卓話


シンブンDX(産経新聞社のDX戦略)

2021年4月14日(水)


 いまや流行語になってしまった感のあるDX(デジタルトランスフォーメーション)は、斜陽産業と言われて久しい新聞社にとってどんな意味を持つのか。産経新聞はDXを推進しながら、どのようにしてこの難局を切り抜けようとしているのか。

 私は大阪で新聞記者になり、事件、事故、それも暴力団を主に追いかけてきました。デスクや部長になってからもいわゆる軟派記事を得意としてきましたが、6年前、大阪の編集局長から産経デジタルという子会社の社長に転出することになりました。スーパーアナログ人間だった私がいきなり時代の最先端のトップになった訳ですから、私自身がDXを余儀なくされました。以来、6年かけて行ってきたことの集大成をやろうとしています。

 新聞、雑誌も含めた紙媒体の転機は1995年にありました。1月に阪神淡路大地震が発生、3月にオウム真理教の事件が弾け、世の中が騒然とした空気に包まれる中、私が当時所属していた夕刊フジやスポーツ紙、週刊誌といった駅売りメディアはいずれも過去最高の売り上げを記録しました。

 一方、この年の11月、私は異動先の東京から大阪に戻ってデスクをしていました。夜のニュース番組を見ていると、久米宏さんが東京の秋葉原と大阪・日本橋で若者達が行列をしている映像を紹介していました。Windows95を買い求める行列でした。ここからインターネットが一気に広がりました。

 さらに20年後、大人から子供までスマートフォンを持つようになり、ニュースだけでなく音楽やゲームなどあらゆる隙間の時間がスマホに取って変わり、世の中の情報の流通を一気に変えてしまいました。

 同時に新聞というメディアを愛読し、新聞を長く支えてくれていた団塊の世代がリタイアし始めました。あと2年経つと団塊の世代は健康寿命を、さらに5年で平均寿命を迎えてしまいます。新聞部数は全国で恐ろしいスピードで減り続けています。3、4年前の講演で私は「毎年、北海道新聞が無くなるようなものです」と話していましたが、2年前は「今年は産経を飛び越して毎日新聞が無くなった」、そして、コロナの影響もあり、昨年は「このままでは築地の会社に相当する部数が溶けてなくなってしまう」と説明しています。紙の新聞に頼っていては事業が継続できないのは自明の理。ただ、我々この業界にいる人間は、新聞は無くしてはいけないと強く思っています。なんとかして新聞社を支えなければいけない。

 3年前、私は産経デジタル社長の時に一足早く斜陽化が進んでいる欧米の新聞業界の現状を見て来ました。New York Times、Washington Post等、今の時点で勝ち組といわれている会社は10年前には大変なピンチを迎えていました。それを徹底したデジタル化で切り抜けています。

 弊社も10年前からウェブ・ファーストを掲げていろいろなチャレンジをしてきました。マイクロソフト社との協業で「msn産経ニュース」というサイトを運営しましたし、「iZA」というサイトで記者ブログを始めた時は産経デジタルの初代社長がデジタルオブザイヤーに選ばれたこともありました。この他、電子新聞の無料開放や、法廷ライブと呼ばれる新しい手法の報道にもチャレンジしました。

 「PV(ページビュー)とUU(ユニークユーザー)の獲得」を合い言葉に毎日、血道を上げました。しかし、PVによる広告だけの収益では限界があり、生き残ろうとしている世界中のメディアは、落ちていく紙の収益を電子版購読(サブスクリプション)モデルを軸にデジタル収益でなんとか均衡させようとしています。

 欧米のメディアは、サイトに滞在した時間、最後まで読み終えた読了率、あるいはサイトの中で他のニュースを見て回った回遊率等の新たな指標を掲げ、サイトを愛読してくれるエンゲージメントの高い読者を大切にする戦略に切り替えています。

 弊社も昨年7月、DX本部を立ち上げ、これまで手探りで行ってきたデジタル改革をマーケティングに基づくデータをベースに一気に加速させるために動き出しました。

 DX本部のミッションは極めてシンプルで、産経新聞社のデジタル収益の最大化です。デジタルを活用し圧倒的かつ優れた顧客体験を提供し、メディア価値を最大化させると共に事業を成長させることです。

 産経新聞のデジタル収益の基盤となるのは「産経iD」という、いわばファンクラブのような会員組織です。会員数を増やし、会員の皆さんに産経新聞のデジタルサービスを使って頂き、お金を落として頂くことが重要です。iD会員自体は無料ですが、ただ闇雲に数を増やせばいい訳ではありません。

