卓話


ロータリー財団月間例会
財団学友として40年,ロータリアンとして10年

2014年11月5日(水)

1972年度ロータリー財団奨学生
かながわ湘南RC 元会長
柚木裕子氏


 最初にロータリーと出会ったのは、ロータリー財団奨学生として、フランスへ留学させていただいた時です。愛知県に住んでいたので、スポンサークラブは愛知県の江南RCです。当時は愛知県と長野県が一つの地区でした。留学先はツール大学で、専攻は言語学、ホストしてくれたのはツールRCです。ツールはパリから南西230キロ位にあるロアール川沿いの中心都市で、多くの古城がある美しい街です。きれいなフランス語を話す地域としても有名でした。

 ツールRCは当時、ガバナーが輩出され、その関係から地区大会のスピーチに招かれたりしました。私のスピーチの後にノーベル物理学賞を受賞したジャン・ネエル教授が記念講演をされ、エクスカーションで訪れたアンボワーズ城では、所有者であるパリ伯(カロリング朝フランク王国でパリ周辺を統治していた支配者の称号に紹介いただく名誉な機会もありました。

 私は、かながわ湘南RCの創立時の幹事を務めました。現在は、第2780地区の財団委員会の補助金推進委員会申請支援部会長として、新しい財団制度の推進と、地区補助金、グローバル補助金の奨学生、職業研修チーム(VTT)、グローバルプロジェクトの申請とサポートをしています。オンラインによる申請方法は、戸惑いと試行錯誤の連続で、システムの故障なのか、手続き方法を間違えているのかがわからずに悩みましたが、申請したものは全部承認されました。

 私が奨学金をいただいてから、財団や学友会と関わるようになった話を致します。

 留学を終え、次にロータリー財団と関わりができたのは、鎌倉に住み、第2780地区のロータリアンの方と出会ったことです。神奈川県内で横浜と川崎地域が第2590地区、それ以外が第2780地区と2つに分割された時で、別れたために機能しなくなってしまった学友会を、学友と4人で第2780地区に立ち上げました。主な活動は、奨学生の出発前のオリエンテーションでした。本部からマニュアルを取り寄せ、1泊2日のオリエンテーションを始めました。3年ほど経って帰国した新しい学友に役割を引き継ぎいでもらい、学友会が育っていきました。

 オリエンテーションと壮行会は、途中から第2590地区と協力して一緒に行いました。この実施には補助金が出るということで、毎回、本部から補助金とともに指導も受けました。

 2006年にはロータリー財団からオーガナイザー会議に呼ばれて出席しました。世界の他地区から来ているのは、パストガバナー、財団の地域コーディネーター、ロータリー財団の委員長といった方ばかりで、私は若い年代のほうでした。この時、日本から多くの奨学生が行くのに、「学生はいろいろな相談をしてくるけれども報告がちっともない」ということを言われ、また、学生を受入れる地区は受け入れのためのオリエンテーションを行っているという話を聞き、私達もきちんと学生を送り出さなければいけないと感じました。私はマルチ地区でのオリエンテーション実施という課題をいただいて帰りました。帰国後、ガバナーや日本事務局に相談をし、ガバナーの尽力で他地区に合同参加を呼びかけましたが、参加は得られませんでした。そうしたこともあってか、2008年のロサンゼルス国際大会のロータリー財団学友の祝賀会議が開かれた際、田中栄次郎氏と一緒にパネリストとして参加し、オリエンテーションについてお話ししたこともありました。

 2004年8月に、ロータリー会員組織コーディネーターだった小沢一彦氏より学友を中心とした新しいクラブ設立を提案されました。学友会で相談し、研究グループ交換(GSE)の財団学友にも声をかけました。どのようなクラブにするか、何度も会合をしました。時間とお金はないけれど汗を流すことと、知恵を絞ることはできるから、と最低限の年会費でもきちんとした活動内容にしようと考えました。しかし、20人以上の人数にするのが大変でした。毎晩、仕事から帰って食事を済ませた後、1人か2人に電話をして、1、2時間話をしました。小沢さんには、「9月末までに人数が集まらなかったらこの話はやめよう」と言われ、さらに必死になって人数を達成し、10月20日に設立総会をしました。12月15日にRI加盟の認証をいただいて認証状伝達式を行い、会長の高木氏と2人で、「やっとここまでこぎ着けたね」と話しました。

