卓話


目指せ!子育てしたいまちナンバー1

2013年4月3日(水)の卓話をクラブ会報委員が纏めたものです。

陸前高田市民生活部社会福祉課
地域子育て支援センター
子育て相談員 菅原実黄子氏

 「あゆっこ」という子育て支援センターの名前は,気仙川とその支流にたくさん生息している「鮎」にヒントを得て,岩手の私たちが親しみを込めて表現する「○○っ子」を「あゆ」に当てはめて誕生した名前です。

 陸前高田市地域子育て支援センターは,平成17年9月に,気仙町の今泉保育所の中に併設された施設です。春は潮干狩り,夏は7万本の松原や近くのお茶畑を散歩,秋は鮭の孵化場を見学,冬は白鳥に餌づけ,という四季の自然を五感いっぱいに感じることができる場所でした。

 育児相談では「傾聴」を大切にし,お母さんとの関係づくりをしてきました。様々な相談のなかには,話がDVについての相談に広がることもありました。

 センターと保育所との交流も大切です。保育所で行われる伝統芸能「けんか七夕」で,太鼓を叩く様子を見ながら,あゆっこの幼児たちは「大きくなったら私も叩きたいなあ」と,胸を弾ませながら育ってきました。

 このように,子育て支援センターはプレ保育所という役割を担っており,保育所への入所をスムーズにしてきました。

 平成23年3月11日,東日本大震災が東北地方を襲いました。津波で,施設は流され,職員の車も見る影もなく流されました。

 当日の午前,支援センターでは,親子が新聞紙を使ってエコバッグを作った後,自宅に帰宅しました。それぞれの場所で避難しましたが,3組の利用者が亡くなりました。

 地震が起こった時,私たちは未満児を抱いたり,おぶったり,手をつないだりして,無我夢中に保育園の園庭に避難しました。

 大津波警報の発令で,私たちは建物の裏山を登って,小学校に2次避難しました。さらに,「逃げろ」という声に誘導されて山へ3次避難しました。保育士は子どもたちをおんぶし抱っこし,手をつないで走りました。約3キロの雪の中を必死に逃げました。

 その晩は高台のお寺に避難し,10名の子どもたちが残りました。おにぎりを半分ずつ分けて食べ,空腹をしのぎました。

 2日目は,高台の長部保育所まで歩いて避難。毛布しかない寒い夜を迎えました。

 3日目には,仕事の関係で迎えに来られない状況の親がある幼児が2人残りました。この子たちは,この後1週間も親と会えませんでした。私たち保育士は子どもたちの命を守ることを最優先に考え,必死に行動しました。

 震災が保育所の幼児たちに与えた被害は,
・保育中の事故ではなく,保護者が引き取りに来た後の死亡が13名。
・孤児になった幼児41名。
・遺児(片親)になった幼児127名。
 市内に10カ所ある保育所の中で,今泉,高田の2施設が全壊。広田,竹駒が大規模半壊と床上浸水などの被害を受けました。

 震災後,3月中旬から5月にかけて,私たちは利用者や利用者の家族の安否確認に歩き回りました。車もないので,歩くしかありませんでした。保育センターの活動場所を探すこともしましたが,なかなか見つかりませんでした。各保育所を回って「水」を確保する仕事もしました。

 個人的には,父を亡くしています。でも,そのことに実感がなく,仕事に夢中になっていたので,悲しみをあまり感じないまま過ごしてきましたが,その後の様子を見ていると,少しずつ悲しみがわいて来ました。

