本に対する期待は大きいと言えるでしょう。

 砂漠の遊牧民テントで生まれたカダフィ氏は彼の革命の書「グリーンブック」の中でこう書いております。『砂漠に草は生えない。だが,砂漠はあらゆる価値を生み出し永遠なる文明への啓示が広がる』。砂漠がもたらした黒い水により今やアフリカ大陸では南アフリカに次ぐ第二位の金持国に変貌したリビア。そこはフランスの大詩人アルチュール・ランボーをして『ここでは何もかもが雄大だ。小さな悩みや苦しみを全て忘れさせてくれる。自然は雄大な存在だ』と言わしめました。カダフィ元首にとっても,砂漠は若さと情熱を完全燃焼させるにうってつけの舞台だったのです。

 この広大な砂漠とイスラム教を背景に「アラブ商人」という言葉が生まれました。そしてこの「アラブ商人」の典型でもあるリビア人との交渉事では彼らが生来持つ「プロ意識」と「浪花節意識」を理解した上で,「彼らの懐に飛び込む」ことしかないのです。

 彼らの底に流れる文化,その基盤の上にある自尊心を肯定し理解し,堂々と本音で商談をしない限り,リビア,そしてアラブとの商売は無理なのです。今のリビアはというと,他のアラブ諸国同様に,高層ビルが立ち並ぶようになり,立派な港湾施設も完成し,車の量も格段に増えました。昔と異なり,今や街中には世界中からの溢れんばかりの電気製品が並び,ショッピングウインドウはイタリアンファッションに彩られ,しゃれたカフェテラスが軒を並べています。人々の生活は激変したと言えるようです。
 
 それでも世界遺産に認定された古代ローマの遺跡群,レプテスマグナやサプラタは,その喧騒とはかけ離れ,悠久の歴史のままに今も美しく残っているのは唯一の救いと言えます。

 国土は日本の約5倍,人口は日本の20分の1の600万人,GDP503億ドル,一人当りのGDPが7380ドル,確認石油埋蔵量世界9位,こんなリビアと日本の貿易関係は現在,輸出220億円,輸入48億円と日本の大幅輸出超となっており,30年間連続輸出超を続けております。

 地場にいて切々と感じることは,リビアの日本に対する期待は予想以上に大きい,その期待に応えていくことこそが今後の日本の,また我々の責務と感じています。

 日本より遙かに遠い,だが最も近くであるべきアラブの国々,そこに果てしない夢を追い続け,今後も彼らとの貿易をし続けて行きたいと心から思っております。