 私達のクラブは、いろいろなファンドレイジングを行っています。最初は2004年に津波被害を受けたアチェに対するものです。家族を亡くしたりした子供達の心をケアしようと美大生達がろうけつ染めを教え、子供達が作ったそのハンカチを購入し、横須賀のどぶ板通りで募金活動と販売をし、その収益で被災地の図書館に本を寄贈しました。

 私達のクラブは、ほとんどが財団学友であると同時にGSEメンバーで始まったので、皆に「ロータリーの御陰で海外を知ることができた。その気持ちをどこかで表明していかなければならない。語学力を生かし海外の人々を救っていきたい」という気持ちが共通していて、すぐに動いてくれます。

 第2780地区の財団学友とチャリティコンサートを行い、その収益でアチェの3つの村に図書館を設置しました。財団学友に国際交流基金で仕事をしている女性がおり、インドネシア勤務時に津波災害が起きました。アチェは政治紛争もあり非常に閉ざされた地域で、政府からの圧力で親が連行され殺されてしまった子供が沢山います。そうした子供の心のケアのワークショップを行った際に図書館を求めていることを知ったことが始まりでした。3つの村を訪ね、図書館の管理や運営方法について村の長たちと話し合い、図書館を作りました。その後、8カ所ほど図書館ができ、現在、現地のNGOに管理を委ねています。

 東日本震災復興プロジェクトでは、財団学友会からできたクラブが国内各地にできていたので支援を呼びかけ、ドイツ学友会や学友会メンバーが作ったミュンヘンバーバリアRC、小田原RC、東京米山友愛RC、福島グローバルRCと3地区の地区財団活動資金(DDF)のマッチング・グラントを申請して約1000万円のプロジェクトになり、福島浜通りの被災した全小中学校に図書を贈呈しました。また、南三陸町の志津川小学校にソーラーシステムを応用した水道設備を考案し、秦野中RCの協力を得て設置しました。

 2013年7月に立ち上げられた東日本震災復興基金日本委員会は、「早く被災地支援がしたいのに、手続きが面倒で時間がかかりすぎる。承認を受けた頃には、状況が変わってしまう」という声を小沢トラスティーがロータリー財団に話し、立ち上げられました。財団で運営費は出さない、RI日本事務局に頼らないという条件付でしたので、私が事務局を務めました。

 当時、岩手、宮城、福島は、海岸地域とガバナー事務所のある中心都市とが断絶し意思疎通ができる状況ではありませんでした。海岸地域の人達の悲痛な声を受け止め、第2520地区、第2530地区へのコミュニケーションを取次いだり、海外からの支援への対応を申し出てくださるクラブに支援を望むクラブを紹介したり、役割以外にも私にできる精一杯の力を振り絞りました。

 私達のクラブは学友会と協力しあって活動しています。バンコクの国際大会の時は、タイの学友会と一緒にストリートチルドレンだった子供達を育てる施設を訪問しました。その時、ドイツのロータリアンにも声をかけ、一緒に子供達と過ごしました。学友の中で海外の国際機関で活躍している人、海外の様子をよく知っている人、そして、求められているニーズとその手助け方法に詳しい人など沢山います。その人たちの力を借りながら、よりニーズに応えるプロジェクトを作っていきたいと頑張っています。

 私は、どんな立場の時でも、与えられた仕事を精いっぱいやってきました。そうすることで次の仕事の時に助けられました。ロータリアンになって10年。40年の学友との関わりが助けになったと思っています。

 ロータリーと関わってきたお陰で、想像もできなかった活動を多くの人達と協力して達成することができ、沢山の感動を味わうことができました。ロータリーの第二のモットー、One profits most who serves best の意味をしみじみ考えるようになりました。私はmostでもbestでもありませんが、自分がしていることよりも周りから助けてもらったことのほうがずっと多かったと感じます。人に尽くすことで、自分が見守られ、助けられてきたと感じることができたとしたら、それもすべてロータリーのお陰だと心から感謝をしているところです。

 若い世代に私達が得られたものをできるだけ沢山繋いでいけるよう、これからも頑張りたいと思っています。