 遺体安置所には何度も足を運びました。小さいお子さんもいたし,知っている職員もいたし,上司もいました。

 こんな時でも,救援物資をいただく時は静かに整列するという,日本人らしさがあった反面,被災地での物盗りや半壊家屋から金庫を盗み出す事件が多発しました。

 震災の年の5月10日,療育教室と合同で,巡回遊び場を再開しました。療育教室というのは,障がいのあるお子さんの教室です。

 拠点がないので,午前は米崎小学校の学童室をお借りしたり,横田の「川の駅」をお借りしたりして開きました。午後の事務は竹駒小学校をお借りしました。赤ちゃんたちの遊び場は,お年寄りの施設をお借りしたりして,転々と移動しました。
 その時の,利用者たちの思いは,
・遊び場所がなかったので早く再開してくれてよかった。
・みんなで悲しみを共有できた。
・子どもも母親も友達ができた。
・話を聞いてくれるスタッフがいるし,仲間もいる。
・ホッとリラックスできる。
・仮設では大きな音も出せずストレスがたまるので,あゆっこに来ると発散できる。
・いろいろなことが体験出来る。学べる。
・自分自身が社会に出る前段階としての学びができる。
・全てを失ったがたくさんの物資をいただいて助けられた。
・遠くの仮設までスタッフが物資を届けてくれたので,車のない私は助かった。

 このように,みんなはいろいろな思いを持ちながら再会を喜びました。
 私は,「ひとりひとりを大切にした支援の重要性」を考えて,「心のケア講座」に力を入れました。

 一家のご主人を亡くされたお母さんや子どもたちは,深い悲しみを持っておられます。しかも,その悲しみを人に話すことができないでいます。そのような方々が「心のケア講座」を受けて,自分のことを話す機会ができるようになれば,少しずつでも明るい表情になってもらえると思っています。

 全国各地から応援してくださる「心から笑顔になれるイベント」もありがたいです。

 仮設住宅や公民館に出向いての個別支援では,おむつやミルクを届けて歩きました。
 平成24年2月に,東京RCのご縁とご支援により,仮設の「子育て支援センター」が公園内に完成しました。この時は本当に,人と人のつながりの大切さとありがたさをとても身にしみて感じました。

 支援センターの落成の日は,抜けるような青空に真っ白い雪が見事なコントラストを描き,そこにすてきな建物が映えていました。落成式では,市長さんも参加して東京RCの方々をお迎えしての式典が行われました。

 今,私たちは,新しいセンターを拠点として,元気に活動しています。

 子育て支援センターの役割は,震災後の心のケアを大切にすることです。そのためには,孤立しないように,出会いの場や経験の場を提供することも大事です。それが,親には自分流のベストな子育てを見いだす場になります。お母さんは,やる気のスイッチがオンになります。子どもには,五感を使って遊べる環境を整える場になります。

 こうした場を整えるには,復興と少子化対策を考えた具体的で多角的な子育て支援策が必要です。

 私たちは,震災後,無我夢中で頑張ってきました。今は,その脱力感とか疲労感とか,PTSDなどが急増している状態です。

 私たち自身が不安にならないようにカウンセリングを受けたり,ケアを受けたりしています。少しは自分のための時間を持って,支援を続けたいと思っています。

 今後,関係機関や協力団体との連携は不可欠です。長期支援を目的とした母子家庭・父子家庭の支援や,遊びに来たくても来られない親子の支援や在宅ケアが必要です。親のストレスの軽減策も実施しなくてはなりません。

 市の復興計画との調整も大切ですが,子育て支援のための町づくりも大切な条件です。

 仮設に住む小・中学生の声を聞くと,「夢中になって遊ぶ場所がないため,一人でゲームをしているのが寂しい」とか,「職業体験ができないので視野が狭くなる」とか,「テレビ番組の制作予算を復興予算に使ってほしいと思う」などの声が聞こえます。このような子どもたちの声をなんとか反映したいと思っています。

 平成24年11月6日に東京RCのご支援を得て,ハナミズキの植樹祭が行われました。今年の3月にはおひなまつりも行われました。最近はいつも大勢で賑わっています。

 先日,地元のおばあちゃんがセンターにおいでになりました。おばあちゃんは「ここで過ごした毎日があったから,孫は今,保育園で笑顔で元気に過ごすことができる」と言って,この拠点を作ってくださった方々への感謝の気持ちを述べていかれました。

 私はその気持ちや言葉を励みに,「子育てしたいまちナンバー1」のセンターを目指して頑張ります。陸前高田に新しい風が吹きますように,日々努力します。今後とも温かく見守っていただければ幸いです。