 DX本部がサイトオーナーを務める基幹サイト「産経ニュース」には、iD会員なら誰でも読める「銀鍵コンテンツ」、例えば「産経抄」といったコラム等があります。それから、月500円頂戴している「金鍵コンテンツ」があり、これがサブスクです。紙面の中でも、特ダネや深掘りした解説記事、優れた論評、紙面に載っていないネットだけのオリジナルコンテンツが読めます。

 こうした金鍵コンテンツと「産経らくご」というサービスのセットプランも人気を集めています。弊社が定期的に行う落語会に安く行けたり、ネットで無料視聴できたりします。「産経は嫌いだけど落語は好き」という会員もいます。産経新聞以外の読者や新聞を購読していない無読層にも会員になってもらうことで紙の新聞にはない可能性が広がります。

 弊社は宝塚歌劇の貸切り公演を行っています。6月の花組公演のチケットの販売が始まっており、産経iD会員になれば東京宝塚劇場の良席のチケットが当たるキャンペーンは、産経の読者ではなさそうなご婦人方から絶大な支持を頂いています。

 DX本部では産経iD会員にいかに満足して頂くか、ニュースサイトに来て頂いたユーザーの方にニュース以外でどう楽しんで頂くかに知恵を絞っています。

 部員12人ほどの小さな所帯で、毎日、朝夕に私も参加するミーティングをしています。朝は前日に獲得した会員数と有料の会員数が示されます。毎日毎月、目標数字が設定されており、なぜ数字が達成されなかったのか、今日どんな施策を打ったら達成されるのかを話し合います。

 例えば、弊社は将棋の棋聖戦を主催しています。昨年は藤井聡太棋士が初めて棋聖戦でタイトルを奪取したことでものすごいブームになりました。NHKはじめあらゆるニュースで取り上げられ、産経の名前だけでなく協賛社のロゴも映り込みました。DX本部ではこれを受けて全てのニュースやワイドショーでの露出時間を調べ詳細なレポートを作りました。結果は驚くべき数字の広告効果がはじき出されました。協賛社にしてみれば、たった1度の棋聖戦で50年分の協賛金を回収したほどの数字です。こうしたレポートを現場にフィードバックすることでスポンサー企業とのリレーションをより強固にできます。

 一人でも多くのサブスクユーザーを増やすために、米国のpiano社のサブスクツールを入れ、同社のコンサルの指導を受けています。来月にはWashington Postの「arc publishing」という新しいシステムも稼働します。pianoとarcを使って、まだ国内のどのメディアもやったことがないチャレンジを考えています。

 会員数は多ければいいという訳ではないと言いましたが、単純に数の力が威力を発揮することもあります。

 Google社がサードパーティーのCookieを使用しないと発表しました。Cookieとはウェブサイトからパソコンやスマホのブラウザに保存された情報のことで、これらを広告等に使って彼らは巨額を得てきました。しかし、個人情報保護の観点からヨーロッパを中心に批判が強くなり、Cookieの使用を断念しました。それだけに産経iDのような読者の許諾を得て属性を明らかにする情報は、ますます価値を持つことになります。これには新聞社の持つ信頼性が大きく寄与しています。弊社もこうしたデータビジネスへの取組みを急ピッチで進めています。

 産経iD拡大のための連携事業としてメディア営業局が昨年始めた「きっかけ」というサービスがあります。iD会員を軸としたファンコミュニティ事業です。例えば、ある飲料会社が新商品を企画した際、このファンコミュニティを通じて商品の可能性を探ることができます。新聞社の営業マンはこれまで新聞紙に企業の広告を取ることが主な仕事でしたが、こうしたデータを活用した新しいビジネスに取り組んでいかなければなりません。

 もう一つ、昨年10月に「産経リサーチ&データ」という会社を立ち上げました。産経iDの特徴は約7万人のアクティブシニアの会員を抱えていることです。国内には色々な会員組織がありますが、これだけの数のシニアを集めた組織は数えるほどしかありません。一方で、お金を使ってくれる中高年の動向を知りたがっている企業は少なくはありません。昨年来、アンケート調査の依頼が次々と来ています。

 最後に、今話題の情報銀行ビジネスについて。昨年の暮れ、大日本印刷(DNP)と情報銀行事業の可能性を探るための「ライフラ合同会社」を設立しました。本日、ライフラのアプリとウェブサイトをローンチしましたのでぜひスマートフォン等でダウンロードして中身をご覧頂ければと思います。1年近くかけて実証実験を繰り返す予定です。

 以上が産経新聞の現時点での主なDX戦略です。


※2021年4月14日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。